第2話【謹慎の夜】
「ちょっと、アレサさんちゃんと聞いてます?」
「え、あ、ごめん。ぼーっとしてたかも」
「もー、だめですよ。ちゃんと補習しないと謹慎明けないですよ」
教科書を片手にシンシアが頬を膨らませる。
「ごめんごめん」
アレサは謝りながら、手元のノートに視線を移す。
謹慎中は部屋の外に出ることができない。それは監視役であるシンシアとクラリスも同様だが、ふたりの場合はどちらかが部屋に残っていれば良いので、交代で外出している。
シンシアは部屋にいる間、熱心に授業の復習をしていた。
筆頭候補生であり優等生であるクラリスと違って、アレサとシンシアの成績はあまり褒められたものではない。
シンシアは、アレサとクラリスよりも年齢がひとつ下だ。それでも年上の部屋に編入される程度には優秀なのだが、いかんせんケアレスミスが多い。その点はハンナからもよく注意されていた。
「シンシアはさ、何で星読みになろうと思ったの?」
「私ですか? うーん、あんまり考えたことないかもです」
「そっか」
それほど珍しい話でもない。
星読みは誰もが憧れる役目であり、特別な感情を持たなくとも星読みを目指す候補生は多い。むしろアレサのように、子供のころからずっと憧れていたほうがよほど珍しい。
「アレサさんは、子供のころからずっと星読みを目指してるんですよね」
「うん。憧れている星読みの人がいてね。子供のころから星を見るのが好きだったし」
「今でもずっと星を見てますもんね。アレサさんほど熱心に観測をしている候補生はいませんよ」
星の観測は候補生の最も一般的な役目だが、その実態はあまり人気の役目というわけでもない。
夜空の秩序は星読みによって保たれており、星を観測したところで毎日代わり映えのない記録をつけ続けるだけだ。
それでも、ごくたまに予定外の事態を観測することがある。それらの予兆をいち早く発見することは、星読みにとって重要な資質を養う訓練になる。
アレサにとって、星の観測は楽しい役目だった。
ほかの候補生は変わり映えしないというが、夜空の表情は毎日微妙に変化している。同じ星が存在しない以上、毎日生まれては消えていく星々は夜空の表情を変えてくれる。
そして、アレサにとって最も関心があるのは星の声に耳を傾けること。
候補生になる少し前から、星の声はぱったりと聞こえなくなった。それはアレサにとって少しの安心と、さびしさを感じさせる。
子供のころには日常的に聞こえていた星の声。ハンナが特別な才能だと認めてくれた声が聞こえないことは、アレサに焦りをもたらす。だからこそ、アレサは誰よりも熱心に星の観測を行っていた。
『それでも、いざ星の声が聞こえたらあんなことに……』
クラリスに掴まれた感触が、肩にまだ生々しく残っている。
本気で叱りつけた表情も。
不用意に星に触れようとしたアレサの行動は、常識的に考えれば軽率としか表現のしようがなかった。そのことはアレサも理解している。
それでも、星の悲痛な声を聞いたらいてもたってもいられなかった。
誰にも届かない助けを求める声が、アレサの耳には届いた。もしも同じことが起こったら、その時のアレサが冷静な判断を下せるかは怪しい。
「アレサさんは、星の声が聞こえるんですか?」
シンシアは顔を伏せ、おずおずとアレサに尋ねる。
「あの時、アレサさんは星の声が聞こえる、助けてって言ってるって教室を飛び出していきましたよね」
「そんなこと言ったかな。混乱しててあんまり覚えてないや」
とっさに嘘をついた。
アレサにとって、星の声が聞こえることは決して良い思い出ばかりではない。
嘘つきと蔑まれ、異常者だと罵られたことは、今でも心に疼く生傷だった。
「あの時のアレサさんの行動は軽率だったと思います。だけど、もしも本当に星が助けを求める声が聞こえたなら、私もおなじことをしたかもしれない」
シンシアは慎重に言葉を選んでいる様子で、ぽつりぽつりと言葉を続ける。
