土にまみれて
晩秋の陽光を雲が遮り、乾いた風が紅葉の残り香を攫っていく。
年の瀬の足音が木枯らしにかき消される朽葉月(十一月)。
ヴァールヘイト基地演習場――踏み固められた平野がゆるく起伏し、西の原生林が風の刃を和らげる。遠く、内海へ注ぐ川筋が一本の銀糸となってのびていた。
向かい合うのは、苔色の鋼の巨影。俊敏を前提に絞られた躯体、要所ごとに増設されたハードポイント。テテュスの乗る狩人は身軽さを本懐とする機体。重厚で制圧力に定評のある盾役とは設計思想が真逆。
紅白の強化服越しに、振動がじわりと骨まで届く。
<どうよ中尉? 少しは慣れてきたか?>
「ええ。お陰様で」
軽口混じりの声は、対面で同型機を操る教導部隊のリヒテンタール・グヴィナー大尉。
見た目は軽薄、仕事は周到。この一ヶ月、彼のしごきから得られる充足と成長は、機体操縦の妙味と醍醐味に彩られていた。
コクピット前面、コンソールのカートリッジがかすかに脈打つ。核の宝珠に宿る相棒、幼精のリョースが、こちらの鼓動をなぞるように光った。
「大丈夫だ。見ていてくれ」
ひと言で、胸のざわめきがほどける。テテュスは指先の力を抜き、操縦桿を軽くあおった。油の甘い匂い、鉄の冷え、機体内部に巡る魔力の低い唸り。全てが開かれる戦端に向けて研ぎ澄まされる。
足元のペダルに、そっと重心を落とす。ヴェイズが歩を進め、踏み締める度にサスペンションが短く鳴った。助走距離を取ってから踵を返し、太刀を肩口に担いで浅く腰を落とす。
正眼で間合いを押し付ける戦い方は、この一週間で通じないと知った。だから、今度は隠して太刀の間合いを悟らせず、動きで圧をつくる。
<そいつぁ良かった。じゃ、今日も腰砕けになるまでシゴいてやんよ♪>
「望むところ」
向かって左手、遠くの監視塔から開始のブザー。原生林が寒風に紅葉を鳴らし、川面の銀糸が微かにきらめいた。
テテュスは一拍だけ、息を置く。
フットペダルを強く踏み込み、ヴェイズは地を裂く――――重い。飛翔鎧と違い、竜機兵は想像以上に重力に縛られている。脚部をひと振りするたび、何トンという巨大な質量が遅れてついてくる。反応が鈍い。まるで粘つく糸。高速戦闘に最適化した意識と機体の間に、まだ薄い膜がある。
(飛ばすなんて、本当にできるの?)
喉奥の問いを、テテュスはほんの一瞬だけ見つめて、しかし笑って畳んだ。約束したから。背負った願いを空へ運ぶため、今は前に出るしかない。
視界の片隅で、宝珠がまた微かに明滅する。本当に心配症だ。自分が不甲斐ないせいもあるかもだが。
「行くぞ、リョース!」
駆け出す乗機に対し、グヴィナー機は二本のナイフを構え、低く腰を落とした姿勢。隙がない。
テテュスは唇の端を、少しだけ上げた。
舞台は整った。緊張は熱に変わる。重さは刃へと変換する。
「――いざッ!」
操縦桿を押し出す。背部の推進器が咆哮、重力の軛を振り切り宙を駆ける。相手の視界から刃を消したまま間合いを潰す。機体の心音が胸郭に響いた。
間合いが接した瞬間、袈裟斬り。足が地を抉り、烈震の白刃が土煙を跳ね上げる。空振り。狩人は跳躍していた。頭上で二本の鋼刃が牙を剥く。
「っ――」
最大噴射で急浮上。だが衝撃。鍔を踏まれ、機体が軋む。相手はそのまま鍔を足場に一回転、後方へ抜ける。置き土産の熱波で視界が揺らぐ。
逃がさない。背に業火を燃やし追従。十八トンを無理やり軽くする火の推力。地を砕く着地の刹那、横一文字。まずは防御結界を断つ狙い。しかし、炎尾で砂塵を裂き、正面へ躍り込み吶喊。刃先は途中で止められ、鍔元が噛み合い火花が咲く。
衝突。肩へ重い反動。胸内の結界越しに鈍痛が残る。息が浅くなる。
(重い……っ)
呼吸が詰まり、半拍遅れる。衝撃で宙に流れる機体を支えようと、突き出した踵が亀裂に噛まれた。それは自身が放った斬撃痕。着地が乱れる。姿勢制御のアラートが一瞬灯って消えた。
「しまっ――!」
地を叩く音。相手は刃を交叉、腰をさらに落として地を這い疾駆。左右の刃が牙を剥く。脇構えで応じ、斬り上げ。刃と刃。火粒が散り、錬鉄の悲鳴が耳を刺した。
