建国の石
平壌城の最上層。雲を衝くような天守閣で、風が哭いていた。
下界では、高句麗の兵たちとソムラの残党が入り乱れ、鬨の声が地鳴りのように響いている。しかし、この頂上だけは、耳が痛くなるほどの静寂に包まれていた。
トムルの前には、二人の男が立っていた。
一人は、狂気と執念に憑りつかれたソムラ王、ヨルム。
そしてもう一人は、チェリョンの兄であり、西方の騎士の誇りを汚された男、アルカ。
「トムル、ここが貴様の、そして貴様の築いた砂の城の終着駅だ」
ヨルムが血に濡れた長剣を突き出す。その隣で、アルカが静かに蒼い剣を引き抜いた。
トムルは、二人を真っ直ぐに見据えていた。その手には剣はなく、ただ一つ、掌に収まるほどの「石」があった。十二年前、月影の入江で拾い、肌身離さず持っていた、あの平たい石だ。
「アルカさん。……チェリョンは、あなたをずっと待っていました。あなたの騎士道は、こんな冷たい城を救うためにあったのではないはずだ」
「黙れ! 言葉で世界が変えられると思うな!」
アルカが風を切り、電光石火の突きを放つ。トムルはそれを紙一重でかわし、掌の石を空中に放り投げた。
――パァン。
石がアルカの剣の平を叩き、軌道を僅かに逸らす。それは殺すための技ではなく、相手の迷いを突くための、慈悲の打撃だった。
「あなたの妹が愛したのは、僕ではなく、僕たちが作ろうとした『誰もが眠れる国』だ。……そこには、あなたの居場所もある」
アルカの剣が、一瞬、震えた。その隙をヨルムは見逃さなかった。
「役立たずめ!」
ヨルムの刃が、躊躇なくアルカの背を斬りつけた。
「……っ!」
崩れ落ちるアルカ。トムルの瞳に、かつてない激しい「怒火」が宿った。
「ヨルム……。お前が踏みにじってきたのは、敵の命じゃない。人の心だ」
ヨルムが咆哮と共に肉薄する。八極拳の勁力を込めたヨルムの打撃がトムルを襲う。しかし、トムルはもう、かつての怯える少年ではなかった。
彼は懐から、次々と石を取り出した。それは、この十二年で彼が歩んできた道、出会った仲間たちの数と同じだけの石だった。
一投。ガリムの剛毅な槍のように重く。
二投。ソリムの神速の矢のように鋭く。
三投。テムジンの不屈の魂のように力強く。
ヨルムの鎧が砕け、剣が折れる。
最後の一投。トムルは、あの十二年前の石を握りしめ、ヨルムの眉間へと踏み込んだ。
「これは、僕が殺した民の、涙の重さだ!」
渾身の力で放たれた石は、ヨルムの野望とともに、ソムラの呪縛を打ち砕いた。
大広間に、静寂が戻る。ヨルムは膝をつき、そのまま動かなくなった。
夜明け。平壌城の頂に、高句麗の蒼き旗が掲げられた。
ガリムは血まみれになりながらも、ソリムに肩を貸されて城門を潜った。テムジンは「やはり土の上はいい」と地面を叩いて泣き、ハリムは静かに扇子を閉じて、新しい国の地図を広げた。
城壁の端で、トムルとチェリョン、そして一命を取り留めたアルカが、昇る朝陽を見ていた。
「終わったんですね」
チェリョンの問いに、トムルは首を振った。
「いや、始まるんだよ。石を投げる必要のない、新しい日々が」
私は、その光景から少し離れた場所で、最後の一帳を開いた。
インクはもう、底をつきかけている。だが、心はかつてないほど満たされていた。
『建国の朝。一人の臆病な男が、大陸の形を変えた。』
『彼は英雄でも、神でもなかった。ただ、誰よりも人の痛みを知り、誰よりも平和を諦めなかった、不器用な石投げの男だった。』
『仲間たちはそれぞれ、新しい役目へと散っていくだろう。ガリムは後進を育て、ソリムは国境を護り、テムジンはまた草原へ駆ける。ハリムはこの国の背骨を作り、チェリョンはその心臓となる。』
『そして私は。』
『私は、このとんでもない男の隣で、筆が折れるまで記録を書き続けるだろう。』
『後世の者がこの記録を読み、こう笑うがいい。「なんと、甘い王がいたものだ」と。』
『その甘さこそが、この国の礎なのだから。』
私は、最後の一行を書き込み、帳面をそっと閉じた。
遠くから、トムルの笑い声が聞こえてくる。
「まったく、とんでもない男に会ってしまった。」
〔チャリム・ソノの記録 最終帳・完〕




