幕が上がる
沈黙が支配する中。会話が途切れた時期を狙って、大尉が視界の両端に居る少女と女性を眼光鋭く射貫く。動揺した二人はたじろいだ。
「さてと――――ユージェニー・ゴドウィン」
「はっ はひっ」
ヴェッダルフィア大尉の低く唸る声は猛獣を思わせる。クロムグリーンの女性は恐怖で声が裏返った。
「ベッカー男爵家長女、イリアナ」
「はい……」
名前を呼ばれた蜜色の少女は、蒼白顔で立ち尽くす。
「もう開会まであまり時間もないしねぇ~♪ 中尉を休ませたいんだけど、いい?」
「あ、はい。どうぞごゆるりと……」
気圧されたエレオノーラは、愛想笑いで謙る。踵を返し、脇目も振らず群衆の輪の中へと消えていった。友人たちもそれに続く。
「いや~、よかったよかった♪ 一時はどうなる事かと思ったよ~」
自身の頭をポンと叩き、朗らかに笑う。その道化を笑う者は、一人として居なかった。
遠巻きに見ていた参加者たちは決着を確信し、蜘蛛の子を散らすように掃けていった。
「…………」
他方、イリアナと呼ばれた少女は言葉もなく悄然としていた。
「アハティアラ中尉♪ それじゃあ、行こ?」
「少し、待っていてくれますか?」
背後から肩を押そうとする大尉をやんわりと制し、テテュスはイリアナの元へと歩み寄る。先程の事を思い出してか、少女の華奢な方がビクリと震えた。
「ベッカー嬢、先程は失礼した」
広げた扇を胸元に頭を下げる。
「え――」
謝罪の言葉に、イリアナは大きく目を見開く。
「どうやら私たちの間には、誤解があったようだ」
「ごか、い……?」
少女の疑問に首を縦に振る。自身の琥珀の双眸に、微笑を湛えて。
「この通り、私は田舎娘で社交のしきたりにも疎い。だから今後、何か不備があれば遠慮なく言って欲しい」
下手を打って人の気分を害するのは、本意ではないから。
「は、い……っ」
少女は涙を拭いながら頷き、最後には笑顔を見せてくれた。
たとえ歪でも、彼女は懸命に誇りを守ろうとしていた。その痛みが、胸に焼き付いて離れない。嫌いになんて、なれなかった。
背中を晒すことで侮蔑と嘲笑を浴び、それでも胸を張る。そんな自分と、どこか重なって見えたから。
「先程は、大変失礼致しました」
「ああ。お互いに気を付けよう」
互いに謝罪した後で手を振って別れると、二人に連れられテテュスは準主賓の控室に足を向ける。
「しかし、社交の場は中々に奥が深いな……」
扇の細やかな所作にも意味があるとは。勉強しなければと思い立ち、テテュスは闘志を燃やした。
「いや、メンドくさ過ぎでしょ?」
マルゼーン中尉が嘆息交じりにぼやくと、大尉が苦笑する。
「それじゃあ、わたしのことはスコルでいいよ。もう友達だし、ね?」
覗き込んで来る、人懐っこい笑顔に、何かが解けた気がした。
「あ、じゃあアタシもネイラでいいわ」
長身から顔を覗き込むマルゼーン中尉。温かい歓迎に自然と顔が綻ぶ。
「スコル、ネイラ。二人とも、ありがとう」
言葉を切ると、不意に涙が滲んだ。嬉しさか、安堵か、羞恥かは分からない。けれど、温かかった。
「うん。よろしくテテュス♪」
「同じく、テテュス」
ああ。自分の名を口にしてくれる二人を前にしていると、心に光が灯るのを感じた。
気を許したテテュスは、かねてからの疑問を口にする。
「どうして、ドレスは私だけなんだ?」
喉につかえていた問いがソレだった。
「「さあ?」」
顔を見合わせた二人の答え。そこに嘘はない。どうやら、エルディッサの趣味に付き合わされた形のようだ。
「というか。軍服指定と通達されたハズじゃ?」
「私が聞きたい……っ」
ネイラの問いに強く拳を握った。
誰も教えてくれないのに、周囲からの注目だけが集まる。肌が火照るのは、恥か、それとも別の感情か。
蒼いドレスの裾が揺れる度、視線が胸元を刺し、肩を舐め、背中にまで這い寄ってくるかのよう。着飾った女性士官は明らかに悪目立ちしているようで、居心地が悪かった。