だが、もう片方のナイフが防御結界に牙を突き立てる。あと一回で撃墜判定。もう、攻撃は喰らえない。推力を使って横に跳び退避、さらに林側へ。原生林を右手、川を背にして逃げに徹した。当然、教官は攻め手を緩めることなく追撃してくる。
「くっ……」
忸怩たる思いを噛み潰す。機体の返りが遅い。挙動に一々巨大な質量が重くのしかかる。縺れやしないかと、一瞬の遅滞が生じる度に祈りたくなるのはハッキリ言って苦痛だ。
今なら分かる。こんな巨大な鉄の塊を空に飛ばすことが、どんなに荒唐無稽であるかが。もはや狂気の沙汰と言って差し支えないだろう。飛翔型の開発は不可能への挑戦なのだと、演習で毎日痛感する。
熱がこもる背部を、風が撫でた。忍び寄る巨影に心内が押し潰される。圧迫感で喉が締まる。息を整え、操縦桿を握り直した。後方から狩人のナイフが呼吸を計って近づく。
身を屈めさらに加速、最小限の挙動で徐々に追い詰めていく。背中の噴炎はまだ燃えない。テテュスは焦燥に胸を焦がした。振り返りざまの斬撃。起こりを潰されると、相手の逆襲が始まる。足を止め守勢に回った。
挑発混じりの通信が短く弾んだ。
<どうした? そこで止まるなよ、中尉>
軽薄な言葉とは裏腹に、太刀筋には隙が無い。
閉塞していく状況の中、彼女には挑発を受け流す余裕はすでに失われていた。
「私を――――――舐めるなッ!」
解放。心臓が脈打ち、髪が銀に燃える。溢れた魔力が導管を走り、装甲の継ぎ目に蒼が灯る。機体が軽い。
<なんだとっ⁉>
教官は、突然の魔力反応と発光現象に面食らっていた。攻撃はまだ来ない。
ペダルを踏む。推進器が唸り右へ。刃を引きつけてから切り上げ。鉄火が散り、砂塵が弾けた。受け流されても即、腰で切り返す。
正面。返す太刀の斬り下ろしを、交差した双刃が頭上で防御。威力を削がれた刀身を逸らし、もう片方が切っ先を差し向ける。柄を手放し、刺突を左肘で跳ね上げた。そのまま体当たり。肩で押し込み、膝と腰で圧を掛ける。魔力が横溢した機体の反応が思考に追随し始め、遅れが消えた。
「オォオオッ!」
気炎と同時に最大噴射。相手の全速離脱を読み切り仕掛けた。着地に合わせて踏み込み、大きく引いた刀身で片手突き。左腕で作った死角からの一撃。
「甘い!」
教官が吼える。ナイフで軌道を曲げられた。鍔元が火を吐き、鏗然たる叫喚が戦場に焼き付く。
微かに響く、左脇に亀裂が入る異音。構わない。肩を掴み、兜に頭突き。視界が潰された相手の動きが止まった。
「しまっ――」
教官の声が漏れる。勝機。大上段。
「これで――」
終わりだ。全荷重を刃に載せ、落とす――
「え――」
自機の右肘が悲鳴を上げた。限界を超えたトルクが関節を裂き、装甲が外へ捲れ出す。亀裂を庇う挙動が祟った。斬撃は刃先が鈍り、更にいなされては刀勢の挽回が絶望的。左手を繰り込んで柄を短く持ち、鍔で一太刀目を迎撃。空いた懐に、もう一方の刃が真っ直ぐ左脇へ。テテュスの皮膚が粟立つ。
避けられない。左足で後退、推力を噴かし姿勢だけは保つ。
だが遅い。頭部にナイフの先端を突き付けられ撃墜判定。
「……参った」
息が落ちる。ストロベリーブロンドの結い髪の銀光が立ち消え、導管の蒼も鎮まっていく。右腕の関節は角度を保てず、だらりと垂れた。熱の抜ける音が狭い操縦席に満ちる。
喉の奥で唾を飲み込み、テテュスは短く目を閉じた。無理押しでこじ開けた一手――届く寸前で、機体が先に折れた。
「すまない……」
天井を仰ぎ、見守ってくれていた相棒と酷使した乗機に謝罪した。
勝てなかった理由は明瞭だ。魔力で遅れは埋められても、機体と関節の強度限界までは、カバーし切れない。
やがて砂塵が落ち着く。修理が必要となり、今日の訓練は強制終了。
膝関節も限界だったらしく、教官機の肩を駆りて演習場を後にした。
テテュスは操縦桿を手離し、サイドペダルを踏んで自動操縦に移行。
躯体を稼働させる術式が勝手に運んでくれる。座席に背中を預け、目を伏せた。
負けの痛みと、次に進むための手掛かりの輪郭だけが、身体に残った。




