線
俺は今、線の上に居る。
行くか戻るか。
その判断を下せずに、いや、下そうとせずに、立ち続けていた。
怖かった。
その判断を下してしまえば、もうもどれはしない。
そのまま落ちる。
落ちるのは、まずい。
落ちるのは、よくない。
まずいっていうのはよくないってコトで、よくないっていうのは悪いってことで……
でも、ここの世界にいたところで今とさしてかわるコトでもなし、すでに未練のない世界ならば落ちても悪いコトでもないのはすでに自分の中で決着はついていることであるし……
頭を振って肺の中に溜まった澱みをはきだして、自分をリセットする。
なんにせよ、保留はいけない。
保留は、不純だ。
不純であることは、他の誰でもなく自分を自分で殺してやりたくなる。
一度、目を閉じる。
落ち着け、思考しろ。
強風が、背を撫でる。
風に連れられた砂が不純な俺を許さずにこの身を削ろうとその敵意を向ける。
ちょっとまってくれ、だったら俺の不純そのものを削ってくれ!!
知らない。
削られる、削られる。
痛い。痛いのは嫌いだ。
いつの間にかあけてしまった目に、
いつもと違いイヤホンをつけぬ耳に、
彼らに俺は削られていく。
再び、俺は暴力に撫でられる。
落ちて行く。
なんて、無様。
なんて、不純。
なんて、臆病。
馬鹿みたいに悩んだ結果が……
ポストとファーストキスだった。
「なにやってるんですか? 兄さん」
こてこてのパンクファッションに身を固めた見た目女子中学生ライクは女子高校生、名を高田秋葉と言う。
「やぁ。素敵な俺の後輩にして義理スター」
義理の妹。つまり義理スター。
同じ学校で同じ創作部(まぁ、その実態はオタクの集まりである)で自己紹介の時に“妹募集中!!”と叫んだ俺に敬意を表してるんだか表してないんだか、俺に判断はつかない。
「死んでくださいブタ野郎!!」
「……随分だな」
愛しのポストに別れを告げ、俺を指差す暴風の化身こと高田秋葉に向き合う。
「人を指差してはいけません、と言うけど、何故だろう!!」
「いや知らん」
確かに何故だろう。
手にしていたコミケの申し込みの封筒はすでにもうポストの中に落ちた。
体重四十二キロの体当たりで吹き飛ぶとは……
元、剣道部のエースの名残は今の俺に無かった。
「……兄さん、逢いたかった」
俺の胸に匂い付けをする猫の用に、目を細め自分の頬を擦り付ける義妹スター。
ポストにぶつけた後頭部が冗談みたいに痛むのも知覚できずに、この突然の展開に俺はついていけていない。
「……兄さんの匂い……好き」
おおう。
「……どうです? ツンデレを再現してみましたが……」
猫の目で俺を見上げる。
「くらっときましたか?」
「ぐっときた」
懺悔します。
私は妹スキーのロリコンです。
鬱だ氏のう。
「兄さん、あのポストの目の前で唸ってたんでとりあえず蹴り飛ばしてみたんですけど、どうしたんです?」
ツンデレ代、百二十円也。
「とりあえずで蹴り飛ばすなよ……とりあえずでするなら抱きついてちゅーしてくれ」
「頭平気ですか?」
ひどっ!! この娘酷いよ!!