扉の向こうにあった準主賓の控室は、三人のために用意された空間だった。柔らかな薫香は、気持ちを落ち着かせてくれる。
こじんまりとしながらも、幽雅さで彩られた室内は一息着きやすい雰囲気を醸し出している。入った瞬間に身体の強張りが霧散していった。
水で喉を潤してから暖炉の前に腰掛け、三人は改めて自己紹介。
「わたしは近衛師団に居たんだけど、ネイラは南部出身なんだよね?」
「所属基地は南部だけど、生まれは西部ね。テテュスは、どっちも北西部なんだっけ?」
「まあ、私はアロナの巫女でな。ラクリマ基地は、神殿のあるアロナ湖の北東に位置する山一つが半ば要塞化している」
危ない所だった。出生地は隠しておかないと面倒臭い。冷や汗を背中に感じた。
「へぇ~。要塞って、どんな感じなの?」
「ああ――」
テテュスは安堵を零した後で、ラクリマ基地について語る。それから二人にも、基地の概要について尋ねた。
それぞれ所属基地が違ったので、二人の話は新鮮だった。
紹介はやがて雑談へ、近況報告の流れに乗るまでにそう時間は掛からなかった。
この二週間。彼女たちは竜機兵の習熟訓練に明け暮れていたらしい。空では優秀な二人も、慣れない地上兵器の操縦には苦労している様子が窺えた。そこに一つの疑問が残る。
「前に居たパイロットは居ないのか?」
責任者であるダグアーラも調整中としか言わなかった。違和感を覚えていたので訊いたら、途端に微かな緊張が空気に混ざる。
「あー……」
スコルは苦笑しながら斜め上に目を逸らす。彼女を見詰めるネイラの顔からは、感情が読み取れない。
「前任者は、戻らないよ」
「え――」
ネイラの返答に、テテュスは言葉を詰まらせる。薪の爆ぜる音が、沈黙を一層引き立てた。
経緯はスコルが順を追って説明してくれた。暴走事故の後で『スマド』は解散。会見後に招聘の辞令が下り、再集結した際。前任の搭乗者は辞退したという。
「メンツをつぶした王子が悪いでしょ」
因みに前任者は、士官学校出のエリートで、北部方面軍の若きエースだったらしい。
「ああ……」
辛辣な結論にテテュスもまた、頬を引き攣らせた。いくら焦っていたとはいえ、あれでは不適格と裁定しているようなもの。俊英との自負があればこそ、書簡での打診には応じないであろうことは容易に想像がつく。
「居ない人の事より、わたしはテテュスの事が知りたいな♪」
「そういえばテテュス。墜落阻止って、具体的に何したの?」
明朗な声で場を和ませるのはスコル。それを受け、ネイラも直截的な質問をぶつけて来た。
極秘計画の性質上、飛翔型の事故については詳細が伏せられている。新聞等のオープンソースや軍での風聞では知る由もない。
「普通に軟着陸だ」
さすがに数十トンもの巨体を持ち上げるのは、幼精の助力があっても不可能だ。
「ぇ、じゃあ――」
澄んだ鐘の音が、まるで眠りを覚ますように王城全域に広がっていく。
それは祝祭の呼び声であり、沈黙の断ち切りでもあった。
三人は同時に口を噤む。さきほどまで暖炉を囲んでいた私語は、音に押し流されるように霧散した。
「そろそろだね~♪」
嬉々としたスコルの言葉を受けてか、控えめなノックの後、扉が静かに開いた。案内役のメイドが顔を出す。
「準主賓の皆様。夜会、まもなく開幕でございます」
形式張った声が、暖炉の温もりを断ち切る。軍服に着替える時間はなさそうだ。
部屋を後にし会場の扉が近付くにつれ、テテュスは無意識に背筋を正した。脈拍の高まりを感じ、扇を握る指先にわずかな力が籠もる。
(――始まる)
そう直感した。静寂の向こう側で、夜会という名の舞台が、ゆっくりと幕を上げようとしていた。
会場から響いて来るファンファーレ。音楽隊の奏でる嚠喨の旋律はやわらかく、それでいて一切の私語を赦さぬ厳粛な雰囲気を纏っている。
ドレスのままで談笑に興じたため、着替える機会は終ぞ訪れなかった。
12時にも上げます。




