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高句麗の獅子  作者: 水前寺鯉太郎


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ハリボル国、蒼き怒涛

潮の香りが、霧の中から漂ってきた。

 ヌルボルの豊かな大地を背にし、私たちは西の果て、断崖と群青の海が支配する「ハリボル国」の国境へと辿り着いた。

「ハルム王か。面倒な男ですよ、あれは」

 ハリムが、海風に煽られる扇子を忌々しそうに閉じながら言った。

「武勇に優れ、自尊心はエベレストより高い。理屈で説得するのは時間の無駄だ。……ですから、少しばかり『劇薬』を使いました」

 ハリムが送った書状には、こう記されていたという。――「南の島の若き真王が、ハリボルの老いた小王に、海の治め方を教えに参る」と。

「ハリム、それはやりすぎだよ……」

 トムルの困惑をよそに、翌朝、水平線にはハリボル国の重装帆船がずらりと並んだ。

 だが、作戦開始直後、我らが最強の戦士に異変が起きた。

「……う、うう……。大地が……大地が揺れている……」

 テムジンだ。北方の原野を駆ける時、あれほど猛々しかった男が、船の甲板で青白い顔をして這いつくばっている。

「しっかりしろ、テムジン! 敵が来るぞ!」

 ガリムが檄を飛ばすが、テムジンは「殺せ……いっそ俺を殺して、土に埋めてくれ……」と呻くだけだった。この「草原の虎」にとって、揺れる床はソムラの鉄騎兵よりも恐ろしい敵だったらしい。

 戦況は芳しくなかった。ハリボル海軍の操船技術は一級品だ。

 しかし、トムルは船縁ふなべりに立ち、じっと水面を見つめていた。彼の目は、戦場ではなく、波のうねりと、海鳥の飛び方、そして遠くの入道雲を捉えていた。

「ハリム。……今だ。舵を右に。あの岩礁の影へ逃げ込むんだ」

「あそこは浅瀬ですよ。沈没する気ですか?」

「大丈夫。三十分後、潮が完全に引く。その時、ここを通れるのは僕たちの小舟だけだ」

 トムルの言葉には、島で石を投げて生きてきた者特有の、自然に対する絶対的な信頼があった。

 逃げるトムルの船を追い、ハリボル国の大船団が浅瀬へと誘い込まれる。やがて、潮が急激に引き始めた。巨大な帆船たちは、次々と隠れ根に腹を突き立て、身動きが取れなくなる。同士討ちが始まり、海戦の優位は一瞬で逆転した。

 その時だ。

 旗艦の崩壊とともに、ハリボル王・ハルムが荒れ狂う海へと放り出された。

「王を討て! 今こそハリボルを屈服させるのだ!」

 ガリムが槍を掲げて叫ぶ。

 だが、返ってきたのは、鈍い水音だった。

 トムルが、鎧を脱ぎ捨てて海へ飛び込んでいた。

 渦巻く潮に揉まれながら、彼は必死にハルムの髪を掴み、浮木へと押し上げる。

「……なぜだ。なぜ、殺さぬ」

 救い上げられたハルムが、荒い息を吐きながら問うた。トムルは海水に濡れた顔を拭いもせず、ただ笑って答えた。

「島では、海に落ちた者は皆、家族なんです。敵なんて、そこにはいない」

 その夜、ハリボルの王宮。

 びしょ濡れのまま、共に焚き火に当たる二人の「王」がいた。

 ハルム王は、トムルの震える肩に、自分の真紅の外套をかけた。

「……ハリムといったか。貴公の書状は実に腹立たしいものだったが、連れてきた『真王』は、確かに私の知らぬ海を知っていたようだ」

 私は、湿った潮風に帳面をはためかせながら、筆を走らせた。

『テムジンは今も陸に上がって地面を拝んでいる。』

『ガリムは敵の強さに敬意を払い、酒を酌み交わしている。』

『そしてトムルは、また一人、強大な味方を得た。』

『しかし、ハルムの外套を纏ったその背中は、まだどこか頼りない。』

『明日には、この海を渡って、いよいよソムラ国の中心へと向かうことになるだろう。』

『歴史は、一人の男が海に飛び込んだあの瞬間から、大きくその舵を切ったのだ。』

〔チャリム・ソノの記録 第十一帳より〕

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