駅舎を出て
列車の汽笛と白煙が、涼やかな中天の空に吸い込まれていく。
魔力駆動の列車は水冷式で、煙突から吐き出す魔力の余波が、蒸気となって空に揺蕩う。虹を曳いて。彩雲現象が、町の中に神秘的な光景を作り出していた。
人でごった返す駅舎に降り立つのはゲズゴール将軍。杖を突き、顔の右半分に戦傷を受けた老年の偉丈夫。その後ろに続くのは清楚な淑女然とした軍服のミレイユと、それに付き従う屈強な護衛に黒髪メイド。
世紀の凱旋を一目見ようと乗客が雪崩れ込む中、威風を纏う将軍の周りだけは少し空いていた。お陰で歩きやすい。
駅を出た直後。真っ先に目の前に飛び込んで来るのは、更なる黒山の人だかり。その密度と熱狂に、ミレイユは圧倒されてしまう。
「ミレイユ様」
毅然としたリゼに肩を叩かれて持ち直し、礼をしてから祖父を追う。屈強な護衛は三人の最後尾。
「――――ほぅ。あ奴も、ここへきて肚が決まったと見える」
テテュスの魔力を感じ、老将は口端を歪める。楽しげな祖父とは違い、ミレイユは一抹の不安を胸の奥に感じた。
(やっぱり、まだ本調子じゃないんだ……)
現在発現している魔力量は、本来の半分にも満たない。だが、それも無理らしからぬところだとは彼女も納得していた。
空港での襲撃に加え夜襲。連戦続きであれば多分、消耗も相当なもの。病み上がりのテテュスの体調が気掛かりだった。
今まさに巫女の後光を差した魔導車輛が眼前を進み、熱狂する群衆の歓声が爆発した。ここまでくると、もはや戦場の鯨波。耳を聾す喧噪は、些細な発語を不能にする。
「テテュスちゃん……」
不安が唇から零れる。視線の先に居るのに、触れられないのがもどかしい。過ぎ去っていく凛とした横顔は、見慣れている筈なのにとても遠くに感じられた。
ミレイユは、すっと胸に手を当てる。そこには微かに残る共鳴の残香。魔力感応に長けた者だけが捉えられる、同調する波の律動。
優しく、それでいて芯の通った波動。彼女の魔力は、いつもどこか哀しげで――――――――そして強い。
その律動に、自分の波動を僅かに乗せて返す。鋭敏な知覚能力を持つテテュスなら、見つけてくれる。そう信じて。
祈りはすぐに現実となった。屋根の上、振り返る巫女の姿が見えた。眩い銀光で顔は見えないが、びっくりしてるのは容易に想像できる。不安を押し殺し、嫋やかに手を振った。にこやかな顔で。
「無理、しないでね……」
鯨波に呑まれ、聴こえないとは分かっていても小さく呟いた。ミレイユは幼馴染の元気な姿を見届け、言葉に安堵を滲ませた。
「では、行こうか」
テテュスの屋台は既に通過した。ここにはもう、用はないとばかりに突き進む。
祖父の背中に続き、駅舎内を歩きながら、昨日のことを思い返していた。
襲撃後。ミレイユは基地に帰還すると司令部に呼び出された。
『殿下は一旦、王都に凱旋する。夜会に出向くぞ』
ミレイユは自宅に返され、リゼと準備に追われた。
目的はテテュスの保護。言われなくても、それくらい分かる。
稀代の才覚を持ちながらも世情に疎い。そんな彼女が、術数権謀の政界を生き抜く中央の貴族たちが放っておく訳も無い。
『それはもう、金の卵を産み落とすガチョウに映りましょう』
リゼの放言。正鵠を得ているものの、いまいち釈然としない。
理由は解っている。
(わたしも、似たようなものだから……)
あくまで立場だけ。才能では比べるべくもないが。
「やっと来た、将軍」
出迎えるのは、黛色の髪をしたメイド、クリスカ。情報畑の人間で、かつては祖父を殺そうとした元暗殺者。だが護衛は動かない。過去の事だと割り切っている。
「首尾はどうだ?」
「とりあえず、コルンダルでは何もなかったよ」
アレのお陰で。過ぎ行く屋台を親指で差す。つまりあの姿は、テテュスがかなり神経質に警戒している証拠。彼女が酷使されるような状況に、胸が締め付けられる。
他の者は何をしているのか。叱責したい衝動に駆られたが、意志の力で飲み下す。抗議の罵声は、穏便に済ませようとしている紅銀の巫女の献身を台無しにしかしない。
なおも情報をやり取りする二人を先頭に、一行は目抜き通りを抜ける。
いつ見ても慣れない。標的と刺客、かつて互いの命を巡って殺し合った二人が、轡を並べているのが。
立ち入る無粋を自らに禁じてはいるものの、気持ちを持て余し胸に蟠る。
やがて大きな公園に出ると、黒山の人だかりも鳴りを潜める。人心地ついて胸を撫で下ろしていたせいで、近付いてくる足音への注意が遅れた。
「アレが貴様の秘蔵っ子か? 『重蹄』よ」
