揺らぐ心
土と根菜の匂いが、鼻に抜けていく。中央地域の畑はその殆どで畝の乱れや刈り跡だけが残り、露わな裸地が豊穣をそっと教えてくれる。
コルンダルを抜け、田園風景が広がる郊外の村落に差し掛かった時。術式の気配と共に少年の声が頭に響く。
『それで中尉。状況を説明して頂けますか?』
魔法による念話、さすがは魔法の大家。テテュスは心の中で舌を巻く。
機器を介した念話をするのは、ひとえに山を隔てるような遠距離間での安定性確保が目的。屋根の上下という空間を限定すれば、術式さえあればいい。
詰問ではなく、質問。咎める気配がないものの、葛藤と逡巡が舌を鈍らせる。
(う~ん。どうしようか……)
『聞こえてますよ中尉? 駄々洩れです』
「――ッ⁉」
一瞬で頬が茹で上がり、銀光が揺らぐ。隠しても無駄なら正直に答える外ない。普通に刺客が居たので威嚇して追い払った。ただ、それだけの事。
(でもなぁ。方々に暴露したら、色々面子がなぁ……)
下手すれば何人か首が飛ぶ。それはどこか釈然としない。
職責上仕方がないとはいえ、あんまりだ。自然とテテュスも口が重くなる。
『解りました中尉。これは、二人だけの秘密にしておきましょう♪』
紅銀を見せたのは、あくまで演出の一環。方々にそう伝えることで決着した。
『それにしても。中尉は本来、そういう喋り方をするんですね♪』
何だか新鮮です。頭に響く声から、笑みを浮かべる顔が目に浮かぶようだ。
「……っ」
頬から火が出そうだ。羞恥に身を捩りたくなる衝動を、奥歯で必死に咬み殺す。
(そろそろ切りたい)
「そろそろ切ってもらって良いですか?」
これ以上は本心を丸裸にされるかもしれない。一秒でも早く終わらせたかった。
『えぇ~? もう少し話しませんか? せっかく――』
甘えたような声が、柔らかい脳の芯をとろかそうとする。言葉の形をした媚薬に、頬の奥が痺れる。
聴いてはダメ。理性を総動員したテテュスは即座に銀光を解き、屋台へと逃げ込む。
「あ、おかえりなさい♪」
声を弾ませちょこちょこと歩み寄るノーラ。天真爛漫な声に癒され、浮き立つ熱を伴った甘い痺れも抜けていく。
「ご苦労様です、中尉。サプライズな演出に関しては既に通達しておきました」
「ありがとうございます、少佐」
如才がない。歩み寄って屈託ない笑顔を向けて来るダグアーラに対し、テテュスは胡乱げな視線を返す。本当にいい性格をしている。悪い意味で。
「いえ、当然のことですよ♪」
「~~っ」
顎を引き、上目遣いのその視線に、テテュスの喉が一瞬だけ動いた。それを見たダグアーラの目元が、微かに緩む。
風が吹いて、二人の前髪を揺らした。
髪の乱れが、動揺をなぞるように見えて。無意識に、リボンを握る指に力が入る。
「ダメ、でしたか……?」
尻尾を捩よじる仕草。声音はどこか拗ねたようでもあり、テテュスの胸の深奥が切なくなる。
(なんてことを、さらっと……)
全力の無表情で驚愕を抑える。
問いの本質は、間違いなく念話の件。首を縦に振れば、ノーラは笑う。振らなければ曇る。どちらも見越した上での、言葉選びだ。
風通しの良い屋台に少しの間、沈黙の帳が落ちる。
テテュスは瞼を閉じ、息を整え、
「……事前の打ち合わせにない行動で、申し訳ありませんでした」
肩の力を抜いた声。理性的に振る舞ったつもりだったが、少しだけ声が震えた。
「いえいえ、僕を想ってのことですよね? 感激です、中尉♪」
無邪気な少年を演ずるための笑顔。その目元には、悪戯っぽさと。どこか、拭いきれない寂しさがあった。
はぐらかした負い目に、思わず目を逸らす。
ノーラに向き直る少年の袖口に触れかけて――――指先が躊躇う。
すると、金色の尻尾が優しく撫でた。
『ありがとうございます』
刹那に見せる、謝意と嬉しさが溶け合う一瞥の視線、柔らかな笑み。
(そんな顔……ずるい)
リボンを握る手を押し当てた胸の奥に、言葉にならない疼きが残る。息を呑んだ喉の奥で、何かが震えた。
そんな二人のやり取りに飽きたのか、さっきからノーラは地平の先まで広がる田園風景に夢中だ。
「すごい。ホントに見渡す限りだ……」
少女は食い入るように見詰める。リゼから事前に教わっていたのだろう。知識と現実が噛み合い、世界が広がる実感に打ち震える。少女の成長に目を細め、テテュスは静かに胸を撫で下ろした。
土の匂いに、煮詰められた甜菜の甘い香りが混じる。
顏を向けた先に広がるのは、株が露出する畑に囲まれ、黒々とそびえる製糖工場。
白煙を吐き出す煙突は、空へと続く階梯にも見えた。感傷が抜けないテテュスは口端で自嘲した。
