滾る紅焔の風
踏み外せない、最悪の防御陣地。左右に傾斜の付いた切妻式の屋根は踏ん張りが利かず、滑落には一瞬で事足りる。鉄板の装甲がそれを助長するから始末に負えない。
テテュスは真ん中の角に靴底を食い込ませ、手が付くほど伏して抜刀に備える。
(どこまで本気なんだ……?)
爛々《らんらん》と戦意に瞳を輝かせて迫る、その真意が分からない。
戦端を開くことに対し、テテュスに躊躇いはない。しかし、どこまで本気なのか。
殺す気でやれという事か、それともただの余興なのか。
(――――いや)
ゴチャゴチャ考えても仕方がない。矛を交えなければ、判らないこともある。
今は、目の前の光景に集中する。
真紅の髪と尻尾を風に流すエルディッサは跳んで宙を舞い、上体を弓なりに反らした。渾身の突きが来る、身構えるテテュスは息を入れ脱力。
「ッシャァッ!」
正中線を守る抜きつけ。初太刀を見切った相手が、針穴の隙に輝燿の穂先を通す。体を切り返し両手で持ち、鍔元の鎬で受けた。
槍と剣。術式同士が衝突し、紫電が散華。遠くで自分の名を呼ぶ声がした。
重い。頭上より、全体重の乗った槍撃は熾烈。突きは鎬の一点に収束し、一瞬の危うい均衡を保つ。
(ええいっ ちゃんを付けるなと、あれほど……っ)
顔を歯噛みしていると、相手は全身をしならせ一瞬で背後に回り込み刺突。振り返りざまの斬撃とかち合い激突。紫電が迸り、衝撃に装甲がひしゃげて捲れる。
滑りやすい屋根が、試すように軋む。振動で両者の脚が僅かに撓んだ。
落ちれば終わり。その事実が、二人の間に膠着を生む。
一息の間の二合に、街の空気が破裂した。
悲鳴、怒号。そして興奮。蘇る喧噪が鯨波となって、屋根まで揺らす。
空気の変化にエルディッサは目を細め、猛る笑みが獰猛さを増す。
殺意も害意もない。あるのは戦意、所望は手合わせ。
ただ、戦闘に狂喜する王女は戯れで人を殺しかねない。
(そっちがその気なら――)
不敬罪じゃなくて良かった。テテュスもまた全身に魔力を漲らせ、ストロベリーブロンドの髪を更に光耀させる。
間詰め。穂先をかち上げ、石突での足払い。
足を取られれば落下は必至。皮膚が粟立ち、咄嗟に鞘。防御で受け流し旋回。地に伏して足元を薙ぐ。跳躍で躱され、頭上に影が落ちる。
「ィェアッ!」
「くっ――」
迫る穂先。輝燿の刃は身を捩って回避。焦げた空気に背筋が凍る。反射的に避けてしまった。
喉奥が冷え、血の気が失せた。その下には守るべき存在がいるのに。
視認を外れた死角が突然、どうしようもない程恐ろしくなる。見えない屋根の先に脳髄が凍る。
石火、屈託ない笑顔が脳裏を焼いた。
(ノーラ――)
突き立てられた槍。刹那、術式で装甲が蒸発。下で聞こえた少女の悲鳴。耳朶を打った瞬間、血が沸騰した。
「オオォァアッ」
激情が滾るまま体当たり。遮る柄に手を掛け頭突き。面食らった相手は辛うじて逃れる。乱れた真紅の長髪に噛みつく。捕まえた。
「なっ――」
紅い髪に歯を立てられた王女は束の間、目を見開く。
好機――――――――だが、笑った。
それは何かを悟り、嬉しさを滲ませる無垢な笑み。しかし次の瞬間には豹変。
狂暴な愉悦で牙を剥き、テテュスは肝を冷やす。
顎を引くと同時、空いた脇腹に肘突。強化服の緩衝性能を超えた衝撃が肺腑を貫く。烈火の劇痛に呼吸が死んだ。
「がぁ……っ」
白目を剥き、視界も閉塞。足を踏み外し、衝撃に流され手放しかけた意識の中で、太刀に宿る相棒に祈った。
(リョース)
名を呼ばれた幼精は太刀を操り、術式を解いて宙に投げ出されたテテュスを受け止める。意識混濁の中手綱を手繰り寄せ、柄を握る。
「フッー―」
刀身を足場に跳躍。腕を交叉、弾丸と化し吶喊。
「チィッ!」
忌々しげな表情のエルディッサは前方宙返りで運転席側に移動。音を立てて車体の屋根に降り立つ。
着弾したテテュスは、屋根の隙間に手を突き入れ強引に静止。即座に振り返ると。エルディッサは構えを解いていた。
「見事なり、テテュス・アハティアラ。我が弟を護衛しての参内、誠に大義である!」
魔力の込められた声が空気を貫き、民衆への布告となる。王城を前に熱狂は最高潮となった。
満足げに眼下を睥睨する王女。戦意の霧散を感じ、テテュスは急いで屋台の方に身体を放り込む。
「ノーラッ!」
叫ぶ声に込められたのは、戦いの果てに見えた 護るべきものへの想いだった。
屋台に踏み入った際、散乱する屋根の瓦礫に絶句。天井の風穴が、術式の威力を雄弁に語る。押し殺したはずの恐怖の残滓が肚底をさらった。
「テテュスさまっ」
幼い侍女は蒼白顔で駆け寄るも、小さな瓦礫に足を取られた。
少女が転びそうになったその時、腕が勝手に動いた。
