第10話【星を選ぶ者】
クラリスは自分の船の前に立ち、ひとり夜空を見上げていた。
これから起こそうとしている出来事を考えると、いつもと同じはずの空も心なしか騒がしく見える。
この静寂も、今夜で終わる。何もかもが変わってしまう。他ならぬ、クラリス自身の手で。
「準備は良い?」
自分の船の点検を終えたサリアが、静かな口調で語りかけてくる。クラリスは視線を下ろし、黙ってうなずいた。
「結構。さあ、手を出して」
サリアに促され、クラリスは両手を差し出す。
「監督官の権限に従い、候補生クラリスの制限を解除します」
サリアがクラリスの両手に手をかざすと、クラリスの両手にかけられた手枷が外される。
クラリスは両手の手首を撫でてから、櫂を取り上げた。
「世界が変わる。歴史が変わる。私たちの正しさは、のちの歴史が証明するでしょう」
「はい」
空の秩序のために、未来のために。
今夜、クラリスとサリアは星を殺す。
◆ ◆ ◆
訓練を終えたアレサは、観測室でぼんやりと空を見上げていた。
アレサが観測室にいるのはいつものことだが、今日は観測道具も広げず、本当にただ空を見上げているだけだった。
星は変わらず静かにまたたき、やさしい静寂がアレサの気持ちを落ち着かせる。
「やっぱりここにいた」
ドアが開き、アレサが振り返ると、シンシアがドアの陰から顔をのぞかせていた。
「考え事ですか? お邪魔なら帰りますけど……」
「ううん、ちょうどひとりでさみしいなって思ってたとこ」
アレサは笑いながら、隣の椅子を引く。
シンシアも笑みを浮かべ、アレサの隣に腰かけて、同じように空を見上げた。
「きれいですね」
「そうだね」
シンシアはもじもじと両手の指先をもてあそんでから、意を決したようにうなずく。
「私、先生の話を聞いて、すごく怖かった。だけど、クラリスさんと別れて、アレサさんの話を聞いて、やっとわかったんです。今まで当たり前だと思ってた日常も、この空も、今まで私じゃない誰かが必死に守ったものなんだって。だから、私も私の大切なものを、全力で守れるようになりたい……守りたいです」
シンシアの力強い言葉を聞いて、アレサは目を細めた。
やさしいけれど、いつもどこか頼りなく、アレサたちの後ろに隠れていたシンシアが、今はとてもまぶしい。
「シンシアの大切なものって?」
「……内緒です。恥ずかしいですから」
そう言ってはにかむシンシアに、アレサ自身も野暮なことを聞いてしまったと少し反省した。
アレサやシンシアに守りたいものがあるように、クラリスにも守りたいものがあるのだろう。そして、それを守るための手段として、クラリスはアレサたちと別れた。
たとえ別れたとしても、目指す場所は同じはず。そう、アレサも信じたかった。
しばらくのあいだ、静かな時間がふたりの間に流れた。
アレサはシンシアの肩を抱き、身を寄せ合いながらじっと目を閉じて、心地よい静寂に身を任せる。
――違う、私は、無価値なんかじゃない。
不意に聞こえた声に目を開けたアレサは、その視界の隅に違和感をとらえた。
いつか見た、かすかに、だが確かに不自然な星の揺らぎ。アレサは急いで立ち上がり、観測道具を広げた。
「どうしたんですか?」
「声が聞こえたの! 星が揺れてる!」
アレサの声に、シンシアも急いで観測道具を広げ始めた。
アレサは観測道具に目をつけ、あらかじめ目星をつけていた地点にピントを合わせる。確かに揺れている。その輝きは正常な星のような規則性を持たず、不安定な明滅を繰り返していた。
しかも、ひとつではない。
アレサの肉眼でも3つ。観測道具によって精緻な観測を行えば、さらに遠くの地点に5つの揺らぎを観測することができた。
そもそも、かつてアレサが観測したひとつの星の揺らぎでさえ、記録にない異常事態だった。それが同時に8つも観測されたとなれば、これはもう異常事態という表現ですらふさわしくない。
「どういうことですか。一体、何が起こってるんですか」
隣で観測しているシンシアの声にも困惑が混じる。
