紅銀の巫女
王都コヌングボルグ。
『王の居城』の名を冠するこの地は、白亜の王城フリールボルグと共に在り続けてきた。
秋風がさすらう空の下。真紅の結い髪を揺らす獣人の夭桃、エルディッサ・レニル・マナルジョス。
後妻の第一子として生まれた王女は、長身が映える柔らかい純白のロングワンピース姿で傲然と腕を組み、自室のバルコニーから城下を俯瞰する。
押し寄せる熱気の鯨波に対し傲岸に振る舞うは、偏に王族としての矜持。一方で燻ぶる好奇心を抑えるため、自然と力が入る。
あくまで表情は幽愁。高みから見下ろす強者の余裕を崩さぬように。だが、彼女にとってそれは『傍若無人たる王女としての仮面』でもあった。
城門を抜けた魔導車輛、その上空。屋根の上から放たれる異様な魔力と光耀。彼女は真紅の双眸でそれを睨んでいた。
「フッ 『紅銀の巫女』か。戦場の伝説を、こうも軽々《けいけい》に見せ付けてくるとはな」
だが、その豪胆振りは嫌いではない。真紅の王女は、口端に喜悦を乗せる。
『銀髪』は才覚の証、戦場に立てば英雄となる徴。
テテュス・アハティアラ。階級は中尉。暴走事故と暗殺未遂から我が愚弟を救った女傑。調査委員会の報告書には、目を通していた。王族で、しかも身内だったため。特例として。
「にしても。王の膝元にあって尚、武威を示すか。常ならば、騒然とする筈なのだがな……」
皆、祝賀の狂喜に毒されている。王女は肩を竦めた。
白昼堂々、強化服で屋根に立ち、魔力解放を行うなど。本来なら反逆と見做されかねない。
バルコニーの欄干に乗り出して頬杖を突き、エルディッサは気だるげに城下を睥睨していた。王城すら呑み込む喧噪の狂熱もどこ吹く風。真紅の王女は揺らがない。
現在、誰が見てもダグアーラの凱旋パレードは大盛況。王都の民衆は王弟の偉業を称賛し、快哉を挙げて陶酔している。幾度も死線を乗り越えて来た英雄の帰参。それに加え光り輝く『銀髪』。
絹糸の髪が陽光を弾く度、銀光が眩く空を裂いた。王子を主賓とした魔導車輛は今や、後光の差す神輿。神でもここまで霊験あらたかな演出はしない。
まさに荘厳。希少なる麗玉の参内という奇跡を前に、民衆は大いに沸いていた。
『英雄万歳!』
『紅銀の巫女万歳!』
『公国に栄光あれ!』
ここまで来るともう、現場の人間は臨界を超えた時の雪崩打つ騒乱が頭を過ぎり、気が気でないだろう。
「愚弟め。止める気がないのか?」
巫女の振る舞いは、明らかな示威行為。それが判らぬ程愚昧でも無かろうに。
(絆されたとは、考え難いが――)
「姫様っ」
思考を中断し振り返れば、息を切らした褐色森人のメイドが扉を開け放つ。近付いて来る行進の異変に気付いた時、真っ先に情報収集へ走らせていた。
「遅かったな?」
「無理、言わないで……」
下さい。肩が上下し息も絶え絶え。
サエリナ・フィオレル。彼女とは数年来の付き合いだ。毎度自身の都合ひとつで使い走らせる事に、正面きって小言を頂くくらいには互いに気安い。歯に衣着せぬ二人の関係は、手放したくないエルディッサの宝物。
彼女が息を整えると部屋を突っ切り、エルディッサと並んで行進を見守る。
「それで?」
居住まいを正し、メイドを質す。
「本当にもう、大わらわでしたよ……」
メイドは肩を竦める。突然現れた巨大な魔力を放つ銀の光。外縁の城門から城内まで、各現場では怒声が飛び交い、人員が錯綜し、まるで戦場のように騒然としていたらしい。当事者たちの苦労が窺える。
『行進を止めるなと、中尉からのお達しです』
ダグアーラはそれ以上の事は言わず、二人の真意は誰にも分からない。
「つまり、あれは予定外のパフォーマンスらしいです」
「ほぅ……?」
サエリナはうんざりして嘆息し、エルディッサは片眉を吊り上げる。
上位下達が崩れた、綱渡りのパレード。それが城下に広がる光景。およそ軍学を修めた者の行動ではない。
「これは、アレですか? 惚れた男の――」
「無いな。アレはない」
胡乱な視線に対し、姉は首を横に振る。
子供だからではない。大体、あれほど偏執狂で自己愛の強い人間もいない。
「マナルジョスの一族で、暗殺を経験したことがない人間などいない」
