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無色な彼女と、透明な彼氏  作者: さくま
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 ああ、暑い。


 ギラギラと太陽が照りつける中、私は一人、バス停の前に呆然としゃがみこんでいた。


なんだ、この感情は。


憎悪というか、悲しいというか。


とりあえず、黒い感情だ。


そんなものが私の中で虫みたいに這っているような気分を覚えた。


今ならこのバス停を破壊出来る気がする。それか理由もなく走り回って、世界一周でも出来るかもしれない。

こうなってる理由を誰かに話したら、「そんなことで」と嘲笑されてしまうかもしれない。むしろそう思う人のほうが多いかもしれない。だけど私にとっては、自分の感情をコントロールできなくなりそうなくらい、大変なことなのだ。


認めたくないが、今から四十五分前、私は失恋したのだ。しかも告白して玉砕、とかじゃなくて、高校に入学してから三ヶ月も付き合っていたやつに一方的に別れを告げられてしまった。


三ヶ月って期間は、高校生にしては長いほうだったと思う。周りの友達はもっても一ヶ月、最悪の場合、三日で別れてしまったという話も聞いたことがある。それに比べたら続いてるほうだ。

まあそんなこと、今となってはどうでもいいけど。

今重要なのは、なぜ私達が破局したかだ。このまま理由もわからずに終わってしまうのは、あまりにも気持ちが悪い。しかも振られた側には、全く身に覚えがないのだ。一体私が何をしたと言うのだ。その証拠に、昨日はそれなりに楽しくデートをした。もちろん、二人きりで。

昨日は一学期の終業式だったから、学校はすぐに終わった。明日から夏休みに入るということもあって、一週間前から映画を観に行こうと約束していた。それで学校が終わってから、私達は近くの映画館へと向かった。

そういえば、あの時アイツは映画館まで歩いていこうと言ってたなあ。あれには腹が立った。映画館までは歩いて二十分くらいかかるのに、そんなことをしたら映画を見る前に疲れてしまう。その上、気温は軽く三十度を上回っていたから、当然私は歩きたくないと主張した。前にどこだったかで、女の子は少し我が儘なくらいがちょうどいいと聞いたような気がする。誰が言ったかは知らないけど、そんな言葉があるくらいだから、私程度なら"かわいいワガママ"くらいで済むはずだ。

そしたらようやく言うところを理解してくれたみたいで、ごめんな、といってきた。

まあ、許してあげる。

それで結局、バスで映画館に向かった。

暑さのせいか、どこかやるせなく聞こえるエンジン音と共にバスが発車する。バスに乗ってる途中、一組のカップルを見かけた。暑いだろうに手を繋いでゆっくりと歩いている。そんなことをして、暑くないのだろうか。これからどこまで歩くつもりか知らないけど、頬がピンク色に染まって見るからに暑そうだ。熱中症で倒れてしまいそうなくらいの灼熱。なんでこんな猛暑日にバスやら地下鉄やらを有効活用しないのだろう。私には理解できなかった。暑い中ご苦労様。

一方私達は、映画館までの道のりを快適に過ごしていた。クーラーの効いた車内で、隣には涼しい顔でバスに揺られてる彼氏がいる。その時は、私が誰よりも幸せだと思っていた。

五分程バスに揺られて、映画館最寄りのバス停に到着した。やっぱり乗って良かったじゃない。楽だし、汗もかかない。もしあんな所から歩いていたら、今頃ここに着けてはいないどころか、汗でぐちゃぐちゃになってしまっていただろう。

あれ。思えば今日は珍しく、どこで降りるんだっけとか、必要最低限の会話しかしなかった。いつもなら学校であったこととか、とにかく何かしら喋ったりするのに。なんでだろう。 …まさかさっきここまで歩こうと言ったのを断ったことを怒っているのか。 だとしたら、そんなことで機嫌を悪くするなんて。心が狭いにも程がある。

