刺さる氷風
背中に走る鈍痛を噛み殺し必死で走っていると、焦げ付いた臭気と鉄の匂いが鼻腔を貫く。
咽び泣く声に導かれ、ダグアーラたちと合流することができた。ストロベリーブロンドの銀光が、惨劇を照らす。
そこに敵の脅威はない。だが護衛のヤルンは惨殺され、少年の悲痛な哭泣がテテュスの胸を締め付ける。一方、ノーラは見覚えのあるメイドに抱き締められていた。
「クリスカ……?」
「そっちは無事みたいだね」
暗闇の中で表情が分かりにくいが、声には安堵が滲む。
突如、船体が小さく軋んだ。アナウンスが流れ、戦艦が浮上を開始。浮遊感を足の裏で感じた。
「まんまとやられたよ」
クリスカは憮然と呟く。紅銀の巫女は漸く彼女の姿に納得できる理由を見つけた。メイド服での潜入は、軍服よりも合理的な迷彩だ。
将軍の命で奇襲を警戒してたが、その慧眼をもってしても犠牲は避けられなかった。
テテュスは目を閉じる。飲み下す唾は苦く、震える指先で、見えない何かを握るように固めた。
「……すまない。私がついていながら」
掠れた声が、床に跳ねる。
ほんの数十分前まで、普通に会話をしていたのに。寄り道し、屋台のワッフルを食べ分けた姿が記憶に新しい。
本当に、自分が迂闊に持ち場を離れたのが悔やまれる。
項垂れる巫女に対し、クリスカの視線が向けられた。
「誰のせいでもないから、自己陶酔ならやめて」
真正面からテテュスを見詰め、厳しい叱咤。断言されては、暗澹とすることも許されない。
クリスカはやがてノーラの両肩を抱えながら立ち上がり、振り返ってダグアーラに目を向けた。
「支えてあげて」
彼女は前方(艦橋側)に足を向け、艦橋を目指す。テテュスは少年の側に膝を着き、胸襟に迎え入れる。
慰めの言葉など、今は無粋。抱擁し、黙して寄り添う。
「そこに居るのは誰か⁉」
艦橋側から走って来る誰何の声に振り向くと、【光灯】の魔法で誰かが照らして来た。眩しくて相手の姿が見えない。
声色から、警戒しているのが窺える。敵の新手とは考えにくいが、油断はできない。
緊張した空気の中、敢然と進み出たのはクリスカ。後ろにノーラを庇う。
「わたしはラクリマ基地情報部所属のクリスカ・ヴァージル。殿下自らによる賊の殲滅を確認した。貴官は?」
「殿下だとッ⁉」
驚愕する相手に、テテュスはダグアーラの顔が見えるよう位置を調節。嗚咽で喉が引き攣る少年を腕の中から離さない。
遅れて将校が名乗り、王子の安否が艦橋と共有されると、四人は合流した将校に先導されて艦橋に到着。
翼を広げた鋼鉄の赤竜は蒼穹へと浮上。
魔物の飛翔圏内に対し十分な高度を取った戦艦は程なくして発進。
陽動作戦では空戦も展開されたようだが、ミレイユが霧を発生させた時点で撤退を開始していた。現時点で空に脅威は存在しない。
万難を排し、立ち込める霧を抜けて王都を目指した。
「…………っ」
ダグアーラはテテュスの胸に顔を埋めて肩を震わせる。そっと頭を撫で、かつての自分と少年の姿を重ねた。
(私も、最初はこうだったな……)
アイリス。かつて慕った家庭教師と死別し、保護された孤児院では悲嘆に暮れた。その態度は、神殿に引き取られても暫くは変わらなかった。
支えてあげて。言葉に滲む信頼と優しさを噛み締め、腕の中でダグアーラを包み込んだ。
〇 〇
戦艦は一度飛び立てば、公国中央部にある王都までは無補給で一晩の内に到着する。
入浴を終えたテテュスとノーラは、あてがわれた部屋に戻るとドライヤーで髪を吹き流した。
「…………」
毛むくじゃらのリョースを抱き締める少女は目を伏せ、無言で化粧台に座っている。思いつめた顔を浮かべている姿を鏡越しに見て、テテュスは少し心配になる。だが、無理もない。
(あんなものを、見せられてはな……)
爆殺で真っ二つになった屍。いきなりそんなものを見せられて、平静を保てる方がどうかしている。ましてや彼女はまだ幼い。食事が喉を通らなくなるのを、一体誰が詰窮できるだろうか。
(とはいえ――)
あまりダグアーラを一人にさせておくのも気が引ける。護衛部隊に守られてはいるだろうが、気なんて休まらないだろう。そもそも死んだのは、彼が最も信頼していた護衛。たとえ悪気が無くても、今は死別の現実を突き付けるべきではない。そっとしておくべきだ。
