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第6話【遠ざかる背中】

「終わったー!」


 教室を出たアレサは、思わず歓声をあげた。


 3日間にわたる筆記試験のすべての行程を終え、資料の山とにらめっこする日々がようやく終わった。


「今回も、クラリスさんのおかげで何とかなりました……」


 いつもは元気なシンシアも、心なしかやつれて見える。試験前のクラリスによる追い込みは、それは壮絶なものだった。


「まあ、何とかなってよかったわ。それじゃあ、私はサリアさんのところに行くから、これで」


 いつも通りの様子のクラリスは、軽く手を振ってから、サリアの部屋のほうに歩いて行った。


「最近、ずっとサリアさんのところにいますよね」


「話が合うんじゃない? クラリスと対等に話せる候補生なんていないから」


 クラリスの後姿を見ながらそっとこぼすシンシアに、アレサは答える。


 クラリスの知識は、すでに候補生の範疇に収まらない。それに加えてアレサもシンシアも、どちらも実技寄りなため、座学寄りのクラリスと勉強の話を日常ですることはほとんどない。


 そのせいか、一緒に訓練をしたり観測をしているとき以外のクラリスは、ひとりで黙々と勉強していることが多かった。


「あーあ、なんだかクラリスさんを取られちゃったみたいです」


「そうは言っても、別に一緒にいる時間が減ってるわけじゃないよ。訓練とか観測は普通にしてるじゃない」


「それはそうなんですけど」


 どうもシンシアは歯切れが悪い。その理由は、アレサにもだいたい想像がつく。


 シンシアは人懐っこい性格だが、言い換えれば甘えん坊な面がある。シンシアのクラリスに対する態度は、同期の候補生というよりも母親と娘のように見えた。


 要は、やきもちを焼いているわけだ。


「あら、まだ部屋に戻っていなかったのですか」


 教室のドアを開けたハンナが、廊下でしゃべっているアレサとシンシアに声をかけた。


「ふたりでいるのは珍しいですね。クラリスと喧嘩でもしましたか?」


「ここのところ、サリアさんっていう星読みの人と仲良くしてるみたいです。シンシアがやきもち焼いちゃって」


「ちょっ、変なこと言わないでくださいよ、もー!」


 冗談めかして言うアレサに、シンシアが慌てた様子で止めに入る。


「サリア? サリアに会ったのですか?」


「はい。この前の事件のときに。そういえば、ハンナさんのお知り合いなんですよね? 後輩っておっしゃってましたけど」


「後輩……といえば、そうですね。彼女は私のことを何か話しましたか?」


 珍しくハンナの表情が暗い。


 アレサは、ハンナのことを話すときのサリアの様子を思い出した。お世辞にも、良い印象を持っているとは言いにくい。


「ハンナさんのことを、星読みとしては甘い人だと」


 アレサは正直に答えた。少なくとも、アレサはハンナに嘘をつきたくなかった。


 それに、サリアの意味深な素振りも気になっていた。


 サリアとハンナの過去に何か因縁があることは、アレサでも容易に想像がつく。


「甘い、ですか。そうですね、私は彼女をずいぶんと失望させてしまいましたから」


「失望? 先生がですか?」


 シンシアが、信じられないといった様子で言う。アレサもまったくの同意見だった。


 アレサの知る限り、ハンナはとても優秀な星読みだった。その能力を買われたからこそ、若くして監督官を任されている。


 ハンナは、心配そうな表情のアレサとクラリスに弱々しく微笑みかけ、ようやくといった様子で口を開いた。


「彼女は優秀な星読みです。私以外の考えを学ぶのも良いことでしょう。それでは」


 そう言ってハンナはアレサたちと別れた。


 廊下に残されたアレサは、シンシアを連れて観測室に向かう。


「なんだか、すごく奥歯にものが挟まってる感じでしたね」


「まあ、ハンナさんもサリアさんも、直接話さないってことは何か理由があるんだよ」


「あー、気になります」


 シンシアが頭を抱える。


「きっと、そのうち話してくれるって」


 そう言って、アレサはシンシアの肩を叩いた。


 観測室に着いたアレサたちは、しばらく作業に没頭していた。口を開くとお互いに余計なことを口走りそうで、目の前の作業に没頭しているほうが、ずっと楽だった。


 どれだけの時間が経ったのか、観測室のドアがノックされる。アレサとシンシアが顔を上げると、ドアのところにクラリスが立っていた。


「部屋にいないからもしかしてと思ったら、まだやってたの?」


「え? もうそんな時間?」


「もうすぐ就寝時間だっての……いつも試験が終わったら部屋でダラダラしてるくせに。何かあったの?」


 シンシアの目がわかりやすく泳いだ。


「ごめんごめん。久しぶりにじっくり観測ができるから、私が付き合わせちゃった」


「そそそ、そうなんですよ! もー、アレサさんってば本当に観測が好きなんですから」


 クラリスは、ふたりの表情をかわるがわる眺めてから、軽くため息をついた。


「手伝うから、さっさと片付けて寝ましょう」


「はーい」


 アレサとシンシアは素直に従い、3人で観測記録と道具を棚に戻して部屋に戻った。


「明日からはやっと試験を忘れて、いつも通りの日常ですよ」


 シンシアは、鼻歌交じりでアレサたちの先を歩いていた。


 その背中を見ながら、クラリスがそっとアレサの腕を小突いた。


「で? 何があったの?」


