その翼の下に
全治約一ヶ月。それが、軍医から下された診断結果。
焼けた痛みがまだ皮膚にこびりつき、触れずとも疼く。回復魔法の余韻だけが、かろうじて朝を支えていた。
「はい、テテュスさま。あ~ん♪」
テテュスは現在、自室のベッドでノーラに餌付けされていた。腕を動かすだけで痛みが走る現状、介護は当然の判断。
(……食べきれる気がしない)
のろのろと、スプーンを口の中に迎える。咀嚼運動が背中の筋肉にも波及するので、そもそも食欲が沸かなかった。
「おいしいですか?」
屈託ない笑顔で尋ねる少女。その姿に癒され、一瞬だけ痛みを忘れられる。
ノーラを雇っていて良かったと、数ヶ月前の自分を褒めてやりたくなった。喋るのも億劫なので、首を小さく縦に振る。それだけで皮膚が引っ張られて神経が軋む。
「…………っ」
口を強く引き結び、必死に苦悶の表情を噛み潰す。
「あんまり、ムリしないでくださいね?」
途端にノーラの顔が曇る。バレていた。
まさか、ただの食事にここまで悪戦苦闘するとは。テテュスは思ってもみなかった。
といっても、後悔などある筈も無い。
(あの人はそれこそ、命懸けで私を逃がしてくれたからな)
咀嚼し、味わいながら思考に耽る。
専属の家庭教師だったアイリス。姉のように慕った彼女のようになりたいと、強く願ったからこそ今の自分がいる。
王子を守れてよかった。その充足感が、胸の内を優しく照らしてくれていた。
(にしても、かなりの手練れだったな……)
差し向けられた刺客の事が頭を過ぎる。
囮の一投からの本命、陰投。爆炎はブローチの結界が退けたが、風だけでは防ぎ切れなかった。
王族の証についてクリスカからの説明を思い出したのは、爆発が止んでから。
王子を盾にすれば、二人とも無傷だったかもしれない。しかし、それが解っていても恐らく、自分は我が身を盾にした。
年下の少年に庇われるなど、テテュスの沽券に関わる。
だから、これでいい。これ以上ない結果だ。
「テテュスさま?」
「ん? ああ、すまない……――――っ」
思考の深みにはまって食事がおろそかになっていた。慌てて弁明すると、背中の傷が痛んだ。
心配する少女をなだめる。嚥下や咳で走る電撃に歯を食い縛り、気合を入れてテテュスは完食する。
「助かった。おかげで、食べきれた」
空になった食器に視線を落とし、ようやく人心地。
「はいっ♪」
笑顔を弾けさせる少女。可愛い。ノーラが甲斐甲斐しく世話をしてくれるから、重傷にも耐えられる。そう強く実感した。
無邪気に微笑む彼女に手を差し出し、栗色の髪を撫でる。背中に鋸を入れられる感覚には目を瞑って。当然と目を細める少女の顔が、ささくれ立つ心を慰撫する。主従二人は微笑を交わした。
「もぅ。ムリしないでって、言ってるのに……」
目くじらを立てる少女の頬は上気している。嬉しそうだ。
「私は、ノーラの主だから」
働く侍女を労うのは当然。はにかむ顔を向けた。
ご満悦なノーラは食事を下げに退室。テテュスは一人残される。
「はあぁぁぁ~…………」
盛大に溜め息を吐いた。その拍子に電流が爪を立て、全く気が休まらない。
従者や友人の前で気丈に振る舞ったが、やせ我慢にも限度がある。
この傷は勲章。そう得心したところで消えるわけではない。早く痛み止めの薬が飲みたかった。
猫背で皮を突っ張らせたら最後、意識を刈り取るほどの激痛に襲われる。故にテテュスは、上体を直立不動で保つ。
これでノーラが本を読んでくれればまだ気も紛れるのだが。難解な単語が読めずに躓くのはご愛嬌。
手持ち無沙汰でぼーっとしていると、ノックが人の来訪を知らせる。
「失礼します」
入室を許可すると、顔を見せたのはダグアーラ殿下。敬礼しようと慌てて腕を振り上げる。それがいけなかった。
「はぐぅッ⁉」
思わず白目を剥く、殿下の前で。背中に走る激痛が意識を刈り取りに来た。歯を食い縛り、意志の力で必死に抗う。
「ちょっ 大丈夫ですかっ⁉」
尻尾を揺らし、慌てて駆け寄る。もちろん、大丈夫ではない。今にも意識が飛びそうなのだから。膝に手を着き、波が引くまで耐え忍ぶ。
金髪碧眼の少年は、テテュスに気安く触れたりはしない。傷に響くのを心配しているようだ。
「申し訳ありません。僕が突然来たばかりに……」