ふわりと抱き寄せた感触に、全身から力が抜けていく。心の深くで、何かがほどけていった。
潤んだ瞳のノーラがこちらを見上げている。テテュスは微笑んで、そっと額を寄せた。
「大丈夫か?」
「はい。少佐が」
守ってくれました。微笑を湛えて立つ少年が頷く。
「中尉こそ大丈夫ですか? 吹き飛ばされてましたが……」
碧眼に申し訳なさを映して目を伏せる。その仕草だけで胸の奥に残っていた不安が、静かに沈んでいった。
ノーラと共に立ち上がり、彼に微笑を向ける。
「問題ありません少佐。リョースが――」
後頭部に何か当たったかと思うと、自身の太刀が空中で静止していた。完全に忘れていた。心内を察してか、憤慨するように刀身が上下に跳ねる。
「すまない。それと、ありがとうリョース」
(また、助けられたな)
核の宝珠を撫でる。一際輝きを増し、歓喜を示すようだった。
(やはり、お前は最高の相棒だ)
心の中で呟くと、誇らしげに珠が光る。感謝を込め、慈しみながらゆっくりと納刀した。
「まったく。姫たる余を差し置き、一目散に従僕の下へ駆け付けるとはな」
槍を携え、腕組みして睥睨して来るのはエルディッサ。戯れに自分の槍で危険に晒した少女を、まるで顧みない。そんな不遜を目にすると、焼失した激情が胃の腑に甦る。
「どうして連れて来た? 我が愚弟が暗殺の標的と、知っていたのであろう?」
戦場へ。何の覚悟もなく。
「――――ッ⁉」
苛烈な糾弾の視線が、胸の深くまでを無慈悲に焼き焦がす。癒着したように喉が張り付き、瞠目するテテュスは何も言えない。
正論だった。パレードが戦場になる危険性は最初からあった。クリスカが暗に教示してくれていたのに。
だから装備を整え、コルンダルでは銀髪の威光で事前に回避した。
戦闘の心得がない、幼い少女の事を。本当に思うならば――
「無論、余とて咎める気はない。だが――」
歩み寄りテテュスと対峙する。十センチも違うと、少し顎を上げざるを得ない。
「何かしらの対策はすべきであろう? 傍に居させたいなら、尚の事」
灼熱を宿す明眸は、いたいけな少女に飛び火する。しゃがんでノーラを見詰める。幼い侍女は動けない。
「大切なのであろう?」
身を投げ出したくなるほどに。エルディッサは、優しい手つきで少女の頬をなぞった。真紅の瞳には、情愛の念が灯る。
「…………ッ」
テテュスは歯噛みする事しかできない。不安げに見つめて来る少女に、何を言うべきか。それすらも解らなかった。
「僕の責任です」
毅然とした面持ちのダグアーラ。彼の碧眼に同情や憐憫の色はない。主従二人を庇うように立ち、エルディッサを見詰める。
「ノーラがこの場に居るのは、それが僕の判断だからです。全ての責任は、僕が負います」
軍において、上官命令は絶対。代わりに、部下の判断は上官の責任。そういう関係性が組織の有機性を高める。そう習っていた筈なのに、記憶から抜け落ちていた。
『貴女は悪くない』
それを口にしないのは、少佐なりの優しさである事を、テテュスは理解していた。責任を放り投げて楽になりたい訳ではない、自分の事しか考えてない傲慢さが許せないのだ。免責の言葉など、今は侮辱でしかない。
「ほぅ? 書物の中に逃げ込んでいた臆病者が、言うようになったものだな?」
片眉を吊り上げる顔は、どこか彼を試すようでもあった。
「ええ。守るべき部下ができましたので」
反駁するどころか肯定し、笑みすら返した。その様子に鼻を鳴らす姉君は、どこか満足げに微笑んでいた。
「ノーラは、どうしたいですか?」
振り返ったダグアーラは、幼い侍女に水を差し向ける。ノーラは口元をきゅっと結んだまま、懸命に泣くのを堪えていた。少女の震える指先が、テテュスが手首に縛ったリボンを必死に握りしめる。
少年から怖いから遠くで見守るかと問われれば、侍女は頑なに首を振った。
「ひとりに、しないで……っ」
嗚咽を押し殺す、消え入るような声。少女はテテュスから距離を置き、改めて向き合う。真っ直ぐな視線に、伸ばしかけた腕が止まる。
「おそばに、いたいです……っ」
ノーラの言葉に、ダグアーラはふっと目を細めた。
「ちゃんと、言えましたね」
「はいっ」
溌溂な返事を返した。その様子にエルディッサも「うむ」と微笑んで頷く。
ほんの一瞬ためらってから、少女は胸を張ってテテュスの手を握る。
「これからも、よろしく頼む」
「はい♪」
笑顔がはじけた。流れる涙にはもう、悲哀の色はない。
私は、何を見ていたのだろう。
ノーラは、ただの子供じゃない。
ちゃんと向き合い続けよう。逃げずに。
(もっと学んで、強くならないと……)
少女の決意に、テテュスは首肯する。
もう決して、この手を離さない。ノーラの小さな掌を、力強く包み直す。
大丈夫。今度こそ、護ってみせる。




