赤灯の毒蛇
赤灯が揺れ、暗晦の回廊は息を詰める。遠くのサイレンが鉄壁に震えを渡す居住区は無人。通風孔が低く唸り、床格子の下で機関の鼓動が速くなる。矢印灯の緑だけが道を示す。
荒い呼吸、靴の音は二つだけ。鋼鉄製の狭い空間は音が多重に反響し、余計に閉口させる。
時間が惜しい。乗艦したダグアーラは、格納庫内で早々に荷物を放り出し、乗員の仕事を邪魔しないよう迂回の道を選んだ。ヤルンにノーラを抱えさせ、船体中央部の艦橋を目指す。
暗殺の標的である自分の傍に置くのは気が引けたが、年端も行かない少女を見知らぬ場所で一人ぼっちにするわけにもいかない。
(それに――)
自分の手の届く範囲でなら、守れる自信があった。
無様を晒した前回とは違う。
先頭を走る少年は心の中で自分に言い聞かせ、魔法が刻印された長銃を握り締める。
この銃に火薬式の発射機構はない。弾倉も無く、純粋に魔力を込め引き金で銃口から術式を射出するだけ。連射間隔は一秒。でないと、過負荷で術式が崩壊する。
戦艦ティンドルリョースの経路図は頭に入れてある。外観は赤竜だが艦内中央は積層構造。階層の往来は魔導リフトか梯子を使う必要があった。
このまま直進すれば、右脇に艦橋への昇降口が見えて来るはずだ。体調が回復してからは鍛錬を再開したお陰で、今は身体が軽い。止まることなく走り続けた。
「あのっ!」
「ほぎゃああっ⁉」
後方(居住区側)から女性の声。距離的には、悲鳴を上げたヤルンの方が近い。先頭のダグアーラは落ち着くよう、彼の狼狽をなだめる。青年の肩越しに目を凝らせば、赤灯が明滅する暗闇の中で白い服飾が見え、相手は軍属メイドだと分かる。嫌な記憶が蘇った。
「どうされましたか?」
脅かさないように、少年は銃口を降ろし物腰柔らかく声をかけた。メイドは慌てた様子で近くのヤルンに駆け寄る。
この時、少年とヤルンとの距離は三歩以上空いていた。だから気付けなかった。
「くっ……」
一瞬、メイドの姿が見切れたかと思えば眼前の青年がよろけ、彼から苦悶の滲む声を聞いた。
「え――」
何が起きたのか分からなかった。背後で乾いた音。ダグアーラが目を向ければ、白い仮面が床を跳ねる。その形には見覚え――――いや、忘れられる訳がなかった。
陽動作戦。そして不意打ち。前回使ったメイドに扮する大胆不敵な手法を、まさか二度も使うなんて。
完全に慮外。状況への理解が追い付かない。呆気にとられる中で、ダグアーラは喉が固まった。頭に並ぶ懸念事項は二つ、その場に留まるヤルンの安否、それと格納庫に残して来たテテュス。
腹の底を叩く微音。直後、ヤルンの胸が裂けた。上半身が左舷の壁へ激しく叩き付けられ、ノーラは腕から滑り落ち床に転がる。
「ヤ――」
在りし日の記憶が蘇る。まだヤルンが王城に来たばかりでおどおどしていた頃。少年はその手を取って駆け回り、やがて互いに笑い合った。
立ち尽くし隙だらけの少年を前に、敵は地を這うような低さで疾駆。逆手のナイフで鳩尾を強襲。赤灯に照らされた白刃が牙を剥く。
その瞬間。本能が衝き動かした。魔力解放。噴出する膨大な魔力に感応した風が突然逆巻き、暗殺者は攻撃を中断。ダグアーラは次の行動を開始。跳躍で天井に着地し銃を構える。低い姿勢の敵は頭上がガラ空き。引き金を引いて術式を射出。迸る一筋の閃光は闇を焦がし、胴体を穿つ。
「が、はぁ……っ」
今度はメイドが苦悶の声を上げる番だった。少年は反転し、降下しながら射撃。【穿光】。光弾が敵を貫通し、射線上の一切を蒸発させる。
「まだ息があるのか……」
足の裏で胸骨の上下動を確認、目の前の敵を殺すことだけに思考を集中。敵を踏み敷くダグアーラの心は凍て付いていた。
