ラベンダーの香り
脱衣所には爽やかで芳しい薬湯の残り香が広がり、疲労に緊張した心が和む。
尋問から解放されたテテュスは、ノーラを連れて基地の大浴場に来ていた。
「おフロ♪ おフロ♪」
嬉々としてメイド服を脱ぐ少女の姿が微笑ましく、思わず口元をほころばせる。
「嬉しそうだな?」
「はいっ だって、ここのおフロはとってもイイ匂いがしますから♪」
入浴前だというのに、少女の上機嫌に頬を染めた。可愛い。
確かにそうだ。地元で採れるラベンダーや生姜に加え、ミカンが薫る薬湯は浸かっているだけで身も心も癒される。
「なら、ちゃんと肩まで浸からないとな?」
「もう、テテュスさまっ」
幼い侍女は憤慨して拳を握り締めた。だが、別にからかってるつもりはない。ミカンの皮を配合したこの薬湯は保温性が高く、しっかりと全身を浸せば冷え込む夜でも湯冷めせずに済む。気分を害した少女に効能を解説して納得してもらい、二人は服を脱ぐ。
服を畳んで籠に入れ、黒いリボンを最後に解けばストロベリーブロンドの髪がサラリと流れる。
「ふぅ……」
心がほぐれ吐息を漏らす。メイド服を脱ぎ終えたノーラに手を差し出せば、むっとされたので苦笑を浮かべ引っ込める。
それから二人は、湯気と熱気でむせ返る浴室へと足を踏み入れた。芳しい薫香からの歓待を受ける。爽やかなラベンダー、みかんの甘さが追いかけ、遅れて生姜が喉に火を点す。
「ん~、いい香り♪」
大きく吸い込み、感嘆を漏らすノーラ。テテュスも言葉少なに同意する。
手桶とタオル、それに洗髪料や石鹸。入浴セットで汗と汚れを洗い流し、身を清めてから浴槽に足を差し入れる。
石肌のぬくもりが肩甲骨を受け止め、湯面に波紋が広がる。ラベンダーに混じるみかんの皮の甘さが、肺の奥でほどけた。
入浴は心の洗濯とはよく言ったものだ。石のタイルに頭を預けて肩まで浸かれば、心地よい湯温が身体の芯にまで沁みる。
堪らず恍惚の吐息を漏らした。
「いい……」
「はい……」
主従の二人は、ふやけ切った表情で湯を堪能していた。周囲の雑談も今は、陶然とした二人の耳に入らない。
「あら、テテュスちゃん?」
落ちかけた瞼を見開けば、そこには頭にタオルを巻いたミレイユの姿があった。その脇に控える黒髪の女性は、彼女の傍付きであるリゼ。ミレイユの幼馴染で、付き合いも長い。
「あっ リゼさん」
ノーラの声が弾む。雇用当初からメイドの先輩として、リゼから色々と指導を受けていた。
「お疲れ様です、ノーラさん」
ニッコリと笑顔で軽く会釈。
挨拶もそこそこに、二人も一糸まとわぬ姿で浴槽に身体を沈める。
「……ふぅ。いいお湯♪」
恍惚に目を細めるミレイユ。彼女分厚い胸部装甲も浮力に晒され、目に見えて肩の力が抜けていく。
火照った横顔に、湯気が薄絹のようにまとわり、テテュスは視線を湯面に落とした。耳朶を打つ艶のある声と合わさると、乱れた鼓動が波紋に溶ける。
眼前の艶姿は、同性でも視線の置き場所に困った。
「まったく同感でございます」
同調するリゼは瞑目し、静かに薬湯を堪能していた。彼女もまた、汗ばむうなじが艶美に映える。
「ノーラ。のぼせてないか?」
色香が漂う二人から注意を逸らすため、テテュスは従者の少女に話を振った。
「はいっ まだまだご一緒できます♪」
屈託ない笑顔。ノーラが純真で良かったと、この時ばかりは本気で思った。
「フフ♪ あまり無理しないでね?」
「テテュスさまは放っておくと、いつまでも出ませんから」
幼馴染二人が少女を気に掛ける。ただ、リゼの小言は余計だ。長風呂派なんて知られたら、逆にノーラが気を遣ってしまう。
「心配無用だ。のぼせる歳でもない」
反論し脈絡を矯めつつ、額を手の甲で拭う。
「もう、リゼったら。めっ」
ミレイユもメイドをたしなめた。
それから四人は湯舟の心地良さに絆され、少しの間、沈黙の時を過ごす。
心まで薬湯に抱かれる中。口火を切ったのはミレイユ。
「大丈夫? テテュスちゃん」
「何がだ?」
公務外なので咎める気はない。ただ、聞かれているのが先程の出頭についてだと気付いたのは、疑問を口にしてから。
水に流したはずの嫌な記憶が蘇り、思わず渋面を浮かべた。
「ごめんなさい。あまり、役に立てなくて……」
