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輝翼のテテュス~女を捨てて軍に入ったけど、年下王子から言い寄られて私の情緒はグチャグチャです~  作者: 三津朔夜


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王女の横顔

 湯気の奥で、せ返るように甘いオレンジが香り、そこにカモミールの柔らかな草の匂いが溶け合っていた。

 湯面に浮かぶ薔薇ばらの花弁は、指先で触れれば崩れてしまいそうなほど薄く、淡く高貴な香りだけを残して沈んでゆく。


 熱すぎない湯が身体を包み、呼吸が自然と深くなる。

 痛みをしずめるでも、力を与えるでもない。ただ、今日を無事に終えたことを静かに(うべな)うための湯だった。


「どうだ? テテュス。薔薇ばらを浮かべた湯など、軍でも神殿でもお目にかかるまい?」


 半地下型の浴槽よくそうの縁に広げた両肘りょうひじを乗せ、エルディッサがどこかほこらしげに笑う。


「確かに」


 広々とした湯殿ゆどのに今は二人だけ。ノーラは謁見えっけん後に合流したミレイユたちに預け、テテュスは王女の入浴に付き合っていた。

 言葉数少なく、湯けむりが立ち込め穏やかに流れる時間。甘美な薫香くんこうを発する薬湯やくとうの中で、そっと脇腹わきばらに手を触れる。


 目の前の人物から肘打ちをもらったそこは赤くあざが残っており、今も痛みがくすぶっている。戦闘直後は興奮していたので何も感じなかったが、謁見時には痛みが最高潮に達していた。


(まあ、手加減はされていたハズ……)


 よくよく考えてみれば、下に弟が居る状況で屋根をくだく程の踏み込みなどできるわけがない。害意がないならなおの事。実力差なら、最初の一合で痛感した。放埓ほうらつに見えてその実、方々への確かな配慮はいりょがある。


『お腹が空いたか。なれば余が部屋に招かれよ。ケーキも用意させよう♪』


 パレード解散直後。ノーラに掛けた一言が印象に残っていた。

 獰猛な野人などではなく、思慮深い優しい人。それがエルディッサに対するテテュスの見解だった。


「時にテテュスよ。そなた、この薔薇がどこで採れたか知っておるか?」

「……王都近隣や、中央地域ではない、と?」


 試すような笑みが、返答を聞いて輝き出す。なんとなく、話の脈絡を考え慎重に言葉を選んでみたが、間違いではないらしい。


「よく気付いたな。そう、これはそなたらの居た北西部から献上されておる♪」


 腕を組み、誇らしげに口角をり上げた。

 そこから王女直々の講釈が始まる。王城における魚一匹(いっぴき)から布の一枚に至るまで。全てが国中から納入された物資で運営されていた。

 この薬湯も、薔薇は北西部。オレンジは南部、カモミールは北部という風に。地方それぞれの特産品を組み合わされていた。配分を間違えれば、角が立つ。


「公国にとって王族とは、中央に座す調停者。八氏族という、地方豪族を均衡きんこうさせる天秤てんびんの担い手なのだ」

「――――っ」


 国の統治者ではなく、調停者。明眸めいぼうを伏した王女から語られるその言葉の重みに、テテュスは思わずすくみ上がる。


 八氏族とは、化外けがいの地に生きてきた誇り高き民だ。

 かつてさげすまれた彼らが、南部王国の継承戦争から王族の傍流ぼうりゅうを迎え入れた。


 表向きは王、裏の本質は均衡を保つ天秤。欠けても、偏ってもいけない。り戻しには、必ず血が流れる。誰も知らない暗幕の中で。この国の歴史を知っていれば、容易に想像がついてしまう。


「……地獄だぞ?」


 天井てんじょうあおぎ見る王女の声が、薫香くんこうに溶けた。息を吸えば、溶けた暗澹あんたんが胸の内を重くする。目が、離せない。


「軍に、入ったのは……」


 まさか。問いかけると、エルディッサはふと目を伏せた。

 湯気の向こう、何かを思い出してかすかにまゆくもらせる。


「そう。……自衛が理由の大半だ」


 父王のに服したばん。殺された刺客。

 真紅しんく明眸めいぼうに焼き付いた惨劇さんげきを、彼女は片時も忘れたことは無かったという。


「…………」


 押し黙るテテュスは、揺らぐ水面に視線を落とす。他人事ではない。

 今でもたまに、夢に見る。あの夜の光景。

 燃え盛る炎。焦げた草と黒煙。そして――――


「大丈夫か? 顔が蒼いぞ?」

「え――――?」


 手を握られ声に気が付けば、のぞき込むエルディッサの顔が目に飛び込んで来る。


「そ……、すい――」


 指先が唇に触れたまま、見詰めるエルディッサの視線がわずかに揺れた。

 一瞬、迷いの影が走る。が、すぐにそれを封じ込めるように微笑むと、静かに指をそっと離す。


「そなたとは、仲良くなれそうだな――同じ傷を持つ者同士」


 彼女はうん、と伸びをし、離した手が水面を叩く音でようやく呼吸を思い出す。


「そう、ですね……」


 動揺どうようが収まらないテテュスは目を泳がせ、それしか言えない。噴き出す汗は、湯舟の温度だけが理由じゃなかった。

 過去を知られた訳ではない。ただ単純に、同じような経験が互いにあるだけで。


「すまぬ。許せ」


 エルディッサが頭を下げる。肩をすぼめる心からの謝罪に、テテュスは胸を締め付けられた。悪気はないし、気にしなくていいと口にするのは簡単だ。


(けど――)