 いや、そうだとは言い切れないけど。そもそもなぜ歩いて行こうだなんて言ったのだろう。ただ疲れるだけじゃないのか。それがどうしても分からなかった。

「どうした?」

そう言われて、自分が覇気のない顔をしているのに気が付いた。考え事をすると、すぐ表情に出てしまうんだそうだ。

「ううん、何でもない」

そう返事をすると、アイツはそっか、とだけ答えた。

 暫く下を向いて歩いていたら、気づけばもう目の前は映画館だった。

 映画館の中はやっぱり涼しい。ちょうどいい暗さがまた、ひんやりとした空気をもたらしてくれる。まだお昼をちょっと過ぎたくらいだから、人も少なかった。

「何見ようか。」

ズラリと並んだパンフレット置き場の前でそう聞かれた。まだ何を見るか、決めていなかったのだ。

「うーん…」

「これとかどう?」

お互いの声は重なったのに、差したものは違った。

「は…?何それ、ラブストーリー…?」

私は笑いを堪えた。

男が、しかも高校生にまでなったやつが、恋愛ものを見たいだなんて。うーん…たまには、こういうものが見たくなるのかな。

「…悪いかよ…」

不機嫌そうな口調で言う。我慢したつもりだったのだけれど、口元が微妙に緩んでいたみたいだ。まずいな、怒らせてしまっただろうか。

「ごめんごめん。」

それなりに焦っていたけれど、無意識に笑いを含んだ声が漏れる。

「…もういいよ…お前は、これが見たいんだろ。こっち見よう。」

彼が言ったのは、アクション映画。私が指差したものだった。

「わかってんじゃん。」


 こうやって私とあいつの関係は成り立っていた。意見がぶつかれば、私じゃなく、相手が譲る。私達の間ではそれが普通で、日常的な光景…と、少なくとも私は思っていた。


「高校生の、二枚ください。」

高校生、か。

時々、私ももう高校生なんだと実感させられることがある。去年は受験受験、ってみんなうるさくて、結局夏休みは課題と塾に潰されてしまっていた。でも今はそんなもの、ないのだ。

あの時は高校に進学したらしたいことリストなんかを作って、勉強机に貼っていたっけ。

例えば、高校に入ったらクラスのみんなと仲良くしたいとか、可愛くなって告白されて、彼氏をゲットしてやるとか。

 考えれば、すごく小さなことばかりだったけれど、それは確かに私が憧れていた高校生活。

 それが今は現実になっているのだ。




 ……三ヶ月前、私はアイツと出会った。

 アイツは始め、ただの隣の席の人だった。同じクラスの男子の中でも顔がいいという印象はあったものの、そういう人ほど近寄り難く思うのは、女子にならわかってもらえるかもしれない。だから、隣にいても挨拶すらしない、そんな関係だった。

 そんな時。入学して一週間が経った日、私の靴箱に、真っ白い手紙が入っていた。宛先には私の名前。私は手紙を持ったまま、二、三秒、動きを止めて考える。そして小学生の時、毎月欠かせず買っていた少女漫画のワンシーンを頭に浮かべた。いかにも人気があるであろう顔を持つ主人公の靴箱に、一枚の手紙が入っている、そんなシーンだ。もちろんその内容は、仲の良い男子からの呼び出し。

 現実に思考を戻す。

 もしかしてと期待して手紙を開けると、やっぱり手紙の冒頭は「今日の放課後、屋上に来てください」から始まっていた。手紙のどこにも差出人の名前は書いていなかったが、私は先入観も疑問も抱かなかった。私はその日の授業が終わると、ふわふわと軽快な足取りで、真っ先に屋上へと向かう。

 そして屋上のドアを開けると、いたのが隣の席の人だった。

 関わりもなかったし、最初はありえないと自分の目を疑った。だけど案外普通に告白されて、その時の雰囲気に流されて、全く何も考えずに答えを出してしまった。

 そして三ヶ月の間、私とアイツは付き合ってきたのだ。



そういえばなんで私に告白したのだろう。何か私に好きになってもらえる要素でもあったのだろうか。色々と思いを巡らせていると、視界にチケットを持った大きな手が入り込んできた。

「はい、チケット。」

ありがとう、今お金払うから。そういいながら私はアイツのほうに顔を向けた。

やっぱり端整な顔立ちをしている。本当に、こんな私の何が良かったのか。

 しばらく眺めていると、こちらの視線に気付いたようで、私の顔を見る。目が合う。久し振りにちゃんと正面から顔を見たかもしれない。二十センチほどの身長差があるためか普段目が合うことは少なく、時々顔を思いだそうとしても、ぼんやりとしか思い浮かばないことも多々あった。

