緊急医療措置
深閑とした森の中、誰かの声が響く。
「いかん……っ」
テテュスは頭を振って切り替える。
僅かに苦悶を滲ませる白皙。呼びかけるも応答は無い。
包み込むような座席構造で目立った外傷はない。だが、それでも頭部負傷の懸念は拭い切れないので、安易に揺らしたり移動させるのは危険。戦巫女時代の知識が、狼狽を押し止めていた。
獣人の少年は昏睡状態が続いている。重篤な魔力切れは衰弱死の危険性があるため、早い段階での適切な処置が明暗を分ける。
顎部分にある蓋を外し、震える指先で慎重にボタンを押すと、強制解除装置が作動。密着していた上体の黒いスライム素材は剥がれ落ち、色白で華奢な上半身が露わになる。さらに腰や手足の被覆部は膨らみ、接触面積が小さくなった。これで血流阻害や壊死の心配はない。
座席基部の後方から抽斗を開ければ、救護用キットが顔を出す。テテュスは一本の小瓶を手に取った。
魔力回復薬。強力な薬なので乱用はできないが、応急処置にこれほど相応しいものは無い。まずは自分で飲み、気付け。
「ふぅ……」
人心地。指先の震えや倦怠感は収まったものの、医療措置ができるかというと疑問が残る。
こうなったら仕方ない。魔力を自身の唾液に注ぎ、口移しで彼の体内へ滴下。魔力の受け渡しは、粘膜接触の方が効率が良い。
(非常事態。これは、非常事態なのだ……)
改めて金髪の少年を見下ろし、固唾を呑む。
魔力とは一種の波動。繊細な魔力操作でゆっくりと浸潤させたとしても、場合によっては不協和音として身体に牙を剥くこともある。今回は緊急措置として強行した。
医療目的での魔力の受け渡しは、救命規定第十二条にも認められていた。
あくまで命が最優先。意を決したテテュスは己に言い聞かせて躊躇いを封じ、湧き上がる恥じらいを必死に噛み殺す。
丁寧に少年の気道を確保しつつ、舌を絡ませる。瞑目して静かに集中。流量と速度、魔力の流れに細心の注意を払った。正視に堪えないからという訳ではない。断じて。
気絶時の経口投与は窒息のリスクがある。唾液はあくまで触媒。魔力を安全に引き渡すための。
「ぷはっ」
集中力も限界で中断。思わず顔を上げた。自身も緩和されたとはいえ軽度の魔力切れ。譲渡するにも限度があった。
それでも、今は表情も落ち着いている。土気色も少し晴れたようで何より。
「疲れた……」
少年から離れ、胸部装甲に突っ伏しながら溜め息を吐く。もう余力もない。兜から緊急通信が入っているであろう事に思い立ったが、鉛のように重い身体は、すぐには動かせそうもなかった。
ゆっくりと瞼が落ちていき、身体の悲鳴や劇痛にも手放さなかった意識を、湧き上がる安堵が闇に沈めた。
〇 〇
暗闇の奥底。誰かがテテュスの名を呼ぶ。
「ぅ、ん……」
瞼を震わせ、目を開ける。顔を上げると、そこは森の中。
頭の奥が少し重い。手を当てると、自分が強化服を着ている事を思い出す。
「そうだ。私は――」
<テテュスちゃん!>
自分の名を叫ぶ女性の声。聞き覚えのある声と、竜機兵の到来を告げる地響き。
「ミレイユのヤツ……っ」
少しの間寝てたせいか、身体は大分復調している。兜を引っ掴んで被り、即座に通信を繋いだ。
「私だ」
<テテュスちゃ――>
「ちゃん付けするなと、いつも言ってるだろうがっ⁉」
まったく、恥ずかしくて堪らない。憤慨するままに吼えた。いつまでも子ども扱いしないで欲しい。
<無事なのね。よかった……っ>
「おちおち寝てられんからな……」
涙ぐむ声に対し、皮肉を返す。おっとりとした性格は、火急の事態でも健在だった。
幼馴染のミレイユ・ガイスル。階級はテテュスと同じ中尉だが、彼女の方が軍歴は長い。
程なくして、木々を掻き分けて来る鋼鉄の巨兵の姿を視界に捉えた。
砲撃機よりも逞しく、盾役よりは細身。最新鋭機は白亜の甲冑騎士を思わせる精悍な外見だった。
<えへへ♪ 待った?>
屈託なく喜色を滲ませる幼馴染。
「公務中なんだが?」
公私混同も甚だしい。余りに露骨なので顔を顰めた。あまりに緊張感のない台詞に、肩の力が抜ける。
ただ、無茶をした自覚はあるので、それ以上の糾弾は回避した。