アレサは思い出したように、星の観測記録をめくった。その震える指先が、揺れている星の担当星読みの記載をなぞる。
「これって……」
横から覗き込んだシンシアも、口元に手を当てて続く言葉を失う。
揺れている星の担当は、いずれもサリアだった。
アレサは過去の記録も引っ張り出し、かつて揺れていた星の担当星読みも確認する。アレサが思った通り、そこにもサリアの名が記されていた。
「偶然なんかじゃない。あの人が、星を落としてる」
「そんなこと! 何のために?」
「わからない、でも」
アレサは頭を掻きむしりながら、必死に記憶の中をさらう。ふと、サリアの言葉が思い出された。
「空の秩序のためには、冷徹な判断が必要。そして、空の星の許容量……まさか」
「アレサさん」
シンシアがアレサの袖をつかむ。その手は震え、顔は真っ青だった。
「私、先生に伝えてくる。シンシアは船の用意をお願い」
「船、ですか?」
「きっと、クラリスも一緒だと思う。ううん、クラリスが一緒じゃなかったとしても、そんなことさせちゃいけない!」
「わかりました」
ふたりで観測室を飛び出し、シンシアは係留所へ、アレサは監督室へと走った。
「クラリス……お願い」
アレサは息を切らしながら、祈るようにつぶやいた。
アレサの脳裏に、サリアが星を消滅させた時の光景がありありとよみがえる。あの時の恐ろしさは片時も忘れたことがない。そこにクラリスがかかわっているところを想像するだけで気が遠くなりかけた。
アレサがノックもそこそこに監督室に飛び込むと、ハンナは驚いた様子で資料から顔を上げた。
「血相を変えて、どうしたのですか」
「星が、揺れて、クラリスが!」
全力疾走で息が乱れ、混乱もあってアレサの言葉は要領を得ない。
しかし、この限られた情報でもハンナには正しく伝わったようだった。ハンナは速やかに立ち上がり、身支度を整えた。
「行きましょう」
「はい」
係留所に向かう道すがら、アレサは状況をできる限り説明した。
話を聞いたハンナの表情がみるみる曇り、その唇が固く引き結ばれる。
「今、シンシアが船の用意をしてくれてます。私とシンシアは、クラリスとサリアさんを止めに行きます! 行かせてください!」
アレサの言葉に、ハンナは迷いの表情を見せた。
例を見ない緊急事態で、星読み候補生の手に負える事態ではない。
また、候補生に負わせられる事態でもない。
しかし、ハンナの決断は早かった。
「許可します」
「ありがとうございます!」
アレサたちが係留所に着くと、シンシアがすでに船の用意を済ませていた。
「アレサ、シンシア、手を出して」
アレサたちが両手を差し出すと、ハンナはそこに自分の手を重ねる。
「監督官の権限において、アレサ、シンシア両名の候補生制限を解除します。私もほかの星読みたちと、なるべく早く事態の対処に向かいます」
アレサたちの手枷を解除したハンナは、ふたりの手を強く握りしめた。
「こんな重大事を候補生であるあなたたちに負わせてしまうのは、監督官として心苦しい限りです。しかし、クラリスを……サリアを、よろしく頼みます」
「はい」
アレサとシンシアも、ハンナの手を強く握り返す。
アレサはシンシアの船に乗り込み、シンシアは力強く星の海へと舟を漕ぎだした。
「目的地に心当たりはあるんですか?」
真っすぐに前を見据えて進路を示すアレサの背中に、舟を漕ぎながらシンシアが問いかける。
広大な星の海で、星読みの船を当てもなく探すことは不可能といえた。
そもそも、星の海を渡る上で目視というものはほとんど役に立たない。目標の星に向かう時でさえ、ある程度座標の見当がついているから目的の星を判別することができるのだから。
「一応、心当たりはある」
アレサは答えながら、必死に頭の中にある膨大な観測記録を思い起こしていた。
「揺れていた星は、どれもサリアさんが担当していた星。あのサリアさんが、星を無作為に選んでいるなんて考えられない。きっと共通点があるはず。そう思って記録を思い出してみたら、やっぱり共通点があった。揺れていた星は、どれも不安定な異常兆候が記録されている星なの」