 それでは心が納得しない。彼女は、自身の傷を見せることで心を開こうとしている。見て見ぬふりはできない。しっかり相手と向き合う。テテュスは居住まいを正し、真紅の明眸を真っ向から受け止める。


「私はまだ、過去を全て受け入れられてるわけではありません……」


 でも、


「あなたの傷を見て、ようやく自分の痛みに向き合える、そんな気がします」


 ずっと、遠ざけて来た。そうしないと、立ち上がれなかったから。

 だが今は違う。

 日記をつづり、少女との共同生活の中で、少しずつ向き合うための素地そじが形成されて来た。

 今なら――


「テテュス♪」

「あだ、あだだだだだだだっ」


 急に抱き付かれ、肋骨ろっこつきしんだ。脇腹の赤(あざ)は未だに疼痛とうつう肺腑はいふを締め上げていた。

 そのことを正直に話すと、エルディッサは口をとがらす。


「仕方が無いであろう。抜刀し魔力を滾らせながら向かってくるなど、普通は謀反と判じられても文句は言えぬぞ?」


 視線をらし、ねたような口振り。テテュスに非はあるが、それでも彼女が責任を感じているのが分かり微笑ましかった。


「悪い事をした自覚はあるんですね?」


 せっかくなので、少し揶揄からかってやることにした。目を見開いて振り返ると、明眸はテテュスのいたずらっぽい笑みを捕捉ほそくする。


「なっ 元はそなたが――――って、からかってるであろう⁉」


 ノリツッコミに思わず吹き出してしまう。そのせいで痛んだ肺を両手で抑える。


「余をたばかるからである。不敬者め……」


 むくれて顔を逸らすも、流し目でテテュスの事を気遣きづかうのも忘れない。器用で、可愛らしい女の子だ。

 なんというか、愛嬌あいきょうがあってにくめない。傍若無人が許されるのは、彼女のこういう所もあるからなのだろう。コロコロと表情を変えるエルディッサに、微笑を向けた。


 次はどんな顔をするのだろうか。軽い気持ちで見ていると、途端にくもらせた相貌そうぼうを揺らぐ水面に映す。


「どうかしましたか?」


 声をかけると、彼女は一瞥いちべつした。

 迷うように、湯の中で編んだ指が不安定に身じろぎする。


「――――ああ。これは、友人の話なのだがな……」


 低く沈む声が、やけに遠く感じた。

 侯爵こうしゃく令嬢の友人が、嬉々として教えてくれたらしい。ダグアーラの縁談が決まりそうだと。

 浮かない顔から、その話が彼女にとって良くないものであることが分かる。


「結論から言うとな、テテュス。この縁談は必ず破談になる」


 政治の力学によって、ことごとく縁談を潰されたダグアーラ。そんな彼に、唯一手を差し伸べたのがドラコロア侯爵家。一見、美談として語り草になりそうな話だ。


 不意に言葉を切る。問いの意図いとを含んだ、どこかすがるような眼差し。その瞬間、彼女の威風が霧散した。

 固唾かたずを呑み、テテュスは状況を冷静に分析。ダグアーラは今回、数々の武勇伝を得て王都に凱旋がいせんした。しかし、それはあまり関係が無さそうだ。


(もっと前となると――)


 思い出されるのは、一つしかない。


「飛翔型開発が、成功するからですか?」


 正鵠せいこくを得た発言に、エルディッサは顔を綻ばせる。一拍の後、それが寂寥せきりょう悲哀ひあいかげる。喜びたくても喜べない。複雑な胸中が滲みだしているようで、テテュスも胸が苦しくなる。


 国防上、最重要課題をダグアーラが解決すれば、世界の歴史に名を刻む偉業いぎょうを果たすことになる。

 救国の英雄、一躍いちやく時の人となった彼に、並み居る公爵家がてのひらを反すのは想像に難くない。どころか、他国からも求婚されるだろう。


(懸念は、そこか)


 もしそうなっても、侯爵家の面子めんつは潰れない。寧ろ破談の見返りを考えれば、圧倒的に利益が勝る。

 問題は、縁談の当事者たちの気持ちが一切考慮こうりょされない点だ。


「ダグアーラや、そなたらは――――。何も、間違ってはおらん……」


 瞳の奥に浮かぶ、つぐんだ言葉が痛かった。

 彼女はそれから視線を切り、浴槽の縁に腕を乗せてあごを置く。壁を見詰める眼差しは遠く、誰のことも映していない。

 成功して欲しくない。それを口にしないのは、彼女なりの矜持きょうじなのだろう。


「殿下……」


 ポツリと零れた声に、自分でも驚いた。

 深い懊悩おうのうと絶望が、そこにある。手を伸ばせば届く距離なのに、何故なぜか怖かった。

 照明の陰に沈む、その横顔が吐息のように呟いた。


「……喜ばしき、事なのだ」


 それは、誰に向けられた言葉だったのだろうか。

 湯殿を包む沈黙が、テテュスの胸を締め付けた。

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