戦士の勲章
テテュスは相手を射竦め、しっかりと声を張って反論。
「家の名誉のために言っておくが、アハティアラ家は子爵だぞ?」
「なっ――」
男爵令嬢は絶句した。格上に喧嘩を売ったのだから、それも当然。後ろのお友達もオロオロするばかり。全然頼りにならない。
テテュスは動揺する相手に対し、大股で距離を詰めていく。
「爵位を持ち出した以上、それ相応の振る舞いをしてもらおうか? レディ」
「そ、そもそも。子爵のクセに、どうして簡単な所作も知らないのよ⁉ アナタには――」
たじろいで距離を取ろうとするが、反撃の隙は与えない。
「具体的には? ぜひともご教授願いたいのだが?」
「…………っ」
狼狽するご令嬢の瞳に、自身の顔が映るほど近付く。爵位を振りかざし、政争を仕掛けて来た以上は容赦しない。それに引き下がれば家名に傷がつく。
口元を隠す扇は震え、少女は目を泳がせる。周囲は誰も助けない。ひそひそと密談を交わし、侮蔑や嘲笑の視線を向ける。人の悪意を凝縮したような空間に、テテュスは嫌気が差して渋面を浮かべた。
彷徨う視線に、面子と尊厳の間での葛藤が窺える。虚勢を張る姿は寧ろ痛々しい。こちらで一方的な幕引きと考えた時、後ろから声が響く。
「まったく。貞淑なドレスが台無しね? ただの子供のおイタじゃない」
背後から声を掛けて来たのは、側頭部に巻き角を生やす有角人の女性。年かさはミレイユと同じくらいか。クロムグリーンのドレスは豊満なバストを強調していた。
彼女は男爵令嬢を助けた訳ではない。寧ろ逆。男爵の看板を掲げる少女の誇りを汚していた。
「失礼ですがーー」
「醜い背中」
目の前の女性ではない。扇で口元を隠し、冷笑を浮かべている傍の友人たちの内の誰かであろう。
「あらあら、いけませんわぁ。そんな強い言葉を使って、レディに恥をかかせては」
誰ですの。クロムグリーンの女性が周りを見渡すと、後ろで友人たちがクスクスと声を漏らしていた。なんとも婉曲的で、狡いやり口だ。
この時ほど、ドレス姿に感謝したことは無い。お陰で即応に時を要した。手の中で指が軋むほど握りしめた拳と扇。奥底から這い上がる熱を、いくらか冷ますことができた。
「……そう見えるか」
テテュスの硬質な声が低く落ちる。
周囲の空気が、一瞬にして冷え込んだ。激情の言葉で、水を打ったように静かになる。
口を引き結び目を伏せた。言葉を発することなく、裾を揺らしてゆっくりと身を翻す。
歴戦の巫女は少女に踵を返し歩を進めれば、戦傷を刻んだ背中が静かに晒される。
ドレスの背から覗く爆炎に焼かれた痕が、含羞も誇張もなくそこにある。
近付こうとすると、友達らしき数人が周りを囲む。無視して脇を通り過ぎれば誰かが足を出して来たので、ヒールに全体重を乗せた。
横の女性が絶叫する。
「おっと、すまない。田舎者故、まだドレスに慣れなくてな」
「ヒッ――」
しゃがんで烈火の眼差しを喰らわせると、足を押さえる弱り目の女は顔を引きつらせる。自分でも驚くほど冷たい声になってしまった。意外と腹に据えかねているらしい。
「あらまぁ、そのご立派なお傷が身体に障るのではなくて? 傷病人にこの場は荷が重いと、口添えしてあげましょうか?」
「傷が痛むなら、粗相も仕方ありませんわね」
「体調が優れないんですものねぇ」
理由はどうあれ、友人を傷付けられて気分を害したようだ。クロムグリーンの女性に端を発し、彼女たちは迂遠な悪罵を舌に乗せる。
(なるほど。確かに、これは戦場だ)
テテュスは独りほくそ笑む。ここでは剣戟を交えることは無い。けれども。悪意に支配された空間の中では言葉の下に刃を忍ばせ、静かな応酬が繰り広げられる。瑕瑾は弱点となり、付け入れられる隙にしかならない。
ならば、この身に負った傷は己の瑕疵で、弱点か?