「なんか、おっきい倉庫……」
少女はただ、純粋な興味を工場に示す。
「製糖工場、お砂糖を作ってる場所ですね」
「――っ⁉ ケーキ食べれますか?」
甘いもの大好きなノーラは沸き立つ。だがケーキが食べられないと知らされ、肩を落とすから可愛い。
「お城に着いたら、いっしょに食べますか?」
「はいっ ――――でも……」
主人の視線に気づくと、途端に顔を曇らせ目を伏せる。
侍女の自分はわがままが許されない。本心とは裏腹な態度がいじらしくも悲しい。子供に我慢を強いるなど、ただの拷問でしかないのはテテュスが一番よく知ってる。
「私としても、少佐のお傍で仕えたいと考えております」
暗殺の危険を鑑みて。口実を捻り出したテテュスは胸に手を当て、恭しく一礼。
王子は余裕の笑みで「部屋はたっぷり余ってますので」と、大いに歓迎してくれていた。
「お好きなものを用意させましょう。何が良いですか?」
「チョコケーキ!」
元気いっぱいなノーラの姿に、テテュスも自然と頬が緩んだ。
「テテュスさまっ」
「よかったな」
破顔する少女の髪を優しく撫でながら、テテュスはふと思う。
この子が、この世界で笑い続けられるように、と。護るべき存在に対し、慈しみに目を伏せる。
途中、速度を徒歩から駆け足にしながら街道を突き進み、いよいよ王都が近付いて来た事で再び屋根に上り抜刀して魔力解放。
誰もがその眩い銀光に目を奪われた。
街を囲う外縁の城門を抜けた瞬間、テテュスは鼻先に土と香油の混ざる空気を感じた。
大通りには人波が溢れ、祝福の声と熱気が、屋根の上にまで登ってくる。伝わる音圧が足元をくすぐり、甘いお菓子の匂いが風に混じっていた。
(このまま、何事もなければ――)
そんな思考を、微かな魔力の波動が裂いた。
左手に臨んだ駅の影。そこで、テテュスは確かに彼女を見た。
騒がしさの中で切り取られ、まるで時間の止まったような光景に瞠目する。
「なっ⁉」
ミレイユ。いつもと変わらぬ笑みで、ただ、こちらに手を振っていた。
笑った口元と、確かに感じた魔力の残響。気のせいだと、郷愁を振り切るように顔を正面に戻す。
意味が分からない。朝一番の汽車で来たというのか。後ろ髪の誘引に負け、振り返ったときにはもう、人だかりが埋め尽くしていた。
「なんだったんだ、一体……」
幻覚だと一笑に付そうかと考えたが、あの魔力の波動は間違いなく現実。
(落ち着け。刺客が見てるかもしれないんだぞ……)
背筋を伸ばしたテテュスは胸に手を当て、ゆっくりと息を吐く。喉に迫る郷愁を追い出して。
冷静さを、取り戻したつもりだった。けれど、胸の内側で何かがまだ震えている。
誰にも気づかれないよう、瞼を伏せたまま呟く。
(今は……警護に集中しろ)
握った柄に爪を食い込ませ、痛みで浮き立つ熱を冷ます。
いよいよ王城が近付いて来た。終盤に差し掛かったことで、テテュスの気持にもゆとりができた。
直後、正面右手に魔力反応を知覚。明らかな視線を感じ、反射的に切っ先を向けて睨む。
目を凝らせば、王城のバルコニーには簡素な純白のワンピース姿の女性が立っていた。切っ先に驚いたのか、目を剥いてこちらを凝視していた。
(まさか――)
エルディッサ・レニル・マナルジョス。王家の至宝とまで形容される美貌の才媛。空戦の名手でもある彼女の事は、さすがにテテュスも知っていた。正面に向き直るが、強化服の下には玉の汗が全身から噴き出す。不敬罪に処されないか、不安で不安でしょうがない。
「ん?」
先程の方角から再び魔力を感じ、目を向けると驚愕した。
真紅の尻尾と長髪を風になびかせ、こちらに向かって来る。刀を向けられ矜持が傷付き逆上したのかというと、そうではない。
屋根伝いに距離を詰める魔力には怒気も殺気も皆無。それが、何よりも異様だった。
愉悦。そう呼ぶしかない感情を浮かべ、口角を吊り上げ犬歯を晒す。真紅の明眸は戦意旺盛。間違いなく楽しんでいる。
そこでようやく、彼女の手に槍があると気づく。穂先が、鈍く光っていた。
理解より先に、背筋が粟立った。魔力が皮膚の内側を叩く。呼吸が、一拍遅れる。
迎撃準備。口を引き結び、納刀するテテュスの指が、無意識に柄を締め上げる。
「姉上ッ⁉」
弟君が見間違えるはずもない。
槍と剣が交わる前から、勝敗は問題ではなかった。
ここで応じるか、退くか。
魔力を滾らせる美姫の疾走に、祝祭のざわめきが吸い込まれたように消えた。王都の空気が張り詰める。
これは戦闘ではなく、試練だ。
問われているのは覚悟。自分が、どうあるべきかの。