伏し目がちなミレイユは、湯舟の波紋に視線を落とす。そんなことはない、テテュスは首を横に振る。
「お陰で、心細くならずに済んだ」
ありがとうの言葉を、本心から口にする。冷徹な上官から庇おうとしてくれたことが嬉しかった。
同僚が憂いを見せる一方で、二人のメイドは沈黙を貫く。決して軍人の領分には自ら踏み込まない。その心遣いもまた、ありがたい。
テテュスは、他人から訳知り顔でとやかく言われるのが昔から嫌だった。
苦労の多い半生だったからかもしれない。自身をそう分析した。
少なくとも――
「ちゃんと、守れたからな」
後悔はない。指先でノーラの耳後ろの水滴をそっと拭う。
部下や王子、この地に住まう人々も。幼い頃から憧れる、『あの人』のように。確かな手応えに拳を握った。
テテュスにとってはそれが全て。部下に責任が及ばないなら、厳罰も甘んじて受けよう。昇進にも興味はない。自分は所詮部外者で、ただの巫女なのだから。
「だからこそ、評価されないといけないわ。所属なんて、関係ない」
まっすぐ前を見据え、決然と言い放つ。ミレイユは温和で社交的だから、常に多くの人が集まる。けれど言うべきことはハッキリと口にするので、更なる友好の輪が彼女を中心に広がる。
「ああ。励みになるよ」
別に評価されたい訳ではない。それでも、冷徹な空気が支配する中で反対を表明する毅然とした姿に、テテュスの心に灯が点った。
「うん♪」
感謝を伝えると、嬉しそうに相好を崩した。
「テテュス様は、何か問題を起こしたのですか?」
リゼは疑問に首を捻る。テテュスは思わず言葉に詰まった。処遇はまだ決まってないので、どこまで話したものか。
命令違反の独断専行、なんて言葉に出したらノーラが不安がるのは目に見えてる。
「心配ないわ。テテュスちゃんは今日、近くの村を救ったのよ」
「ちょっ――」
「えっ スゴいですッ!」
爆弾投下。笑みを浮かべたミレイユの報告に、頬を上気させるノーラが瞳を輝かせる。
どうにかしなければ。下手に武勇伝を広めても、降格処分になっては目も当てられない。
(止むを得まい)
ここは戦略的撤退。すでに耳目が集まっているので、事の顛末を話すのは悪手。
「よし、わかった。それについては、部屋に帰った後でな?」
「はい♪」
テテュスは音を立てて浴槽から立ち上がり、衆目に晒されながら足早に大浴場を後にした。
しかし、生乾きの髪で廊下を歩かせると湯冷めする可能性もあった。そこでドライヤーを手近な人から借り受け、ブラシを片手に少女の栗色の髪を梳る。
魔導技術の民生利用。術式を魔力で起動させ、温風を吹きかける。鏡越しに気持ちよさそうな顔を見せるノーラが愛らしい。
やがて少女の髪を乾かし終え、相手にドライヤーを返す。
「ありがとう、助かった」
感謝を伝えた相手に名前を聞くと、たわむ木の息を背に部屋へと向かった。
自室に戻ると、毛むくじゃらの小動物が出迎えてくれた。
「リョース♪」
「きゅう」
フサフサの白い毛をした小動物が少女の足元にじゃれ付くと、しゃがんで頭や背中を撫で回した。微笑ましい光景に目を細める。
(いい買い物をしたな)
随分と懐いたものだ。少女と小動物。尊さ溢れるその光景が拝めるだけでも、買ってよかったと後ろで拳を握り締めた。
子機は、幼精の乗り物で情報端末。工業機械への接続が目的。
魔力稼働の大型工作機械の操縦を彼らに任せることで、この国は急速な重工業化を果たして来た。
自律機構を搭載しているのは、巡回によって異常箇所を従業員たちに周知させるため。
テテュスはちょっとした伝手から、あのモフモフの子機を購入した。
「しかし、意外な一面もあったものだな……」
自前のドライヤーを起動し、髪を吹き流しながら一瞥する。傍から見れば、あれが戦場で業火を燃やす存在には到底見えまい。
それくらい、テテュスの中でも印象が違う。形が在り様に作用するという俗説の信憑性も増すというもの。
「ほら、ノーラ。いつまでも遊んでないで、寝る準備をしろ」
未だに戯れる少女に振り返り、主がたしなめる。
「はーい♪」
「キュウ」
少女がリョースを両手で持ちあげてドアから離れると、勢いよく開いた。
「隊長~っ 髪乾かして♪」
朗らかな声で入って来たのは小柄な少女。寝間着姿のカルシラが背中に垂らす赤毛の長髪は濡れていた。