答えは否。
「これは、私の武器だ」
「はあ?」
懐疑の眼差しを向けて来る。悪意の満ちる舞台に立つことで、喉の奥が灼けるように乾いていた。それでも唾を絞り出し、声の擦れに気を配る。
戦傷の揶揄は最初から覚悟の上。それでも晒すと決めた以上、卑屈などあってはならない。怒りで握った拳を、ゆっくりと開く。
「病床に伏せっていた時間は、実に多くの学びを私に与えてくれた。殿下を庇って負ったこの傷は、もはや私にとっては誇り。何人にも汚させはしない」
テテュスの声が、控室全体に朗々《ろうろう》と響く。周囲の人間は互いに顔を見合わせ、やにわに騒がしくなる。
「まさか、紅銀?」
「バカなっ⁉ あり得ん……」
「まだ一ヶ月だぞ?」
口々に漏らす声に動揺が滲む。それは目の前の女性陣にも波及し、焦った様子で周囲を見回す。
「無礼者! 逃げて負った傷を、王族への忠誠にすり替えるとは。恥を知りなさいッ!」
背後の少女が吼える。模範的な貞淑さはそこにはなく、顔を紅潮させ肩で息をする少女の姿がそこにはあった。
体面をかなぐり捨て喝破するその覇気に感心しつつ、テテュスは一つの失念を思い出す。
(ああ。そうか……)
普通なら全治三ヶ月の重傷を、自身の異常な回復力で一ヶ月にまで短縮したのを忘れていた。これでは、信じてもらうのも無理だろう。
「なんだ、ハッタリか」
「脅かしやがって」
「滑稽ね」
冷ややかな言説が周囲に氾濫し、テテュスは糾弾の的となる。
どう釈明したものか頭を悩ませていると、準主賓控室の方から声が聞こえた。
「へぇ~。じゃあ、アナタが『紅銀の巫女』なんだね~♪」
突然の明るい声が空気を切り裂いた。
「なら、アンタが三人目の飛翔型の試験搭乗者ってことであってる?」
中性的なよく通る声。振り返ると、人垣がそこだけ割れている。まるで、祭壇への聖路が開かれたように。その先には二人の女性士官。ハーネスに吊り下げられたリアスカートから、尉官だと分かる。
一人は、雪豹の尾と耳を持つ小柄な獣人。
もう一人は、浅黒い肌を持つ長身痩躯の森人。
口振りからすると恐らく、二人がテテュスの同僚なのだろう。二人の加勢に、周囲からは狼狽する声が聞こえてくる。
「まさか、ヴェッダルフィア」
「嘘だろ……」
「じゃあ、例の最新鋭機の……」
「英雄の宿命か」
「出来レースだろ」
『王護の盾』ヴェッダルフィア公爵家。公国草創期から近衛を累代で歴任して来た名門中の名門。一族の輝かしい戦功は公国の歴史の中でも燦然と輝き、ともすれば王族以上に英雄視されている。
(こんな所で会うとはな……)
ダグアーラ殿下の祝賀会なのだから、王家の外戚たる彼女らが列席するのは自明の理ではあるのだが。同じテストパイロットに選ばれているとは予想外。
それと、彼女が語った『紅銀の巫女』という単語に周囲の人間は反応した。羨望、或いは嫉妬。様々な感情が乗った眼差しがテテュスに殺到する。
「アタシはただ、正しくあろうとしただけなのに……」
一瞥すると扇の縁が、かすかに濡れていた。瞬きをしても、雫は落ちない。けれど、彼女の睫毛には明確な震えが見える。その姿はどこか、出会った当初のノーラを彷彿とさせた。
抗弁は誰の耳にも届かず、ざわめきの波に飲まれていく。
足拍子。公爵令嬢が鳴らすと、辺りは一斉に静まり返る。全員が息を潜め、視線を注ぎ、彼女の言葉を待っていた。
好奇や畏敬、多様な視線を注がれることを意に介さず、小柄な獣人士官は散歩するような足取りで控室に軍靴を響かせる。
「初めまして♪ わたし、スコルヴィナ・ヴェッダルフィア大尉だよ。同じテストパイロットとしてヨロシク♪」
小柄な女性士官はテテュスを前におどけて敬礼した後、ブンブンと握手。中々エネルギッシュな御仁のようだ。
「ネイラ・マルゼーン中尉。よろしく、同僚」
他方、森人の士官は気取らずさっぱりとした性格の様子。
「いや~、心配したよ~。あまりに遅いもんだから、迷子かな~って♪」
会えて良かった。屈託なく朗らかな表情で肘と腰を掌で包み、軽く抱擁して来る。
「にしても。栄えあるお貴族様が、陰湿ないじめとはねぇ?」
マルゼーン中尉が周囲を睥睨すると、長身からの威圧に女性陣は顔を背け目を逸らす。立ち尽くし俯く男爵令嬢を除いて。彼女たちの卑屈な態度に、中尉は嘆息した。
「あ、そうだ。扇、ちょっと貸して♪」
突き出した手に扇を手渡すと、おもむろに開く。
「扇はねぇ~? 開いておく方が心象良いよ♪」
破顔する大尉は両手で返却してくれた。
「ああ……」
だから絡まれたのか。腑に落ちたテテュスはようやく、自分の不作法振りを自覚した。
「うわ、そんなルールあんの? メンドくさ」
呻くような声はマルゼーン中尉。彼女もまた、社交の場には疎いらしい。テテュスは心内で親近感を覚え、冷えた胸の奥に明かりが灯る。
それはそれとして。
(静かだ……)
先程とは違って自身の粗相や、中尉の体面を無視した明け透けな物言いに対しても。傍観者たちは悪意ある冷やかしを口にしない。
糾弾者は見る影もなく、視線で一望すれば全員が沈黙を貫くばかり。気分を害さないようにと、委縮しているのが分かる。まるで借りてきた猫。
勝利宣言は要らない。全てが、スコルヴィナ・ヴェッダルフィアの胸三寸で決まるのだから。
音の凪いだ静寂が物語っていた。この場の主が、誰であるかを。