 前を歩くシンシアに気づかれないよう、だいぶ声を落としてクラリスがアレサにたずねた。


「本当に大したことじゃないよ。ただ、ハンナさんにサリアさんのことを話したら、サリアさんを失望させたとか言ってたから、シンシアが気にしてるだけ」


 アレサも声を落として答える。


 アレサの言葉を聞いたクラリスは、ハッとしたような表情を浮かべてから、何か考え込むように眉間に指をあてた。


「どうしたの?」


「ううん、なんでもない」


 クラリスの返事は何とも歯切れが悪かったが、あまり深く追及するのも悪いような気がして、アレサはそのまま黙っていた。


 すぐ隣を歩いているはずのクラリスが、少しだけ遠くに感じる。


 ◆ ◆ ◆


 ――観測室で3人が合流するより、少し前。


 クラリスが招かれたサリアの部屋は、相変わらず神経質なほどに整頓されていた。


 クラリスはすっかり定位置になった椅子に腰を下ろし、サリアの論文に目を通す。


「どう? 過激な内容だから反発も多いと思うけれど」


「星の選別というのは、過激……というより、現状では危険な思想だと思います」


 クラリスが率直な感想を口にすると、サリアは薄い笑みを浮かべた。


「率直で良い答えね。私たちは日々、星の観測をしている。その中には、寿命を迎えるに値しない星も観測される」


 サリアの静かな言葉に、クラリスはすぐに返事をすることができなかった。


「空は、無限に星を受け入れられるわけではないのよ。幸か不幸か、かつてひとりの星読みが犯した過ちによって、私たちはそれを知ることになった」


「どういうことですか?」


「星読みには、【延命】と【絶命】という相反する力が備わっている。それなのに、延命だけが今では禁忌とされている。その理由を考えたことはあるかしら」


「いえ……規律として、そう定められているからだとばかり」


「その規律が生まれるきっかけになった出来事があったのよ。無秩序な延命を繰り返した結果、空は星であふれ――零れ落ちた。あなたに想像できる? 空に穴が空く光景を」


 サリアの口調は静かだったが、クラリスは言葉を失った。


 その光景の恐ろしさもさることながら、そんな過ちが犯されていたという事実そのものが、クラリスの価値観を大きく揺るがした。


「その過ちによって、私たちは空に許容量があることを知った。最近の観測記録を見ると、寿命を迎える星よりも生まれる星のほうが増加傾向にある。いずれ、空はまた星を支えきれなくなる時が来る」


「そのための選別ですか」


「そう。もちろん、これも簡単なことではない。けれど、空の秩序のために誰かがやらなければならないことなのよ」


 そう言ってから、サリアはそっとクラリスの手を取った。


 ひやりとした手のひらの感触に、思わずクラリスの体が跳ねる。


「あなたなら、理解できるでしょう? そう見込んだからこそ、それを見せたつもりだけれど」


「もしも、本当に空が星を支える能力に限界があるとすれば、サリアさんの説は、秩序維持の観点では正しいと思います」


 クラリスの言葉に、サリアは満足げにうなずいた。


「即答しないところも、私が見込んだとおりね。これであっさり受け入れるような浅慮では困る。じっくり考えてちょうだい、空の秩序について」


 サリアはそう言って、クラリスの手を離した。クラリスの手に、じんわりとしびれにも似た感覚が残る。


「さあ、すっかり話し込んでしまったわね。そろそろお開きにしましょう」


 サリアと別れ、廊下を歩きながらクラリスは考え込む。


『サリアさんの考えは、きっと今の星読みたちには受け入れられない。でも、もしも、本当に夜空が星を支えられなくなってしまうのだとしたら、異端の汚名を着てでも誰かが秩序を守らないと……サリアさんにはその覚悟がある。私には……』


 クラリスの脳裏に、星の断末魔を聞いたというアレサの姿がよみがえる。


 感情としては、サリアの考えは容易に受け入れがたい。ただし、星読みの役目は夜空の秩序を守ること。感情に任せてひとつの星に固執して、より多くの被害を招くことをクラリスの理性は正しいことだと判断しない。


 そう頭では理解しているのに、クラリスの心は重く、苦しい。


 今まで、クラリスは感情と理性の乖離というものをほとんど経験してこなかった。それは、クラリスが理性や規律というものを感情よりも優先してきたからだ。


 この瞬間でさえ、クラリスひとりだったら悩むことはなかっただろう。それなのにこんなにも胸を締め付けられるのは、アレサの思い悩む姿を、誰よりも身近に感じてきたことの証明なのかもしれない。


『あなたならきっと、こんなふうに悩んだりしないんでしょうね。アレサ……』


 クラリスは自嘲じみた笑みを浮かべる。


 アレサは、悪く言えば単純で短絡的だが、逆に言えば行動理念がはっきりしているということだ。信念に従い、時には規律を破ることもいとわない。そのまっすぐさが、クラリスには少しうらやましくもあった。


『私にできること。私のやるべきこと』


 静かに自問自答を繰り返す。


 大きな問題の解決方法がすぐに思いつくことはない。


 ただ、ひとつひとつの小さな問題に対して、愚直に向き合い続け、小さな歩みを止めないこと。


 そうやってクラリスは今までの課題を乗り越えてきた。そのやり方が正しいと信じて、これからもそれを続けることしかできない。

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