ミレイユの長耳が拾ったのは、老人の声。それは、呼ばれなくなって久しい祖父の二つ名。
(え――)
前方から杖を突いて近付くのは、屈強で上背のある獣人のメイドを侍らせる森人の老人。黒銀糸の縁取りが施された深い夜紺のフロックコートは比翼仕立て。一目で官僚だと分かる服装。
深く刻まれた皺と白髭。背筋正しく矍鑠とした様は、長久の風雨を物ともしない老柳を思わせる。
ビャルネ・ヘンネフェルト。誰もが知っている政治の重鎮。奇々怪々の知謀者がひしめく中央にあって、富と名声を恣にする名族の主。
彼の最も恐ろしい所は、それを使わなくても十二分に立ち回れる強かさを持っているという点に尽きる。
そして、めぼしい政敵がいないことも彼の賢明ぶりを証明している。
「堂々と城から抜け出すとはな。多忙と思ったが存外、そうでもないらしい」
祖父は会話を中断し、憮然と腕を組んで胸を張る。大貴族とはいえ、歓迎している様子もない。
(それに――)
いつになく言葉が回りくどいのも珍しい。
「寧ろ逆だ。戦場伝説の後光を前に方々で賛歌が飛び交い、騒乱なる祝祭の極みよ。さすがの薫陶振りだな? 将軍」
称賛しているように見えてその実、舌鋒鋭く糾弾している。誰のせいでこうなった、と。たっぷりと皮肉が利いた台詞は、貴族文化のなせる業。
「武人をして戦を語るとは片腹痛い。王宮はさぞ、安穏の日々だったのだろうな? 王女の女傑ぶりからすれば、仕方がないのかもしれんが」
対するゲズゴールも心得たもの。泰然と跳ねのけるどころか、言葉尻を掴み返す刀を突き付ける。王宮が手に余す女傑を話題にされ、ビャルネは間を取る選択をした。
皮肉の応酬に笑いは無い。握手どころか互いに距離すら詰めようとしない二人を前に、周囲の空気が張り詰める。
剣を抜かずとも火花が散る。言葉一つひとつに老将たちの戦場があった。
(二人の過去に、何が――)
祖父の口から重鎮の話を聞いたことは殆どない。だが、今なら分かる。積年の想いがあればこそ、口を固く閉ざした。家族の前でさえも。
ミレイユの視線が両者の間を行き交う。彼らの語る言葉に、理解を越えた「時の重み」があった。
「ふむ。あそこまで凱旋に花を添えたならば、応じぬ筈も無かろう」
「姫がご壮健あそばされることは善き――――ん?」
異変にはミレイユも気付いた。視線を向ければ、つつがなく行進する隊列に近付こうとする魔力の塊を感じた。
「姫殿下?」
目を凝らせば、純白の裾を翻し真紅の長髪と尻尾を風に流して疾駆する美姫の姿があった。あの鮮烈な出で立ちを、見紛う筈も無い。
そして車両の屋根に取り付き、テテュスを矛を交えた。術式同士の衝突。弾ける剣戟音と紫電が、耳に聴こえてくるようだった。
「テテュスちゃんッ⁉」
目を剥き、狼狽せずにはいられない。殺意が無いと分かっていても、込められた魔力と展開する術式は本物。不安に肺腑が締め付けられる。足先の感覚が薄い。
「ミレイユ様。お気を確かに」
背中を触れられることで、ミレイユは呼吸を思い出す。
「いやぁ~、羨ましいねぇ。いっそ三つ巴に――」
「ミーナ」
臨戦態勢を取った大柄メイドを言葉で掣肘。互いに目を合わせず、肩を竦めた。好戦的な態度はメイドというよりは狂犬。
「ふむ……」
蓄えた白髭をしごきながら、ビャルネはミレイユを視線で射貫く。
たった一言。たった一睨み。
それだけで、激しい重圧が双肩にのしかかる。格の違いに全身が竦み上がる。
リゼの温もりを背中に感じ、ミレイユは一拍だけ呼吸を置いた。
無意識に引きかけた肩を、己の意志で静かに下ろす。そして一歩踏み出す。隣で息を呑む音がした。
(あの子だって、頑張ってるんだから)
退く訳にはいかない。あの子なら大丈夫。そう信じて踏み出した足に力を込めた。
逃げ腰になりかけた身体を「淑女の姿勢」に戻すその動作は、幼少から叩き込まれた社交と、自分自身に課す戒め。
スカートの端を軽く摘み、深すぎない角度で一礼する。
それは卑屈にならず、挑発もしない。線の際を見極めた所作。
「初めまして、ビャルネ様。テテュスちゃんの友人、ミレイユと申します」
声は柔らかく、凛として語尾を揺らさない。
友人。そう名乗ることで、自分が守られる側ではなく、並び立つ者であると暗に示した。
微笑みを浮かべながらも、真っ直ぐ視線は逸らさない。
恐怖も、格の差も、全て飲み込んだ上で立っているという意思表示だった。
狂犬メイドは目を瞠り、しかし老人は無言。
それでも、失望の色はなさそうだ。
まずは第一関門突破。