しおらしく、俯いた影が揺れる。純真無垢な仕草を前に、ストロベリーブロンドの巫女は居た堪れない。
テテュスは息を吸って背の痛みを呑み込み、短く息を整えた。
「どうか、顔、上げて」
少ない言葉を、辛うじて絞り出す。
「貴方を、守れてよかった」
微笑を湛え言葉は少なく、芯は固い。
こうなったのは、自らの意志に拠るもの。気に病まなくて良いと、眼差しと笑顔で訴え掛けた。
しかし、ダグアーラは痛みを堪えるように目を伏せ、唇だけが震えた。
「助けてもらった事は、本当に。感謝しても、し切れません……」
テテュスの命懸けの献身に謝辞を向ける一方で、顔を曇らせる。言い淀む言葉が宙を舞う。
「……ですがそれは。僕が王族、だからですか……?」
巫女に向けた顔が、今にも泣きそうだった。
無邪気などではない。少年は、自分の立場に自覚的だ。地位の高さ故に求められる品格と振る舞い。それに葛藤する心痛が、僅かに垣間見え気がした。
他人の厚意を素直に受け取れないのは、悲しい事だ。
「いいえ」
だからこそ。それは違うと、テテュスはハッキリと口にした。ダグアーラは潤んだ瞳を丸くする。戸惑う彼を、ベッドの縁に座らせた。
目線を合わせ、ゆっくりと口を開く。
「かつて、私の命の恩人は私が、姉として慕っていました……」
凛と背筋を伸ばし、神経の悲鳴にも怯まない。今こそ殻の中で蹲る少年に手を差し伸べよう。あの人の恩に報いるため、強さを手に入れた。
「私は、貴方が貴方だから助けたのです」
「え――――」
王族かどうかは関係ない。優しく指先で金髪を撫でる。
「貴方が困っているなら、何度でも助けましょう」
何より自分が、そうしたいから。そんな自分が理想だから。
あの時。勝手に身体が動いた。ただ、それだけ。卑屈にならなくていい。真剣な眼差しでダグアーラに訴えかける。
(ん? これは、不敬に値するのか?)
疑問を精査するため、テテュスは虚空を睨んだ。
鼻をすする音が聞こえ、慌てて視線を正面に戻す。涙が溢れる碧眼に肝を潰した。
「あり、がとう、ございます……本当に……っ」
それから少年は、涙ながらに吐露する。
ずっと「王族の一員」としての評価が付きまとい、苦しんでいた事を。
王族だからこそ到達できた。どれだけの事を成してもそう言われてしまえば、ダグアーラは閉口せざるを得なかった。
そうかもしれない。ずっと、自分で思い続けて来たから。
不安から逃げるために更なる研究に没頭し、与えられた技術少佐という地位に固執した。王族ではない将校の座は、少年にとって一つの光明だった。
「だから。開発は、絶対に成功させたかったのに……」
目元を拭い、言葉は嗚咽混じりになる。
(ああ。この子は――)
後頭部に手を当て、テテュスは胸元に抱き寄せる。
突然のことに、ダグアーラは尻尾を震わせ目を白黒させる。こういう触れ合いに慣れていないのが、手に取るように分かる。
「大丈夫です。あなたはまだ、挑戦できるのですから」
生きてさえいれば、失敗は挽回できる。まだ終わってない。涙ぐむ少年に、巫女は優しく諭す。心の重荷が、少しでも軽くなるように、と。
そして彼の意志を感じ、抱擁の腕を解いた。
「もう一度、飛びたいと思えるようになりました……っ」
貴女のお陰で。涙を拭ってはにかむ顔に、テテュスは目を細める。
「よかった」
私も嬉しい。微笑むと、ダグアーラは破顔した。
心地よい沈黙が、笑みを交わす二人の間で流れる。
「後でまた、来ても良いですか?」
尻尾を振り、甘えたような上目遣い。甘えを見せる、年相応な仕草が愛らしい。
二つ返事で快諾すると、ダグアーラは手を振って部屋を後にした。
「ふうぅぅ…………」
どっと額に汗が噴き出す。背中を駆け巡る電流が鬱陶しい。
少年と入れ替わるように、薬を抱えたノーラが帰って来た。
「なにか、あったんですか?」
「まあ、少しな……」
少女は不思議そうに首を傾げる。テテュスはその様子に苦笑した。
運んで来てくれた回復薬を飲み干し、漸く背中の痛みから解放された。
「はあぁぁ~」
絶対安静と通達されているので、うつ伏せでベッドに寝転ぶ。
読書ができるくらいには痛みも感じない。ノーラの読み聞かせを断り、独り読書に耽る。
一枚ずつ、ページを進める喜びを噛みしめ、顔を綻ばせながら文字に視線を落とした。