多分抜き打ちで、「あなたの恋人の似顔絵を記憶だけで書け」なんて言われたら、百パーセント描けない自信がある。

「何か変?」

「そうじゃなくて。綺麗な顔してるな、って思って。」

チケットの代金を渡しながら言った。

「何いってんだよ。」

少し照れ臭そうに顔を背ける。でも表情に陰があるように感じたのは、私の思い過ごしだろうか。今日はアイツとの間に壁を感じることが何度もある。私達の間に漂う空気が、ピンと張っているようだった。


 映画は約二時間の作品。もっと長いと思っていたのだが、案外すぐに終わってしまった。まだ辺りは明るい。どこかに行ってみようか。

「ねえ、このあとどっか行く?あ、そういえば駅前に新しいドーナツ屋が出来たんだって。だから一緒に…」

「あ、いや…俺は行かないや。」

予想外の返事に驚いた。

「行かないの…?用事?」

「……え…」


明らかに返事を渋らせている。何なんだ。せっかく街まで来たのに、このまま帰るの?

「じゃあ行こうよ。明日から休みなんだし。」


アイツは何も言わない。空気が凍ったみたいだった。

「……違うんだよ。」

何が、違うのだ。

するとやっと口を開いた。だけどそれは、私の予想していないものだった。


「あのさ、もう別れないか。」


さあっと、夏らしくない風が吹いた。



それから私が何を言ったのか、どうやって、何のためにここまで来たのかすらもわからない。

 気が付けば炎天下の下でぼんやりしていた。

太陽が真上にある。

 これからどうしようか。することもないので、とりあえずバスを待ってはみるものの、一向にバスは来ない。まだかな。ずっと待っている間に、随分と汗をかいてしまった。ただでさえイライラとしているのに、暑さが余計にイライラを募らせる。

 本当にバス停でも投げ倒してやろうか。

 そう思っていた矢先、遠くのほうから、ようやく赤いバスが来た。誰も乗っていないみたいだ。座れるかな。そう思って、バスに乗った。が、車内には意外なくらいに人がいた。というより、満席。立っている人もいる。

 あれ、見間違えたかな。でも確かに人はいなかったはずだ。今日は色々あったからなあ。疲れているのかもしれない。そう考えて、私はバスに乗った。

乗ってみてふと気がついた。このバスには二人連れが多い。いや、二人連れしかいない。なんだろう、これは今さっき一人になった私への当て付けか?一度そう思ってしまうと、そうにしか見えなくなってきた。腹が立つ。

 それにしても、なんて運が悪い日なのだ。

暑いし、フラれるし、おまけに一人なんだと思い知らされるし。今日一日、全くいいことがない。と思っていたら、私の立っている前の乗客の一人が、もう一人に「行くか」と言ってバスを降りていった。乗車してすぐに席が空いたので、運がいい。本日初めての幸運だ。とりあえず席が空いた。二人がけの席に一人で座る。さすがに一人でここを占領してしまうのは申し訳ないので、持っていた鞄を太股の上に載せて、ずりずりと窓側に体を引き寄せる。私の右隣に、丁度一人分の空間ができた。

 降りた二人を窓から横目でちらりと盗み見ると、手を繋いでいた。ああ、カップルか。チッと、心の中で舌打ちする。我ながら酷い人間だと思ったが、これくらい許してもらいたい。

特にすることもないから、とりあえず前を眺める。さっきよりも人が減ったみたいだ。やっぱりどの人も誰かを連れていた。それは夫婦であったり、友達であったり、親子であったり。とにかくみんな楽しそうなのだ。形は違えど、そこには愛情がある。そう思った。 この人達は、一体どこへ向かっているのだろう。でもみんな、誰かと一緒に目的を持って場所へ向かっているのは確かだ。

なのに私ときたら。 一人で、いや独りで。ただ目的もなくここに乗っているのだ。このバスはどこへ向かっているのか。こんなに人が乗っているのだから、そんな見当もつかないような場所ではないだろうけど。近くの住宅街とかかな。

