宣戦布告
『ええええええええええッ!?』
背後で悲鳴が弾ける。視線を向ければ、カルシラたち三人が両手で口を押さえてるくせに、目だけはぎらぎらと輝いていた。面白半分、好奇心半分。まったくろくでもない。
「た、隊長、求婚ですか!?」
「いつの間にそんな仲に……!」
「えっ 明日の演習って、そういう意味だったの!?」
反射的に出た声は、自分でも驚くほど低かった。
「違う」
三人が一斉に口を噤が遅い。テテュスは苛立ちに満ちた眼光で少女たちに突き刺す。
パーシオ中尉は、こちらの拒絶にまだ気づいていないらしい。頬を赤くしたまま、むしろ勢いづいていた。
改めて彼の逞しい体格を前にすると、気圧されそうになる。鬼人はテテュスたち人間よりも恵体だ。
彼はまるで熱に浮かされたように、朗々と語り続けた。
「アナタは生真面目過ぎるが故に誤解されやすい。だがオレは違うっ 風聞なんかに惑わされて♂たりはしない!」
「もう少し、落ち着いて話せませんか?」
さっきから悪目立ちしてしょうがない。悪気がないのは分かる。けれど相手への配慮は無かった。
しかし忠言もどこ吹く風。熱苦しい男節は止まる所を知らない。
「これが落ち着いていられようか! 燃え滾る我が心を、手に取って見せられないのが惜しいッ!」
「えぇ……」
心臓を取り出すなんて、グロいにも程がある。想像してしまったテテュスはドン引きしていた。
「突然の無礼は承知しています! ですが俺は本気です。明日の演習で勝って、証明します! アナタを支えるに足る男だと!」
喉の奥がまた焼ける。
支える。妻。自分が勝ったら。
言葉の端々が、勝手に自分の立ち位置を決めてくる。
後頭の結び目がじくじくと熱を持つようで、テテュスは無意識に拳を握っていた。
「おお~……」
「真剣じゃん……」
「でも、なんか嫌そう……」
カルシラたちがひそひそと囁き合う。
その軽さが、今はひどく遠い。そのくせ、耳障りだった。
「パーシオ中尉」
やっとのことで声を絞り出す。
怒鳴るな。キレるな。ここで感情のままに応じれば、相手の思うつぼ。そう分かっていても、首筋を這い回る不快感は消えない。
「は、はいっ!」
男は期待に目を輝かせた。それを目にするだけで、背中に冷たいものが走る。
「演習に私情を持ち込まないでいただきたい」
冷徹に睥睨し、明確な拒絶で自分の輪郭を保った。
彼は目に見えて落胆する。俯いた顔は何か言いたそうにしていたが、テテュスは足早にその場を後にした。
「俺は諦めません! 真剣な想いが伝わるまで、何度だって……!」
「……ッ」
これ以上癪に障る台詞を聞きたくなくて、燃え滾った激情を視線に乗せて射かける。
廊下に沈黙が落ちた。
カルシラたちも、今度ばかりは空気の悪さを察したのか、余計な口を挟まない。
テテュスは再び前を向くと食堂に向かう。きつく結んだ髪の後ろに、まだ誰かの手の気配が残っているような錯覚を振り払えずにいた。
首筋が、ずっと気持ち悪い。
〇 〇
眠れないほどではなかった。
だが、首筋に残る不快感だけは朝まで落ちなかった。きつく結んだ髪の後ろへ、まだ見えない手が触れてくるようで、ストロベリーブロンドの髪を撫でる度に眉を顰めた。
朝餉の香りが満ちる食堂へ足を踏み入れた瞬間、ざわめきが薄く揺れた。
向けられる視線が、昨夜の続きを勝手に始めている。
まったく、ろくでもない。求婚の件は瞬く間に情報が拡散され、幼馴染とその従者は勿論、自身の侍女の耳にも入ったのが本当に不愉快極まりなかった。
『ごめんなさい。パーシオ中尉が……』
申し訳なさそうに視線を落とす幼馴染を前にすると居た堪れなくなり、テテュスは口に広がる苦渋を噛み締めた。
視線の先に、当の本人はいた。パーシオ中尉はこちらに気づいた途端、分かりやすく姿勢を正す。頬はもう赤く、周囲の視線も手伝って、いっそ滑稽なほど気負っていた。
逃げるのも、曖昧に濁すのも性に合わない。
ならば戦場を、こちらで定めるまでだ。
颯爽と近付くと、彼が座るテーブルに手を叩きつけてから開口一番。
「いいでしょう、パーシオ中尉。」
一拍置くと、食堂の空気が、ぴたりと止まった。
匙を持つ手も、パンをちぎる指も、みな途中で止まっている。耳目が一斉に集まり、頬ではなく背筋が冷えた。だが、テテュスは怯まない。
相手の顔が期待で強張るのを、冷ややかに見た。