跪いて片手を差し出す機兵。テテュスは少年に肩を貸す形でコックピットから降ろし、機械仕掛けの掌に乗った。ミレイユが少年の体調を尋ねて来たので、応急処置は完了していると伝えた。
帰途の最中、機体の掌から見る森の景色は新鮮だった。姿勢制御機構による静粛性は、羽車の振動と比べても遜色ない。膝枕で少年の頭を庇う必要はなかったかもしれない。
他方、軟着陸の爪痕は生々しく、舞い上がった朽葉が彩る溝と土砂に混淆する残骸が凄惨さを物語る。本当に、よく生還できたものだと戦慄しつつ、回収した核に宿る相棒に感謝の念を送った。
「なあ、ミレイユ。何か聞いてないか?」
正体不明の竜機兵と、この少年について。
ゲズゴール・ガイスル少将はラクリマ基地の主にして彼女の祖父。歴戦の猛将は身内贔屓が激しく、特に孫娘には最新鋭機を与えるほど溺愛している。公私混同が著しい御仁なので、家族にこっそりバラしてたってテテュスは驚かない。
<多分、おじい様が直接話してくれるだろうから>
「そうか」
やはり、何か知っている。そしてそれは機密情報なので、通信記録に残すわけにもいかないのだろう。
テテュスは改めて、膝の上で昏睡する少年を見た。けたたましい駆動音や振動でも起きない辺り、消耗は深刻そうだ。
「一体、どれだけの魔力を使ったのだ……」
少年の頬を撫でながら、ポツリと呟く。
すぐにでも医者に診てもらいたいが、ミレイユは頑なに竜機兵による基地への帰還を優先した。機密保持が目的であろうことは、想像に難くない。緊張感のない言動をしても、彼女は軍人。それを実感させられた。
そのまま暫く鋼鉄の巨人に揺られ、女性士官は少年を連れ立って基地に帰還する。
担架で搬送される直前。少年はうっすらと目を開けた。テテュスの方に視線を向ける。
「あ、殿下――」
「あり、がとう……」
「えっ⁉」
弱々しい呟きに動揺し、咄嗟に口元を押さえた。顔が熱いのは、その時の感触が蘇って来たから。兜で顔を見られなかったのが不幸中の幸いだった。
「何かあった?」
顔を覗き込もうとするミレイユは少し背の高い金髪翠眼の女性。森人なだけあって耳は細く尖っていた。着圧仕様の薄青い強化服は彼女の肉感を程よく強調し、その煽情的な姿から男子からの熱い視線が頻繁に向けられる。
「……適切な処置をしたまでだ」
そっぽを向いて答える。だが、長い付き合いだ。顔が見えてなくても、自分がどういう表情なのかは把握しているに違いない。
「ふぅん。そうなんだ♪」
彼女に振り返ると、いたずらっぽい笑みを浮かべていた。他意はないと否定しても、幼馴染は「はいはい」と笑みを深めるばかりて受け合わない。
それからミレイユに連れられ、共に司令部へと出頭。紅白の強化服を着替えたかったが仕方ない。扉の前に立つと、彼女は振り返る。
「それじゃ、準備はいい?」
「準備、とは……?」
テテュスは首を傾げる。疑問に答えることなく、彼女は「失礼します」と扉越しに挨拶してから入室した。
そこにはお歴々がずらりと並んでおり、無言でテテュスを見咎める。
「ミレイユ・ガイスル中尉。技術少佐であるダグアーラ・ジョフ・マナルジョス殿下を救出した中尉を連れて参りました」
手を掲げ、凛然と敬礼。隣でテテュスは驚愕に目を剥く。まさか、王子だったとは。しかも軍人。
去年までは神殿に引きこもっていたので世情に疎く、成人前の王弟の動向もほとんど知らなかった。
けれど、これで疑問が氷解する。王族は例外中の例外なので、軍に入るのに年齢は関係ない。そういう事なのだろうと、心の中で結論付けた。
テテュスと同様、司令部の面々も動揺を見せる。
しかし、一人の偉丈夫がそれを片手で制した。再び静寂が室内に帰還する。威圧感を伴って。
「さて。アハティアラ中尉。貴官の弁明を聞こう」
遠雷のような、厳かな声色。その迫力に、さすがの女性士官も息が詰まる。
基地の主、ゲズゴール・ガイスル将軍。老境に入っても尚筋骨たくましい大柄の体躯、側頭部から突き出る角は有角人であることの証明。右半分は布が宛がわれ、耳と角がない。その風貌が、くぐり抜けて来た戦場の過酷さを雄弁に語っていた。
「はっ」
真正面に座る将軍より促され、事の経緯を説明する。