そんな思いを巡らせていると、後ろから話し声が聞こえてきた。

「映画何見ようか」

「うーん、この前CMでやってたアレとかどうかな。面白そうだったじゃん。」

声に張りのある、若そうな男女の声だ。会話からして、二人は多分付き合っているんだろう。

映画ね。さっき行ったなあ。もうアイツとは行かないだろうけど。

本当に、なんで別れを告げられたんだ。私が何かした?別れよう、だけじゃわからなかった。私が鈍いだけ?もしかしたら、前々から別れる兆しはあったかもしれない。それに私は気が付けなかっただけ。

後ろの二人の会話が気になって、気持ちを後ろに傾ける。

「CMでやってたのもいいけどさあ、あれSFじゃん?お前そんなの好きなの?」

「えー、好きだよ。じゃああんたは何がみたいの?」

「え、俺?うーん…ラブストーリーかな」


二時間くらい前にあいつとしていた会話が頭を過る。


 私は、あの時なんて言ったっけ。


「ラブストーリーがみたいの?」

「おう…いけない?」

「いや、そんなことないけど。珍しいなあ、って。」

だよね、と勝手に相槌をいれる。やっぱり女子はそう思うんだよ。だから私は間違っていない。男子が恋愛ものなんて珍し過ぎ。後ろの人もそう思っているに違いない。

…そう思った時、私を裏切るかのように彼女は言ったのだ。「いいよ、みようよ」って。

え、と一瞬耳を疑う。

「え?いいの?」

そうだよ。男子には譲らせるべきだ。

「うん。そっちも面白そうそうだしさ。それに前映画みた時は、私がみたいものに合わせてくれたし。」

「そんな気にしなくていいのに…でもサンキュ。じゃあこれで五分五分だなあ」

だね、と声がする。ほぼ同時に、笑い声も聞こえてきた。


 よく、わからない。我が儘なほうが可愛いという見解が偏見が、ふっと消えた。

譲るとか譲らないとか関係なしに、二人は笑い合っていた。

後ろの人達は、きっと互いの幸せを願っているのだ。

 …それじゃあ私がアイツの幸せを願っていなかったみたいじゃないか。いや、そんなことはない…はず。

 段々自信がなくなってきた。そんなことはないと、自分で自分に弁解する。誰かが私を咎める訳でもないが、そうでもしないと自分を責めなければいけなくなってしまうのだ。

 …思い返してみれば、私は私はただ、"付き合っている"という形が欲しかっただけなのかもしれない。


 前に一週間だけ、毎日アイツのためにお弁当を作っていたことがあった。いわゆる愛情弁当だ。

 きっかけは友達の一言。私と同じく彼氏がいる友達だった。その子は毎日彼氏にメールをして、お弁当を作って…そんなことをする必要がどこにある。

 そしてある時尋ねた。「そんなの作る必要あるの?」って。すると彼女は私の質問にも答えず、「じゃあ彼氏なのになんで何もしてあげないの?」と聞き返してきた。

 これだ。この言葉で、私はお弁当を作ろうと決めたのだ。

 それから私は、毎朝七時起床だったのを六時起床に切り替えた。眠いのも我慢だ。そして私のより一回り大きい弁当箱にご飯とおかずを詰めていく。

 お昼休みにそれを教室で渡すと、アイツは始め信じられないみたいな顔をしながらありがとう、と言った。確かにこういうことはしてこなかったが、流石に失礼ではないのか。と思いながらも言葉にはしない。

