繊月の舞
「少佐は、神殿に伝わる鎮魂の舞を、ご覧になった事は?」
死者の魂は、放置しておくと魔物化する。それを防ぐために、霊魂を導く葬送の儀式として鎮魂の舞はあった。
ダグアーラは歯を食い縛って口を引き結ぶ。その仕草一つで、彼がどれだけの忍耐を強いられてきたかが、少しだけ垣間見えた。それを思うと、テテュスも喉が締め付けられる。
「あまり、よく覚えていないのですが……」
「あ――」
テテュスは絶句。先王の崩御が十年前。葬儀は大々的に行われたらしいが神殿に引き籠っていたので、世情には疎かった。
その時殿下は三歳。詳細な記憶など、望むべくもない。
顔を曇らせる少年を前に、質問したことを少し後悔した。
しかしそれでも、今さら見て見ぬフリをすることなどできない。謝罪を口にしてから咳払い。
「では、少佐。今から一差し舞わせて頂きます」
慎み深い殿下のことだ。変にお伺いを立てても、気を遣わせてしまう。ならば己が意を示すまで。
距離を開けたテテュスはコートを脱ぎ、軍服のハーネスも外す。身軽な方が舞いやすい。ダグアーラに背を向け抜刀。片手で構える。
「――――いざ」
魔力を解放。風が噴き上がり、ストロベリーブロンドの結い髪が銀光を宿す。
突き出した太刀の重さに身を委ね、嫋やかな所作で鎮魂の儀に舞う。
派手な躍動も、激しい律動もない。ただ静謐な所作で死者を想い、共に在った昔日の記憶を懐かしみ、死後の安寧を祈る。
囃子の調べはここにはない。けれど、身体に刻み込まれた音色をなぞり、銀光を映す太刀と拍子を重ねる。
彼方へと吹き行く風が夜を奏で、優艶なる太刀捌きで薙ぐと、無音の神楽に旋律が紡がれた。
足拍子を響かせれば甲板が低く鳴り、虚空に太刀を打ち込めば銀光が閃く。
翻る裾の衣擦れや、白い吐息すらも和音に彩りを添え、甲板を演台にテテュスは舞い続ける。殉死したヤルンの、魂の安らぎを願いながら。
眠れ。そして還り給え。安息が約束された天上の御座へ。神に畏みて、霊魂の冥福を奏上する。
清流の如く淀みなく、張り詰めながらも湛然と。爪先から指先に至るまで魔力を巡らせ、散る汗は月光を宿し、切なる祈りを一身に踊り続けた。
巫女の神楽に、盛況な喝采はない。刀身に宿る魔力が夜陰に残光を曳き、軌跡が闇に舞う様に誰もが言葉を失くし、ただ魅入るのみ。
やがて終幕。銀光は鎮まり、煌めく軌跡は闇に溶ける。下ろした白刃は夜陰に染まり、残った鼓動だけが胸を叩いた。
呼吸を弾ませたテテュスが振り返れば、ダグアーラは無言でさめざめと泣いていた。
(ああ。よかった……)
感情が溢れ出す少年の姿に、ふっと胸の奥がほどける。汗ばむ頬と叩く冷風が心地良い。
「あ、れ…………?」
ダグアーラは遅れて自分の涙に気付き、袖口に涙を沈める。誰にも見られぬよう、顔を隠して。
納刀した後に火照る身体でコートを羽織って少年へと近付き、腕を回して抱擁する。澄んだ柑橘の香りが、鼻先をくすぐる。
戸惑いに肩を震わせる彼は、驚きで瞠目しながらテテュスを見上げた。
「中尉……?」
「泣いて良いのです。あなたの涙は、彼への手向けになりますから」
往来の真ん中で、鎮魂の舞を披露する巫女は居ない。巫女が舞うは、ここが葬送の場であればこそ。
「溜め込まないでください。弱さも感情も、分かち合ってこそですから」
テテュスは目を伏せながら、過去に思いを馳せた。屋敷を焼け出され、神殿で保護された時のことを。
塞ぎ込み悲嘆にくれる彼女に、厳しく接して来る先輩巫女が居た。
『存分に泣きなさい、涙が涸れるまで。再び立ち上がるために』
あの厳しさは、当時の自分にこそ必要だった。今ならそう断言できる。
「でも……っ」
顔を上げた少年は、涙を堪えて自分の意志を曲げようとはしない。甘えてはいけないと、自らを律する姿は最早いじらしいと感じた。脳髄が甘く痺れ、気が付けば衝動的にぎゅっと抱き締める。不意に顔を胸に押し当てられ、彼は緊張に身を固くした。
「ちょっ 中尉⁉」
「はっ す、すみません、つい……」
