話題が迷子の世界史A
「うちの学校って、修学旅行どこに行くんだっけ」
突如自習に変わった世界史の授業時間。課題として出されたプリントを最初の15分で終わらせた僕は、後ろの席を振り返り、友人に話しかける。彼はプリントなどそっちのけで、新しい作品の執筆に勤しんでいた。
「海外」
「知ってる。何処の国だったかって話」
「アジア」
「アジアは国名じゃないよ」
「ユーラシア」
「大陸」
「……」
「……」
どうやら知らないようだ。ううん、どこだったかな……アジア圏だったのは思えてるんだけど。
「どうせ国外に出るならヨーロッパに行きたいな」
「へぇ、何でまた」
「向こうの空気を感じたい」
「文化に触れたいってことと受け取っておくよ」
「おう、あながち間違っちゃいない」
彼は一度書く手を止めて、シャープペンをくるくると回す。あ、失敗して床に落とした。
「ちっ」
「あはは、惜しかったね」
「もっと特訓しないとな」
「それより先にプリントやったら? 最後に提出だよ」
「あー……中国史はあまり好かない」
「好みの問題違うから」
僕がそう言っても、彼は顔色一つ変えずに、話を続ける。
「それよりな、古代ギリシャの短さに愕然とした」
「確かに短いね。世界史Bならもっと詳しくやるみたいだけど……」
「Bが選択できるのって、3年になってからだろ?」
「そうだね、来年は日本史か地理だから」
「文系には倫理もあるぜ」
「理系には科学の上位科目があるよ」
「謹んでお断り申し上げよう」
「うわぁ……」
とてもいい笑顔だった。本当に、好きなものにしか関心を示さないやつだなぁ……そんなんでテスト大丈夫なのか? いや、まぁ、そこには触れないでおこう。
「で、何の話だったっけ」
「修学旅行、行くならヨーロッパがいいなって話だ」
「違う気がするんだけど……まぁいいか。ヨーロッパの、何処に行きたい?」
「イタリア、ドイツ、フランスあたりかな」
「バラバラじゃん」
「あぁ。しかも、言葉を全然知らないからな。遭難しそうだ」
「イタリアの街中で?」
遭難って、秘境に行くわけでも、迷子の天才ってわけでもないんだから。
「現在地がわからなくて、目的地と反対の方向に進んでいったりな」
「それは遭難じゃなくて致命的な方向音痴」
「俺は地図が読めないからな」
「誇るなよ!」
授業中だというのも忘れて、少し大きな声を出してしまう。周りからの視線が痛い。ごめんなさい。
「お前は本当、貴重なツッコミだよな」
「条件反射だよ」
「ボケ甲斐がある」
「ボケるな」
くすくすと悪い笑みを浮かべて肩を揺らす彼に嘆息する。当然、幸せが逃げるぞ、と言われたけど、返す気力もなかった。もうひとつ幸せを逃がしながら視線をずらすと、ちょうど時計が目に入る。
「あ、あと10分で授業終わるね」
「もうそんなに経ったのか」
「うん。いい加減、プリント終わらせなよ」
「わかってる。世界史は大体覚えてるし大丈夫さ」
「へぇ、頼もしいね、中国史は苦手なんじゃないの?」
「好かないってだけだ。文系教科なら任せろ」
友人がどん、と胸を叩く。
「理数系は?」
「お前に任せる」
「やっぱそうなるんだ……」
なんとなく、予想はできていたけど。それでも真面目な顔でそんなことを言われると、こっちとしては何とも言えない心境になる。というか、任せられたところでこいつの成績にはならないんだけどなぁ。そんなことを考えているうちに、かたん、と小さな音を立てながら、友人がシャーペンを机に放り投げてプリントを見せびらかしてくる。
「できた」
「早いな」
「ははは、凄いだろう」
「おみそれしました」
10分どころか、5分もかかっていなかった気がする。なんて奴だ。
「これが数学だったら何倍の時間かかっていたのやら」
「そんな話はするな。数字のことなんか考えたくない」
「数字すら嫌なのかよ……」
「冗談だ」
友人が、にやりと意地の悪い笑みを浮かべる。これは人を遊び道具にしてる時の顔だ。やられっぱなしなのは、なんだか悔しい。
「そっかそっか。ところで次は数学の小テストだけど」
悔しいので、言い返してみることにした。
「えっ」
「先週言われたじゃん。聞いてなかったの?」
仕返しも含めて、くすくすと笑ってみる。ひっぱたかれた。いくらなんでも理不尽だろ。
「うわぁ暴力。泣きついてきてもノート見せないからね」
「ぐ……」
「まぁ小テストなんてないんだけど」
「……お前なぁ」
彼が脱力して机に突っ伏す。腕の隙間から溜め息が聞こえたかと思うと、彼は勢いよく顔を上げて、執筆すると言い出した。
「まぁ、君がそれでいいならいいんだけどさ」
僕は何度目かの嘆息とともに、授業終了のチャイムを聞いた。