 一緒にお昼を食べていると、クラスの女子の何人かが私のところへやってきた。

「すごいね、そのお弁当!自分で作ってきてあげたんでしょ?」

「うん、まあね。一応彼女だし。」

少し自慢気に話す。


 最初の三日くらいは、誰彼かが私の手作り弁当を褒めてくれた。すごいねー、料理得意なんだねー、って。

 でもそのうちそれが当たり前になってくると、誰も褒めてくれないどころか、関心さえ持たれなくなってしまった。つまらない。

 私は毎朝早起きするのも、お弁当を作るのも止めた。


 今考えれば、お弁当を作ることは私の見栄の表れだったのだ。彼氏がいる自分を精一杯周りに知らしめたかっただけなのだ。


 ああ、そうか。

それにアイツは薄々気付いていたんじゃないか。

私が実際にはアイツのことを好きじゃなかったということに。

そして虚栄心ばかりに執着していたことにも。



 私が好きだったのは、"恋をしている自分"だったのだ。



 そう気が付くと、自然と目からは涙が溢れていた。これは何のための涙だろう。また自分のためのものだろうか。

 でも止められない。ただただそれは頬を伝って流れていくのだ。

 そういえば今私はバスにいるんじゃないか。こんな所で泣いている人は白い目で見られてしまう。咄嗟に顔を太股の上に置いていた鞄に埋めた。顔を上げるわけにもいかなくて、私はそのまま鞄に顔をつけたままの状態でじっとする。バスはひたすら終点に向かって次へ次へとバス停を通り過ぎていった。


 幾つバス停を越えただろう。隣から、お嬢ちゃん、大丈夫かい。といかにも優しそうな声がした。私が泣いている間に、誰かが隣に座ってきたのだろう。大丈夫です。と言って顔を上げながら横を向くと、七十代くらいのお婆さんが座っていた。やっぱりバスの中で泣いている人は目立つのだろうか。

「何かあったのかい?話してみなさい。」

見知らぬ人がそう言ってきたことに驚いた。他人と必要以上の接触を拒む社会の中で、こんな人もいるのかと素直に感心する。

「…いえ…大丈夫です…」

と言ってその人の目を見る。優しい声とは裏腹に、目には力が備わっていた。その目には、何を話しても大丈夫のような安心感さえ感じられる。

話してしまえば楽かな。ふと思い立った。

「…やっぱり、話してもいいですか…?」

不思議とその人との間に、壁は感じられない。

「話してみなさい。何でも聞くから。」

そう言って彼女は私に微笑んだ。


 私は今日あったことを、自分の思い出せる限り全て話す。お婆さんは聞く価値なんて全くない私の話を、うんうん、と時折相槌も入れながら、最後まで静かに聞いてくれた。

全部を話し終えた後、私はついに泣き崩れた。

 自分のしたことが本当に申し訳なく思えて、仕様がなかったからだ。情けない。

そんな私の背中を、彼女は軽く擦った。


「…私、人の心を弄んじゃったかもしれない……ひどいこと…しちゃった……」

「……」

「…どうしよう…」


「そうだね…その男の子は…あなたのことを恨んでいる訳じゃないと思うけどねえ…」

「…そうですか…?」

「だって一度好きになった人のことを、そう簡単に嫌いになったりは出来ないでしょう?どんな態度をとられても、三ヶ月間も付き合っていたんだから、きっとあなたを放したくないくらい好きなところがあったのよ。」

 そうなんだろうか。確かにアイツは、私が学校を休んだ時は心配してお見舞いにきてくれたし、私の我が儘にもずっと付き合ってくれていた。


「今からでも、まだ遅くないんじゃないかしら?」

お婆さんが悪戯っぽく笑って、突然窓の外に向かって指差した。

空中に描かれた、見えない線を目で辿っていく。

 すると、一人の人が私の目に飛び込む。


アイツだ。


 なんで走行中のバスからそう判断できたのかは分からない。もしかしたら違うかもしれない。でも、降りなきゃ。追いかけなきゃ。

「あの、降ります!」

 停車ボタンを押せばいいものを、私は咄嗟に叫んでバスを止めた。

 そうだ、お婆さんにお礼を…と隣を見る。

だが、そこにお婆さんの姿はなかった。降りてしまったのだろうか。そもそも、何であの人はアイツのことを指差したのだろう。偶然だとは思えない。

 「お降りの方、いらっしゃらないんですかー?」

運転手に急かされて、一旦思考を停止させる。

「います!降ります!」

 私は慌ててお金を出してバスを降りた。

あ、いきなりバスを停めてもらったのだから、お礼くらいしないと…

 そうしてくるっと後ろを振り返ると、そこには赤いバスはなかった。進行方向の先を見ても、バスなど見当たらない。まあいいや。


 とりあえず今は、追いかけないと。

何が出来るわけでもない。でも―――。


太陽はまだ真上にある。


そうして炎天下の下で、私は走る。走る。前に向かってひたすら、走った。

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