「星の声が聞こえるのなら、アレサさんはきっと、誰よりも星に寄り添える素敵な星読みになれると思います」
しばらく呆けてから、アレサはようやく自分が慰められているのだと気づいた。
「ありがと。そう言ってもらえて、少し気持ちが軽くなった」
そう言ってアレサはシンシアの手を握った。
シンシアの表情がパッと明るくなる。
「私は感心できないけどね」
ドアのほうから声がして、アレサとシンシアは声の主を見る。
食事を載せたカートの横に、クラリスが腕を組んで立っていた。
「シンシアもだけど、星読みに必要なのは秩序を守ること。それが最優先。星に寄り添うといえば聞こえは良いけれど、それだって規律の範囲内でという大前提を忘れちゃだめよ」
説教じみた口調で話しながら、クラリスはテーブルの上に食器を並べる。
「それとアレサ。星の声が聞こえるなんてよそでは言わないほうが良い。星が声を発するなんて聞いたこともないし、誰も信じないと思う。信じないだけならまだしも、妄言だと判断されればあなたの今後にも関わる」
食器を並べ終わったクラリスは、自分の席に腰を下ろしてから大げさにため息をついた。
「うん、心配してくれてありがとう。誰にも言わないようにする」
「ばっか。別にあなたの心配してるわけじゃないわよ。巻き添えを食ったらたまらないって話」
ルームメイトは運命共同体。卒業する時も落第するときもずっと一緒の存在だ。優等生のクラリスにとって、アレサとシンシアの存在は足手まとい以外の何物でもないだろう。もっと優秀な候補生と組んでいれば、とっくに正規の星読みになれているほど優秀な成績だった。
アレサも、自分がクラリスの足を引っ張っている自覚はあった。それに加えて今回の不始末は、クラリスの査定にも悪影響があるだろう。
「本当にごめん。私のせいで」
アレサがうなだれると、クラリスは苛立たしげに頭をかく。
「別に責めてるわけじゃないって……アレサがしおらしいと、こっちの調子が狂うわ」
「クラリスさんはいつもアレサさんの心配をしていますね」
シンシアがくすくすと笑う。
「ずいぶん生意気な口が利けるようになったわね、シンシア。これは次の試験が楽しみだわ」
「ひええ、勘弁してください」
「私は私の実力で星読みになる。誰がパートナーであろうと関係ない。ほら、冷めるわよ」
クラリスに促され、アレサとシンシアも食器を手に取る。
食事中は基本的に言葉を発さない。3人は黙々と食事を口に運び、食器がこすれる音だけが部屋の中に響いた。
食事を終え、クラリスは食器を下げるためにまた部屋から出て行った。
「クラリスさん、やさしいですよね」
教科書を広げながら、シンシアが笑みを浮かべながらつぶやく。
「あれをやさしいって言えるのは、人を見る目があるね」
「そんなことないですよ。確かに、クラリスさんはほかの候補生には誤解されてるとこがありますけど……確かに、ちょっと口は悪い感じで、態度が冷たい感じですけど」
ぽろぽろと悪口がこぼれ出てくる。
「クラリスさん、アレサさんが飛び出していったとき、真っ先についていきました。船だって、先生よりも早く漕いでアレサさんに追いついたんです。きっと、誰よりもアレサさんのことをよく見てるんですよ」
「危なっかしいからマークされてるのかな」
「もー、またそんな心にもないことを。よくないですよそういうの!」
シンシアが頬を膨らませる。
「ごめんごめん。さ、続きしようか」
アレサはシンシアをなだめながら、自然と頬が緩むのを感じた。
『よいルームメイトに恵まれましたね』
ハンナの言葉が思い出される。
『本当に、私には過ぎたルームメイトだよね』
アレサは、改めてふたりの存在の大きさを感じた。
厳しくも思いやりのあるクラリスと、人懐っこく気配りのできるシンシア。アレサがこのふたりにどれだけ救われているのか、この謹慎期間中に思い知った。
◆ ◆ ◆
謹慎期間が明け、アレサたちは連れ立ってハンナのもとに課題を提出しに行った。