「あれは、コミケにでるかでないか悩んでたんだよ」
手の中の缶コーヒーは開かれずに、冬の寒さに挫けた俺の指を必死で応援している。
ビックスクーター(名前をぽちと言う)でここまで走ってきた指先は感覚がない。
「まだ当選するかしないかもわからないのに、ですか?」
「怯える小動物と笑ってくれ」
「それは兄さんが中型の免許取るときに一人でひっそりとそう笑いましたから」
あの、がんばってくださいね、という仮面の裏を知ってしまった。
「怖いんだよ」
「何がですか?」
「さぁ? わからね」
寒空に頼りなく缶を開封する音を投げた。
一気に中身を呷る。
「あっつぅ」
「それはホットですから」
そのまま投げ捨てる。
綺麗な放物線を描く銀色の缶は、そのまま缶・瓶専用のゴミ箱に。
ゴミはゴミ箱へ。これ、誰でもできる地球への感謝。
わすれちゃダメ。
「兄さん。夢、ありますか?」
「夢?」
「そう、夢です」
「あるよー。ちょーでっかいのが」
「なんです?」
左足一本で秋葉に振り返る。
その目は真面目。
ここらへんの切り替えはきっちりする。
本当に、よくできた人である。
「この世界をね、俺のにしたいの」
「なら……兄さんコミケなんかで止まってちゃダメじゃないですか」
「言うじゃん」
「はい、私は兄さんの妹です。兄さんが好きだから、包み隠さずいいますよ」
「……え?」
ため息。
「気付け、この先輩」
立ち上がる。
ふわり、と揺れる髪。
脳に奔る記憶。
ずっと、前。
ずっと、ずっと前。
俺が冗談で、横ポニ萌え〜、とか言ってからずっとその髪型だったのは誰だ。
創作部の合宿で、誰かが言い出した王様ゲーム。
その結果、抱き合うことになってしまった俺と知らない女生徒を見ながら泣いたことを隠していたの誰だ。
高田秋葉。
彼女以外、だれがいると言うのか。
再び、彼女は俺の胸。
母親に甘える猫を想像する。
「大きい夢じゃないですか。一人で平気ですか?」
「入り口で怯える小動物だぜ? 無茶言うなよ」
素直に、なれない。
「……雑魚キャラ?」
「っていうかー、褒められて伸びるタイプなんで」
素直に、なろう。
「鈍い奴でね。人に言われないと気付けないんだ」
周りの目なんて、どうでもいい。
腕を回す。
小さな身体。
震えていた。
「弱い奴でね。誰かがいないと戦えないんだ」
運で左右される当落にびくびくする俺は弱い。
人に判断される告白を実行したこの人は強い。
「お前は強いな」
「弱いですよ……だから、兄さんと一緒に居たいんです。始まりは……兄さんが絵を描いていたときです。その目。その目が大好きでした」
秋葉は続ける。
「次は、合宿のとき、兄さんが他の女の人と抱き合っているところを見てからです。私はこの人が大好きなんだって思いました」
秋葉は終わらない。
「それからずっと……今に至ります。だから、勇気出しました。でも、これが限界です。頭真っ白で倒れちゃいそうです」
あはは、と笑う。
境界線。
その線は、立場を二分する線。
先輩後輩か、恋人か。
ずっと前から俺はきっとそこに立っていた。
高田秋葉と一緒に。
多分、俺も好きだったんだろう。
いや、好きだった。
断言できる。戯言でも狂言でもない。
それでも、言い出せなかった。
怖かった。あの暖かさを壊してしまいそうで、線の上に立ち続けてた。
それは秋葉を苦しめて、苦しめて苦しめて。
情けないと思った。
逃げた俺と逃げなかった秋葉。
「ごめん……」
その言葉に俺の背に回された腕が解ける。
「そう……ですよね」
「ああ!! 違う!! 違う!! そうじゃない」
秋葉の腕が解けた分、俺はいっそう強く、抱き寄せる。
「苦しませて、ごめん。悩ませて、ごめん。悲しませて、ごめん。気付けなくて、ごめん。臆病で、ごめん。言えなくて……言えなくて、情けなくて、ごめん。
俺は秋葉だ好きだ。
遅くなって……ごめん」
「まったくですよ……遅すぎです」
再び、その腕は繋がった。
境界線から一歩、歩き出す。
抱いた夢を持ってもらい、俺は歩く。
止まりなどしない。
高田秋葉と一緒に、俺は行く。