やってしまった。頬を緩めたテテュスは遅れて自身の蛮行に気付き、慌ててダグアーラを解放する。少し開いた距離がもどかしい。
上官相手にノーラの時のような接し方をしてしまい、居心地の悪さを誤魔化すように咳を一つ。
伏し目からダグアーラ一瞥すれば、剥れた顔で上目遣い。可愛い。
「涙が、引っ込んでしまいました……」
「左様でございますか……」
口を尖らせる殿下に対し、目を泳がせるテテュスは柄にもない言葉遣いでお茶を濁した。
交わらない視線。吹き流れる風も、沈黙の帳を外せない。
立ち尽くしていると、不意にダグアーラが吹き出した。目を向けると、俯けた肩を震わせていた。笑みを零す様子に、目を細めたテテュスもそっと微笑を咲かせた。
良かった。声を掛けようとしたその時。ザラリとした不快が背中を駆け抜け心臓が冷えた。直後、警報が夜の静寂を切り裂く。
戦艦全体に響く敵襲の急報。相手は一体の翼獣。
軽捷な挙動を得意とする敵を前に、直掩の中速機では荷が重い。顔を顰めるテテュスは首筋に冷たいものが走る。
魔物の生態は、未だに未解明な部分が多い。高度三千メートルは本来なら安全圏だが、例外も存在する。
「殿下ッ!」
近衛部隊の面々は慌てて駆け寄る。周囲に目配せして警戒を怠らない。抜刀したテテュスも周りを見渡し、ノーラとクリスカが居ないことを幸いに感じた。
「ここは戦場になりますので」
さあ早く。ダグアーラは庇われながら昇降口を目指した。
鼓膜に刺さる、鋼鉄がひしゃげる轟音。甲板に走る衝撃で全員、足を縫い留められた。
風が噎せ返る獣臭に変わり、鼻が削げ肺が逼塞する。
振り向けば、の赤黒い双角が夜を引き裂いた。
蛇尾獅子。赤黒い竜翼を広げる黒獅子を前に、テテュスは警戒を強めた。尻尾の蛇が持つ猛毒だけは喰らえない。
三メートルを超す漆黒の巨躯は月光の中で不気味に浮き上がる。立ち昇る魔力は風に流れ、滾るような殺気がテテュスの喉を締め上る。そのせいで柄を握り直す指が少し縺れた。
「ふぅぅぅぅ……っ」
意識的に息を吐き、太刀を構えるテテュスは再び魔力を解放。銀光がストロベリーブロンドの髪を輝かせる。刀身に魔力を充填し【光刃】を展開、注意を引き付ける。爛々と光る紅い双眸は、敵と認識したテテュスを鋭く射貫く。総毛立つのを、上げた口角で中和した。
「中尉っ⁉」
「早くお逃げ下さい!」
少年はテテュスに近付こうとして兵士に止められた。護衛対象なのだから当然の措置。
「心配しなくても、色気は出しません」
自分の役割はあくまで時間稼ぎ。艦内の護衛部隊が到着するまでの。
一瞥から敵に視線を戻すと、身を屈め牙の間から低い唸り声が漏れる。飛翔鎧が来る様子もない。戦端が開かれるのは時間の問題だった。
王子と護衛は、蛇尾獅子を下手に刺激しないようゆっくりと後退。それに合わせ、テテュスは身を低くして駆け出した。距離は十歩。少し遠いが、一息で詰めてみせる。
竜翼が羽ばたき、押し寄せる風圧の壁。刀身から裂帛の斬閃を射出。着弾、風と光が爆ぜる。
闇が一拍、焼け白む。思わず顔を太刀で庇う。
それがいけなかった。
荒れ狂う暴風が止むと、既に蛇尾獅子は音もなく肉薄。頭上に爪を振り上げていた。
肉厚の爪に身の毛がよだつ。回避は無理、テテュスは防御に転ずる。
しかし、禍々しい爪は太刀に牙を突き立てない。銃撃に阻まれた。代わりに蛇が強襲。躱しざまに一太刀。鱗は硬く、火花が散った。仰け反る黒獅子は宙返りで転倒を免れる。
目を剥くテテュスが振り返ると、銃を構えたダグアーラが立っていた。
「殿下――」
「部下を見捨てる上官に成り下がるなど、死んでも御免被ります!」
毅然と喝破する姿に目を奪われた。そこにはもう、悲嘆に暮れる少年は居ない。
呆気に取られていると、攻撃を中断した敵に近衛兵士たちがそれぞれ斬撃魔法で攻め立てる。
「まったく。厄介な護衛相手ですよ、殿下は!」
夜陰に響く憎まれ口は嫌悪を感じさせず、むしろ戦に逸る男児を認めている節さえあった。
その粗暴さは嫌いじゃない。口端に笑みを零した。