ハンナは課題に目を通し、最後にそれらを机で叩いて角を揃えながらにっこりと笑みを浮かべる。
「よくできていますね。合格です。現時点を持ってアレサ候補生の謹慎を解きます。クラリス、シンシア両名の監視役も同時に解任とします。あらためて、よく頑張りましたね」
「はい、ありがとうございます」
3人は口を揃えて返事をして、少しだけ緊張した空気が和んだ。
「今日の授業は免除します。3人ともそれぞれ観測の役目を再開してください」
「わかりました」
そう言って、アレサたちは連れ立って教師を出ようとする。
「アレサ、少し良いですか」
「はい?」
ハンナに呼び止められ、アレサはクラリスとシンシアに先に行くように促し、自分はハンナのもとに戻った。
「謹慎中はどうでしたか」
「はい。あらためて、私はクラリスとシンシアに支えられているのだと再確認しました。私のせいで授業が遅れたのに、ふたりは何も言わずに私に付き合ってくれて……それに、声のことも心配してくれました」
「そうですね。星の声のことは、私たちだけの秘密にしておきましょう。あなたのその特別な才能を、誰もが素直に受け入れられるわけではない。むしろ、あのふたりが特別なのです」
「はい。私もそう思います」
「それならば結構。今後は一層気を引き締め、ふたりの友情に報いるように」
「わかりました」
「呼び止めてごめんなさいね。話は終わりです。さあ、行きなさい」
「はい」
アレサはハンナに深々と頭を下げ、教室を出た。
観測室に向かう途中、ほかの候補生たちの集団に出会った。アレサが謹慎処分を受けたことは周知の事実であり、奇異の視線が向けられるのをアレサは感じる。
「ほら、あの子よ。規律違反で星に触れようとした」
「信じられない。候補生の分際で」
「クラリスも気の毒よね、あんな劣等生のせいで」
ひそひそと話す声が、嫌でもアレサの耳に届く。
また、こうして後ろ指をさされている。アレサにとって珍しくもない感覚だが、だからといって平気なわけではない。
歩調が落ち、ついには立ち止まってしまう。
呼吸が荒い。動悸がする。涙がこぼれてしまいそうになる。それだけは必死にこらえた。
『怖い。怖い。誰か、助けて……』
「誰が、気の毒だって?」
凛とした声が響いた。
アレサは顔を上げる。
腕を組んで苛立たしげな表情を浮かべているクラリスと、その後ろに隠れるようにシンシアが立っていた。
候補生はばつの悪そうな表情を浮かべ、クラリスから視線を逸らす。
クラリスは心底軽蔑したような視線を候補生たちに投げかけ、吐き捨てるように言葉を続ける。
「ほら、はっきり言ってごらんなさいよ。誰が、誰のせいで気の毒だって?」
「私たちは別に……」
「別に、何だってのよ。本人を前にして口に出せないようなことを、こそこそ口にするんじゃないわよ。恥ずかしい」
「行きましょう、アレサさん」
シンシアがアレサの手を引く。
アレサはうつむいたまま、シンシアに手を引かれて観測室に向かった。
気まずそうな候補生たちに一瞥をくれ、クラリスもふたりに続く。
「あー、腹立つ! 誰がパートナーだろうと私の実力が落ちるわけじゃないっての。仲良しごっこで候補生やってる連中と一緒にされたくないわ」
クラリスの足音が荒っぽくなる。
「気にしないでくださいね、アレサさん。人のうわさも何とやらです」
「あなたも、あんな木っ端連中に陰口叩かれたくらいでうじうじしないの。他人が何と言おうが関係ないでしょ」
「うん、ありがとう」
消え入りそうな声で続ける。
「ふたりとも、本当に、ありがとう」
クラリスは変わらず不機嫌そうな様子で鼻を鳴らす。
シンシアがアレサの背をなでる。
その手は本当に温かかった。
それでも、アレサは薄々感じていた。
これはきっと始まりに過ぎない。これからもっと大きな試練がきっと待っている。
『それでも、乗り越えなくちゃ。きっと乗り越えてみせる。このふたりと一緒なら、必ず』
3人の行く末を案じるように、星は不安げにまたたいた。