二回も光弾で頭部を蒸発させれば、さすがに事切れた。鉄錆の匂いと、焼け焦げた肉の臭気が鼻を刺す。
幾度も命の危機に瀕した経験と、積み重ねて来た研鑽が歯車の如く噛み合った。冴え冴えとした思考は高速で回転し、精密に動く指先の冷たさが心地良い。
「おいおい、瞬殺かよ。大したことねぇなあ、『毒蛇』も」
銃を向けた先は、メイドが辿って来た後方(居住区側)の道に広がる闇。赤灯に照らし出されるのは、黒いローブ姿の男。目深に被ったフードのせいで顔の判別がつかない。ただ、隆々な筋骨に錬り上げられた魔力を感知。接近戦に強そうだ。
「誰の指示で殺しに来た?」
凍て付く殺気を込めた視線。しかし、男は意に介さないどころか、喉奥から嘲笑を漏らす。
「余裕ぶってる暇なんてあるのか?」
「⁉」
男が少年の肩越しに見た物。それは鉤状の釣り針。極細の鋼糸に操られ、四肢めがけて殺到する複数の釣り針を跳躍で躱す。だが、既に先客がいた。
「芸がねえ!」
天井に先回りした男はダグアーラを待ち構える。両腕の手甲には禍々《まがまが》しい鉤爪が伸びている。
「黙れ」
ダグアーラはブローチの結界を発動。大量の魔力で超高密度な障壁を全面展開。絶命するまで敵を押し潰す。
「ぐ、ぉ……っ」
障壁が天井にめり込み、軋む衝撃で骨の砕ける音はかき消された。
着地し飛び退くと、眼前には二つの死体が積み上がる。足元に散らばる鋼糸は、辿ると男のローブに行きつく。
赤灯の暗がりが、惨劇の輪郭だけを残す。それを少年は、怜悧な視線で睥睨していた。
不意に、視界の隅で何かが動く。
「まだ生きてるんだ。凄いね」
聞き覚えのある声。いつの間にか、一人のメイドが仰向けのヤルンの側で跪いて居た。まるで気配を感じなかった。だが、そんな事はどうでもいい。
「ヤルン!」
「でん、か……」
護衛の青年は血を噎せ咳き込む。ダグアーラは彼に風邪を移した時のことを思い出していた。
かつてとは違い、もう助からない。冷徹な思考が働くと同時に、喪失への深い戦慄で喉が震えた。
「いやだ……、ダメだヤルンッ!」
頭を振る少年は、未だに現実を受け入れられない。
「何か、言い残すことはある?」
余りに淡々とした様子に、ダグアーラは血が沸騰する思いだった。納得できないから、憤然としているのに。心情を無視されているようで苛立ちが募る。
「ごめん、なさい……」
床に伏せるのは幼いメイド。悄然と震える姿は痛々しく映る。ヤルンは少女を庇ったから隙を晒す形となり、敵の毒牙に掛かった。
嗚咽に喉を詰まらせ、彼女は何度も謝り続ける。
「きへいの、かんせい……っ ――――……、いっしょに――」
飛翔型が完成した暁には、二人で空を飛ぶ。息も絶え絶えに、ヤルンは在りし日の約束に想いを馳せた。
口元が笑みにほどけ、死に際に語るのは未来への希望。従者の健気さに胸が詰まり、少年は碧眼を大きく見開く。
「ああ。そうだっ ……だから、まだ……っ」
死なないで。涙で喉が引き攣り、言葉が続かない。
「たの、しみに……して――」
そこまでだった。上体からふっと力が抜け、胸郭が二度、小さく痙攣。
もう、微動だにしない。それが、ヤルンの最期の言葉となった。
「待って、待ってよヤルンっ まだ、僕は、約束を――」
果たしていない。けれど、いくら肩を揺らしても彼は二度と何も語らない。
「ヤルン…………?」
動かない従者を前に、ダグアーラは固まる。滂沱の涙が止まらない。
大切なものが、指の隙間から零れていく。己の無力さに打ちひしがれる少年は、泣くことしかできなかった。
幼い子供のように。
次は17時