「もし私に勝った場合、アナタの伴侶として一生尽くすことをこの場で誓いましょう」
父母はこちらで説き伏せる。そう約束して。
どよめきが走る。
男たちが色めき立ち、女たちは半ば呆れたような、半ば面白がるような顔を見せる。
遠くの席で見守るカルシラが「うわ……」と小さく息を呑むのが聞こえた。
だが話はまだ終わってない。声を一段低くする。
「ただし、私が勝った場合。二度と私に近付かないでもらおう」
食堂の熱が、一瞬で別のものに変わった。
ざわめきが、面白がりから緊張へ移る。
自分の都合を一方的に押し付けてくる輩と、交わす言葉など無い。言い終るとすぐに背筋を伸ばす。
「演習、楽しみにしてます」
それだけ伝えると、すぐさま踵を返してその場を後にした。
「いいだろう、受けて立つ。俺も男だ!」
席から立つ音が聞こえ、下の名を呼ばれても振り返らない。
その後、居心地の悪さを感じながら幼馴染たちと朝食を摂った。
〇 〇
演習直前の更衣室は、昨日の浮つきが嘘みたいに静かだった。
カルシラたちは誰も軽口を叩かない。衣擦れと装具の金属音だけが、硬い壁に小さく跳ね返っている。
あの場が笑い話では済まなかったことを、ようやく理解したのだろう。
テテュスは黙って強化服の固定具を確かめた。
指先の動きに迷いはない。だが首筋に残る不快感だけは、まだ完全には引いていなかった。きつく結んだ髪の後ろが、思い出したように薄く疼く。
鏡越しに少女たちを見る。
三人とも、昨日とは別人みたいに閉口したまま準備していた。
格納庫にやって来ると、テテュスたちの飛翔鎧が並んでいた。
全体的に鋭角的な流線形の真紅の機体は天津風。テテュスの愛機で、脚部の推進器による急加速と急制動が得意な高機動機。
対して、白と空色の機体は風花。速度や俊敏性では天津風の後塵を拝すものの、飛揚翼が大きく扱いやすい。公国が誇る主力機体。
振り返ると、未だ少女たちは浮かない顔をしている。 緊張しているのは演習だけのせいではない。テテュスはそれを見て取り、わずかに息を吐いた。
緊張をほぐす意味でも、向き直ったテテュスは大きく手を鳴らす。ビクッと肩を震わせ、少女たちは視線を向けた。
「案ずるな」
凛として背筋を伸ばし、それだけを口にする。はっとした少女たちの視線が自分に集まる。
「いつも通りの動きをしていれば勝てる」
無理に励ます必要はない。
ここまで叩き込んできたものを出せばいい。それだけのことは教えてきた。
「隊長……」
カルシラが小さく呟く。
その目に浮かんだ安堵を見た瞬間、胸の奥の冷たさが少しだけほどけた。
だから――
「殺す気で殺れ」
発破には三人同時に武者震いで応えてくれた。
本当に、頼もしい限り。満足げに頷いた。
〇 〇
ラクリマ基地よりはるか東。公国南東部ソクボルグ基地。
格納庫の一角だけ、空気が違った。
整備兵たちが忙しなく行き交う中心で、年若い王族の少年が機体頭部の術式板に目を落としている。
ダグアーラ・ジョフ・マナルジョス。白い手袋を外した指先は休むことなく動いていた。表情だけが妙に静かで、それがかえって息苦しい。
「刻限が近い」
呟きは低いのに、語尾だけがわずかに乾いていた。
天賦の才を見込んで、というのは建前に過ぎない。それを封じ込めようとする本音はあまりに見え透いていた。
それでも彼は不満を洩らさない。ただ当然のように、逼塞してしまうような重みごと引き受けていた。
幸い、この基地の人間は肩書きではなく、少年の持つ知見に対し敬意を払っている。それが救いだった。
顔を上げた王子は、まっすぐな視線で朱色の試作機を見上げる。その背に飛翼を持つ、まだ誰も成しえぬ飛翔を宿命づけられた試作機。
「心配しないで」
少年は穏やかに微笑み、正面を見据える機体へ語りかけた。
必ず飛ばしてみせる。そう言わんばかりに拳を胸に当て、静かに立ち上がる。
「試験を前倒しします」
整備兵たちに向けた声は、あくまで穏やかだった。
互いに顔を見合わせる中、反対しかけた一人が口を噤んだのは、相手が王子だからだけではない。その声音に、既に決定事項として飲み込ませる硬さがあったからだ。
焦っているようには見えない。
ただ、追い立てられた者ではなく、踏み越えられると信じている者の静けさがそこにあった。
白皙の王子は年若い。けれど、周囲の誰よりも「自分が背負うもの」を分かっている顔だった。