かつて父が言った。
それが真実だと理解しのは、崩御の夜。血の匂いが残る自身の寝室で、エルディッサは覚悟を決めた。
(怯えて暮らすくらいなら、好きに生きてやる)
この世界は、儚むには美しすぎる。王城から見える、黄金原を煌々《こうこう》と燃やす夕陽を見てそう強く感じた。
だからこそ、己が意を貫く。誰にも忖度せず、命尽き果てるまで。
その手段として軍籍を選び、エルディッサは今こうして王城に立つ。誰にも屈さぬ自分として。
「一度や二度窮地を救った程度では、絆されないと?」
そう。エルディッサは頷く。
王族が何度も刺客に命を狙われるのは、公国ではよくある事。寧ろ身内同士でけしかけているのやも。そんな疑念が生じる程度には、マナルジョスの歴史は血生臭い。
「ただまあ、信を置いているのは間違いあるまい」
紅銀の巫女は愚弟によって、飛翔型竜機兵のテストパイロットに抜擢された。
「あの『重蹄』にやり込められただけでは?」
腕を組み鼻を鳴らす。ゲズゴール・ガイスル。公国有数の武門にして北西部が生んだ英雄。近々、中央にまで権勢を伸ばそうとしているという噂もある。
然もありなん。巫女が出向していた基地の主はゲズゴール将軍である以上、妥当な見解でもある。
だが、それはない。
「理由を聞いても?」
サエリナは怪訝に首を傾げた。そんなの、決まっている。
「博打が過ぎるからだ」
「そうなんですか?」
彼女が不思議がるのも無理はない。普通、人は儲かると分かってから大金をつぎ込む。挙国体制ならそもそも、失敗は許されない。下手を打てば国が傾く。堅実な国家運営を国民が望むなら尚の事、博打など言語道断。それが普通の思考だ。
けれど、飛翔鎧と竜機兵に乗った経験があるからこそ断言できる。
あんな、数十トンの鉄塊を空に飛ばすなど。およそ正気の沙汰ではない。将軍は豪放であっても、酔狂ではない。
よって、そんな荒唐無稽に邁進できるのはダグアーラしかあり得なかった。
「成功、しますよね……?」
寧ろそうでなくては困る。懐疑の視線が心内を物語っていた。
「それこそ神のみぞ知る所だろうな」
機兵を飛ばすための絵図面が、あの頭の中にあるのだろうか。あっても画餅にならなければ良いが。
「この国の官僚って、馬鹿しか居ないんですか?」
憮然としたメイドは、視線を後光の神輿に投げる。合掌している辺り、成功を切に祈っているのであろう。それにあの外見なら、確かにご利益がありそうだ。
「どれ。そのご尊顔とやらでも拝んでやろうか」
エルディッサも興味が沸いて来た。それに、一人だけ斜に構えて蚊帳の外に置かれるのも癪だ。
銀光の反射が邪魔。魔力で視力を強化し、目を凝らそうとして――――目が合った。
「――――っ」
紅銀の巫女から太刀を突き付けられた刹那、喉が凍り付き肺腑が引き攣る。エルディッサは動揺に一歩後退った。相手はすぐに正面に向き直る。まるで、敵意が無いと知ってるかのように。
一瞬で看破された。
「クッ …………ククッ――」
「姫様……?」
エルディッサは上体を反らし声を上げて大笑した。隣のメイドはオロオロと戸惑うばかり。
ひとしきり笑い終えると、彼女は真紅の明眸に獰猛さを宿す。
「ひっ――」
その様子にメイドは息を呑む。反対に真紅の王女は口を歪めた。余人を畏怖させる炯眼を先程の巫女に向ければ、どのような反応が返って来るだろう。好奇心と暗い感情が綯い交ぜになって口角を吊り上げる。
「面白い。俄然、興味が湧いて来た」
「ちょっと、何考えてるんですか?」
長年の付き合いからか、サエリナは予想がついていそうだ。引き攣る顔に書いてある。止めても行くんだろうな、と。
「テテュス・アハティアラ。稀代の暗愚か蟄竜か。余の眼で、見極めてくれようぞ」
「ちょ、姫様――」
静止の声に耳を貸すことなく、獰猛に笑うエルディッサは踵を返す。
眼下のパレードはとうとう終盤。魔導車輛と王城は既に目と鼻の先。
程なくして、謁見が始まる。
「楽しみだ」
犬歯を剥き出しに、王女は猛る笑みを零した。
踵を返し、自室に引っ込む。
そして、愛用の槍を取り出した。




