↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
輝翼のテテュス ~誇り高き巫女は、王子の愛に靡かない~  作者: 三津朔夜


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/73

主人と侍女

 軍服に着替えて自室に戻るなり、テテュスは窓を開放する。

 秋の涼風が白檀《びゃくだん》の香りを揺(ゆ)らし、張り詰めていた胸の内をわずかに冷やす。司令部で浴びた言葉の棘は、まだ喉の奥に残っていた。


 抽斗(ひきだし)から小箱を取り出し、黒いリボンに指先を置く。

 乾いた布の感触が、ざらついた心をかろうじて縫い留めた。


「アイリス……」


 形見をそっとなぞりながら名を口にすると、十年という歳月の向こうから、柔らかな体温だけが蘇る。

 毎晩テテュスに寝物語を読み聞かせた声、何度も愛おしげに抱擁してもらった記憶は、死に別れた今でも胸に残っている。

 乳母であり、魔法の家庭教師でもあった女性。

 病弱で内気だった少女はもういない。鏡に映るのは、鳶色(とびいろ)の軍服に身を包み、黒いリボンでストロベリーブロンドの髪を結んだ一人の士官。


 その手に花ではなく、剣を持つこと。

 泣くよりも先に、立つこと。

 彼女は、自身の行動でそれを教えてくれた。


「見守っていてくれ」


 リボンを握り締めた手を額に当て、祈るような言葉を紡ぐ。

 出向して来た軍属巫女を、軍の独断で処することはまずないだろう。

 結果として面目は立つはずだ。下される命令は恐らく、冷却期間を作るための措置。


 ただ、隊長を辞することになるかもしれない。蚊帳の外に置いた三人の処遇だけが心配だった。


(演習と言えば、そうだ……)


 パーシオ中尉との賭けには勝った。故に今後、彼がテテュスに付きまとって来ることは無いだろう。もっとも、反攻する用意はあるのだが。

 これで平穏が戻った。痴情に時間を費やすなど、巫女としてあるまじき愚行だ。

 それにしても実感が薄い。墜落事故のせいで、演習が遠い記憶のように感じられた。


「恋愛なんて……」


 吐き捨てかけた言葉は、最後まで続かなかった。胸元でリボンを握る指に、少しだけ力が入る。

 あの人は、軟禁状態だった境遇に一度も愚痴をこぼさなかった。命令を下した父についてさえも。

 だからこそ、愛だの妻だの、せっかく結んだ自分の輪郭を他人にほどかれることが、テテュスにはひどく耐え難かった。

 

「テテュスさま」


 部屋に響くノックの音。テテュスは慌《あわ》てて小箱を仕舞い、机に背を向ける。

 入室してきたのは、年端《としは》もいかぬ侍女《じじょ》。小角が覗《のぞ》く栗色の髪から尖《とが》った耳と蝙蝠羽《こうもりばね》。彼女の種は、理不尽な目を向けられることが多い。


「洗濯物、お持ちいたしました♪」


 そんな事を感じさせない彼女は、屈託《くったく》ない笑みを向けて来る。


「ご苦労、ノーラ」


 動揺(どうよう)を隠すため、厳(いか)つい物言いになった。

 小角の覗く栗色の髪を揺《ゆ》らし、抱えた洗濯物を差し出そうとして次の瞬間、華奢(きゃしゃ)な身体が傾いた。布束と一緒に床へ。


「大丈夫か?」


 駆け寄ると、ノーラは青ざめたまま身を強張らせていた。

 謝ろうとしている。叱られるより先に縮こまるその癖が、未だ消えない。


「も、もうしわけ――」

「いい。ケガはないか?」


 返事の代わりに、小さく肩が震える。

 テテュスはしゃがみ込み、そっと背に手を置いた。薄い肩甲骨のこわばりが掌《てのひら》に伝わり、やがて少しずつ緩んでいく。


『怒らないん、ですか……?』


 出会った頃、何度も聞いた言葉だった。

 その度(たび)に胸が締めつけられた。過去に囚われた薄幸(はっこう)の少女はどれほど怯え、人の顔色を窺って生きてきたのか。

 それを思うと、他人事では済まされない。

 

「大丈夫だ。いい子だから」


 侍女(じじょ)の少女を抱きよせ、繊細(せんさい)な手つきで頭を撫(な)でる。

 もしアイリスなら、間違いなくそうしただろうから。

 その確信が、テテュスを衝き動かす。


 少女の震えが収まると、二人で散らかった洗濯物を拾って抽斗(ひきだし)にしまう。


「申し訳ございませんでした……」

「廊下で転んだりとかは?」


 瞳(ひとみ)を潤ませてる彼女に尋ねると、首を横に振る。


「頑張ったな」


 進歩を祝してもう一度撫(な)でると、少女はくすぐったそうに目を細めた。


「…………えへへ♪」


 栗色の髪を揺らしてやっと戻った笑顔に、テテュスの口元もほどける。

 それを見逃さず、ノーラがぱっと顔を明るくした。


「テテュスさまも、嬉しそうです♪」

「は? ――なっ⁉」


 慌てて口元を隠す。

 耳まで熱くなるのが分かった。主人としての威厳も何もあったものではない。

 狼狽(うろた)える雇い主を前にノーラは小さく吹き出し、直後に腹の虫を鳴る。今度はノーラが茹(ゆ)で上がる番。うつむく姿がいじらしい。


「食堂に行こうか?」


 演習の後は墜落事故のゴタゴタでそれどころではなかった。

 もう食堂が閉まりそうな時間であることに気付くと、テテュスも空腹を覚えた。

 

「はぁい……」


 再び頭を撫でると、今度は照れ隠しのように顔を背ける。


「……いらない?」

「もうっ テテュスさまのイジワル!」


 鏃型(やじりがた)の尻尾を張って怒る姿が可笑しくて、今度こそテテュスは笑ってしまった。過ぎた冗談だと謝罪してから、二人は部屋を後にする。共にスカートの裾(すそ)を揺(ゆ)らして。

 

 日差しが差し込む廊下はひんやりと、石と鉄の匂いが薫る。

 魔界との縦深を守るラクリマ基地は近代化改修した石造りの城砦(じょうさい)。

 今もなお要衝(ようしょう)としての威容(いよう)を誇(ほこ)り、魔族に睨(にら)みを利(き)かせていた。


「献立は何でしょうね?」


 嬉々として弾む声を響かせ、楽しげに雇い主の顔を覗《のそ》き込む。

 彼女の天真爛漫(てんしんらんまん)さに思わず口元が綻(ほころ)んでしまう。


 淫魔族(サキュバス)。魔王と邪神が討滅された大戦後、人族に寝返った魔族の末裔《まつえい》。平和が保たれた今でも、人魔の軋轢(あつれき)は絶えない。

 解雇されていく当てのない彼女を、軍の登用制度を使い専属メイドとして雇ってもう半年。


 初めは、守ったつもりで雇った少女だった。

 けれど今は違う。

 この無垢な笑顔を曇らせないためにも、自分は強くあらねばならない。そう思う。


「あまり、羽目(はめ)を外(はず)さないように」

「はーい♪」


 ノーラが笑うと、栗色の髪に淡い輪が生まれた。光が祝福を与えたみたいに。

 少女の歩調に合わせ食堂へ向かう。廊下は静かで、すれ違う兵士もわずか。二人で雑談に興じ、少女の笑う声が廊下の石にこだました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。