アレサの言葉を聞き、シンシアの顔がますます血の気を失う。
「そんな理由で……だって、不安定な挙動自体はそんなに珍しいことじゃありません。サリアさんが担当している星に限っても、候補の星はいくつもあるはずです」
「サリアさんが担当している星で、不安定な兆候が記録されている星は27個ある」
即答するアレサに、シンシアは絶句した。候補の多さもそうだが、何よりもその数が即座に出てくるという事実に驚愕していた。
観測室に保管されている記録の数は膨大で、シンシアに限らず、全体を正確に把握しているものはほとんどいない。そもそも、自分が担当している星の記録内容を詳細に把握することすら難しい。記憶することが難しいから記録が残されている。
候補生になった日から、アレサは自由時間のほとんどを観測室で過ごしていた。
聞こえるはずのない星の声に耳を傾け続け、かすかな兆候も見逃さないように子細な記録をつけ続け、手が空けば自分以外の記録も読み続けた。それこそ、暗唱できるほどに。
――生きてる価値なんて、ないのかな……。死んだほうが、良いのかな……。
「そんなことない!」
アレサは空に向かって叫んだ。
無限の空の中で、その声はあまりにも小さく、か細い。とても星には届かないだろう。
それでも、アレサは叫ばずにはいられなかった。
「そんなことない。お願いだから諦めないで。あなたはひとりじゃない。星読みが、私たちがいる。あなたがつらいなら、ひとりで立てないなら、きっと私たちが支えるから。だから……死んだほうが良いなんて、そんなこと、言わないで」
最後の言葉は、かすれて声にならなかった。
しかし、アレサはこぼれそうなる涙をてのひらで乱暴に拭い捨てる。
「シンシア」
「はい」
力強いアレサの言葉に、シンシアの櫂を握る手にも力がこもった。
「候補は27個。全部を確認するのはとても無理。サリアさんたちだって船で移動してるんだから、揺れている星は航路でつながっているはず。航路上にも不安定な兆候が記されている星があったのに、その星は揺れてない。つまり、サリアさんたちが選んでいる星の条件は、不安定な兆候だけじゃないんだと思う」
「何か別の要因があるんですか?」
アレサは首を振る。
「私もそれをずっと考えてた。でも、船を出す時にやっとわかった。揺れていない星は、不安定な挙動の回復傾向が記録されていた。つまり……」
アレサは細かく震える唇を、押さえ込むように噛みしめる。
アレサの仮定が正しかったとして、サリアのその判断が正しかったとして。アレサはそれを到底許すことができなかった。
「回復傾向が見られない星を、サリアさんは見込みなしと判断して切り捨てることにしたんだ。まだ寿命を迎える前の星を、無価値だってそそのかして」
アレサはやっとの思いで言葉を絞り出した。
アレサの口から告げられた言葉の残酷さに、シンシアも言葉を失う。
アレサは自らを奮い立たせるように、両手で頬を叩いた。頬の腫れは、胸の疼きに比べてあまりにも小さい。
「だから、回復傾向のある星を除外した上で、今までの航路を考えれば次の星の候補が絞り込める。大周りをしているサリアさんたちと違って、私たちは最短距離を進んでいるから追いつけるはず」
アレサの操船では、たとえ最短距離を進んでもサリアたちには追い付けない。そう思ったからこそ、アレサはシンシアに操船を任せた。
「追いつきます。絶対に間に合わせてみせます」
シンシアの声は、今までにないほど力強かった。
その声に込められた思いが、アレサの背中を押す。
『そうだ、私はひとりじゃない。クラリス、あなただってそう。絶対に、ひとりになんてさせないから』
「シンシアの操船を疑ったことなんて、一度もないよ」
アレサたちを乗せた船は、星空を滑るように進んでいく。
アレサは船の縁を握る手に力を込めた。間もなく、目標の星が見える。