「ほら、終わったぞ?」
「…………」
首肯だけで言葉を発しない。昨日までの天真爛漫が嘘のよう。リョースの毛並みに顔を埋める姿からは、どこか悄然としたものを感じた。テテュスは主として、侍女のそんな様子に不安を覚える。
懐中時計を確認すると、今は八時。窓の外は充分暗いが、さすがに寝るには早すぎる。
かといって、部屋を出るのも憚られる。襲撃されたこともあり、自室待機が厳命されていた。
「なんというか、息が詰まるな……」
居住区の一室は手狭で、基地の部屋の半分もない。これでは監禁生活だ。壁には申し訳程度の小窓。それが却って閉塞感に拍車をかける。
「はい……」
テテュスが肩を竦めれば、少女も同意した。不満にしろ楽観にしろ、自分の心根を明かすのは大事。言葉を発してくれたことを嬉しく思い、少女のサラサラになった栗色の髪を撫でた。
不意に、ノックが部屋に響く。直後にクリスカの声が聞こえて脱力感が襲って来た。
「何の用だ?」
相変わらず平然とした様子の彼女に、テテュスは胡乱な眼差しを投げ掛ける。
「せっかくだし、夜の散歩に行かない?」
何を言いだすかと思えば。奔放な振る舞いに長い嘆息を吐く。
「でも。気が滅入って、安眠できる気しないんじゃない?」
元同僚はテテュスの肩越しに少女を見た。ノーラのための医療措置なら、必要な外出になるだろう。
提案を呑み、コートとマフラーをした主従二人は彼女を先頭に甲板へと上がった。昇降口から右舷に出ると、背後には管制塔が聳える。
魔物との戦闘を想定して飛空艇の甲板は船体最上部にあり、広く平らな空間が広がっている。その両脇には竜翼型の巨大なフロートユニットが懸架されており、船体を浮遊・推進させていた。
高度三千。風は刃の冷たさで頬を撫でる。
凍える空気の中で、白く煙る吐息だけがぬくい。ドライヤーの温風が恋しくなった。
「うん。月がよく見える」
先頭のクリスカにつられ、テテュスは空を仰ぐ。
薄藍の闇に刃こぼれした繊月。星粒の光は淡く、夜陰に霞んで見えた。
雲の姿はそこにはなく、儚い星屑と銀鈎だけが天上にあった。
「きれい……」
いつもより近い月に、ノーラは感嘆の声を漏らす。テテュスもまた、視界に広がる夜景に見入っていた。
ふと、船体後方に目を向ければ、フロートユニットから揺らめく虹の雲が船の軌跡をなぞる。
彩雲現象。水蒸気の無重力化による微粒子浮遊と、魔力下での光の乱反射によって引き起こされる魔法現象。二基の浮揚装置からたなびく虹は、明媚な夜に更なる彩りを添える。
氷の匂いを嗅ぎ、この風光を見ている時だけは、鉄と焼煙が鼻を削ぐ戦場を忘れられた。激情が波紋として残る心が、穏やかに凪いでいく。
「――――っ」
横から吹き付ける突風に面食らい、思わず目を閉じる。肌を差す凍気にを前に、そろそろ湯冷めしかねない。ノーラに振り返ると、一点を見詰めて指差していた。
「あれ……」
「ん?」
少女の視線の先には、一人で繊月を見上げるダグアーラが姿があった。
その様子は月見を堪能しているというよりも、どこか途方に暮れているような。儚げな佇まいに、テテュスは胸を締め付けられる。
踏み出そうとして、少女が掴む袖に引っ張られる。
「ノーラ……」
俯く少女の名前を、テテュスは口にした。不安なのは、この幼い侍女も同じ。捨てないで。幽かに震える肩が痛切に訴えかける。まるで揺蕩う泡沫のよう。二人を見守るクリスカは、ただ無言で佇んでいた。
声に出すべき言葉を見つけ、甲板に膝を着いて目線を合わせる。
それからノーラの事を抱き締める。鼓動が落ち着くまで、彼女は何も言わない。
「必ず戻るから」
待っていてくれ。耳元で囁く。
「はい……」
声の調子に、張り詰めたところはない。友人に少女を頼み、清澄な月天を前に立ち尽くす少年の元へと歩き出す。
遠巻きに待機している、数人の護衛から了解を得、テテュスは声をかけた。
「少佐」
その言葉に金色の獣耳が震え、遅れて振り返る。
「はい、中尉。どうかしましたか?」
無理をして貼り付けた笑顔。月照を受けた表情がそれを物語る。心配かけまいと、他者への配慮から生じる優しい嘘。
こういう時に大事なのは、かけるべき台詞の内容ではない。それを、彼女はかつての家庭教師から学んでいた。




