王都への凱旋
蛇尾獅子の襲撃から一夜明け、戦艦は王都に近いコルンダルに寄港した。
中央平原の穀倉地帯に広がる交差路は、公国でも最大規模の人口を誇る。
艦を降りる直前、クリスカから忠告を受ける。
「念のため、警戒はしといて」
老婆心と自嘲する彼女は、一足先に艦を去った。情報将校は多忙らしい。
着替えたテテュスは、紅白の強化服に太刀を佩いて戦艦を後にした。
「お二人は、僕の傍を離れないで下さい」
王子の一存でテテュスたちの処遇は決まり、名目上は護衛として同行した。
何度も死地を踏破した『英雄の帰還』を謳う市街は、祝祭の熱に満ちていた。清浄な街道を行進する隊列の先、魔導車輛の屋台から群衆を見下ろすテテュスの胸中は、慣れぬ熱狂に戸惑い混じりだった。
「すごいな……」
神殿に引き籠り、世情に疎かった巫女は初めての光景に圧倒されていた。熱を帯びる頬が、自分もそれに当てられていると自覚を促す。
政は祀り事。政治と信仰が不可分の世界で、彼女の存在もまた象徴の一部として扱われている。そんな感覚に囚われ、指先に触れる風の冷たさで自身の緊張が露わになる。
事前の取り決め通り、近衛部隊が中心となって隊伍を組み、騎乗した深緑の走鳥の鞍上から睨みを利かせるので警備は万全。
『王弟万歳!』
『英雄の誕生に喝采を!』
『公国の未来は明るい!』
口々に言祝ぐ声が、楽隊の奏でる行進曲の合間に聴こえてくる。大挙して押し寄せた民衆は、道の両脇を埋め尽くしていた。
「行幸と同規模、といった所ですね」
顔が強張る巫女とは違い、隣のダグアーラは寧ろ気遣う余裕の笑みすら浮かべていた。
行幸。神殿に鎮座する祭神が各地を巡り、民衆に広くお披露目する宗教儀式。
信仰の形は変われど、民衆の想いが神々を強くする。その象徴が行幸であり、凱旋だった。
<定時連絡。こちら運転席。状況に問題はない。そちらはどうか?>
「はっ 問題ありません」
不意にヘッドホンに通信が入り、テテュスは居住まいを正して応答する。顔が見えずとも背筋を伸ばし直立姿勢を取ってしまうのは、もはや軍人の職業病だった。
「立派な軍人ですね、中尉は」
「少佐こそ。人が悪いですよ?」
その様子にダグアーラは笑みを噛み殺す。頬が紅潮したテテュスは口を尖らせた。
「…………」
テテュスが振り返ると、幼い侍女は所在なさげに奥で立ち尽くしていた。特に何もしてないでここに居る。そんな後ろめたさが、相貌に暗い影を落としていた。
「ほら、ノーラ」
微笑むテテュスは目線を合わせ手を伸ばし、侍女の名を呼ぶ。それでも少女は手を胸元に引っ込める。そんな彼女のいじらしさに、思わず目を細めた。
「わたし、何もしてなくて。ヤルンの、ときだって……」
胸の奥にのしかかる罪悪感。瞳を潤ませる彼女の心は、その重さに悲鳴を上げていた。
(ああ、そうか――)
忘れていた。少女を気遣う一言を。主人としてあるまじき怠慢。その割を食って心苦しくする侍女に、巫女は胸が締め付けられた。
向き合わなければ。彼の死について、ノーラが抱える心の傷とも、真正面から。
(ヤルンは、最期まで逃げなかった)
だからこそ今、ノーラの涙に背を向けるわけにはいかない。
改めて少女の名を呼び、双肩に手を乗せ真っ直ぐ見詰める。それから首を横に振る。跳ねる華奢な肩を優しく包み込む。
「ノーラが居てくれたから、私はここに居る」
「え――」
誠実な抱擁と言葉に、ノーラの張りつめていた感情が一気に崩れた。
少女の心からの献身が、今もまだ自分を支えている。そう囁くと、胸に刺さった棘が溶けてゆくように、ノーラは感極まって涙を浮かべた。
二人を見守っていたダグアーラも、少女に温かい声をかける。
「胸を張って下さい。貴女がご存命なのは、ヤルンの意志であり、誇りでもありますから」
「あ――――」
そう、彼は守ったのだ。暗殺者の毒牙から、無傷で王子と少女を。ノーラは謂わば、ヤルンが生きた証。
「………っ はい!」
コートの袖で涙を拭い、それから力強く笑ってみせた。強い子だ。嬉しくてつい、頭を撫でてしまう。
彼女に教えられた。自分の弱さを、他人に打ち明ける心の強さを。
その強さに甘え、護ると誓った少女を孤独にしてしまうところだった。そうならないよう、その手を取った。二度と忘れるな。テテュスは胸に深く刻んだ。
微笑を湛えて立ち上がると、もう片方の手で屋台の欄干を握らせる。ノーラを挟み、三人は正面に広がる景色を眺望した。
「わぁ……っ」
壮観な光景に少女は圧倒され、言葉を失う。湧き上がる興奮を、上気する頬が物語っていた。本当に遠くまで見通せるいい景色だ。
ただ――
「もっといい景色が見られるんだがな」
飛翔鎧なら。少し、物憂げな声色になってしまう。これでは登壇を後悔してるかのよう。放言に後悔した。
「本当に、飛翔鎧が好きなんですね……」
少年の声には若干、後ろめたさのような色を含んでいた。テテュスは即座に訂正する。
「正確には空を飛ぶのが、ですよ。少佐」
遥か高みから、身一つで世界の広大さと対峙する。その体験が病みつきになっただけで。
「わたしにも、見れるでしょうか……?」
空を飛びたい。それは、少女が初めて口にした願望。
「ええ。勿論です」
力強く断言するのはダグアーラ。目を瞠った二人は彼の方を向く。
「来年には、飛翔型が完成してますから。最高の景色を、特等席から見せてあげますよ」
自身に満ちあふれた笑顔。本当に実現しているかもしれない。そう信じさせる何かを、少佐は持っていた。
「これは、責任重大ですね」
苦笑するテテュスは、双肩にかかる重圧をひしひしと感じていた。
「ひょっとして、怖気づきましたか?」
「ありそうですね。テテュスさまなら♪」
いたずらっぽく笑言する二人。揶揄うとはいい度胸だ。
「いいでしょう。望むところです」
口を引き結び、二人に対して胸を反らす。意志を宿した目を見せると、二人は顔を綻ばせた。
やがて三人は笑い合い、温和な空気が屋台に流れる。欄干を握り締め、にこやかに手を振る少佐の横でテテュスは目を細める。
「大丈夫ですよ」
空を見詰める穏やかな声に、心がほぐれた。誰かに託すことで心が軽くなる。そんな自身の変化に戸惑いながらも、テテュスは空を見上げる。世界の広さを感じるほど、心も少しだけ自由になれる気がした。
そこで漸く気付く。
方々から屋台に向けられる害意と敵意に。宝珠も煌めき、巫女は息を呑む。後悔よりも行動を。視線だけを動かし周囲を確認。
(まだ、誰も気付いてない)
現在、ヘッドホンも沈黙し、二人もリラックスしている。淡い、ほんの些細な兆候を感じているのは自分だけ。
テテュスは考える。異変を知らせるのは簡単だ。行進も即座に停止させることができる。
しかし、止まらないのが民衆の行動。一度パニックを起こせばどうなるか。警備態勢が瓦解するのも想像に難くない。
最悪の光景が瞼の裏に浮かび、冷たい戦慄が背中を駆ける。
国民の期待に応えようとする彼に今、自分は一体何ができるだろう。そう心が囁いた時、危機に際し身体の深奥で魔力が脈動する。
(――いや。最初から、一つだけだったな)
思い返せば、当たり前の事。状況についていくのがやっとで、見失いかけていた。
彼女のようになりたいと、原点に立ち返る。
そして、ストロベリーブロンドの髪を解いた。髪を振ると、白檀の香りがふわりと舞う。
「中尉?」
不思議そうな顔で振り返る少佐。彼に一つ、言伝を頼んだ。
聞き届けたダグアーラはマイク付きのヘッドホンで運転席と念話。それを見届け、テテュスは屋根に飛び乗った。紅白の強化服は注目を一身に集める。
胸に手を当て魔力解放。大量の魔力が脈動し、空気が揺れた。輝く薄紅の絹糸が陽光を反射し、煌めく紅銀の流れが風に舞った。
その光景に、居合わせた全てが一瞬、言葉を失う。
かつて神殿に守られていた娘は、今やこの場を守護する剣として立っている。テテュスの声が、魔力を乗せて澄み渡る空気を貫いた。
「我が名はテテュス。アロナの神殿より参内せし巫女。この紅銀の加護がある限り、少佐への狼藉は能わずと知れ」
群衆に向けて紅銀の巫女は静かに、そして確かに啖呵を切る。抜刀し術式を発動。幼精の加護を受け、【光刃】の眩い刀身が空を割く。
誓ったのだ。その手には花ではなく、剣を。自らの意志で。覚悟はとうにできてる。
突発的な演出に、群衆は歓声を上げた。動揺にも増して歓喜が波及し熱狂は一段と盛り上がる。
「そこだ」
切っ先を差し向けたその先には、王子に敵意を向ける脅威が居る。しかし即座に尻尾を巻いた。
一つ一つ、虱潰しに。矛先が向くと皆、悉く挫けて逃げた。
それが奏功してか、行進はつつがなく街を出ることができた。
安堵はしない、王城に入るまでは。テテュスは改めて気を引き締める。




