第二話「誘う者」
翡翠が消えた――その事実は、慶太の心を急速に侵食した。
朝になっても、彼女の姿はどこにもなかった。
商家、茶屋、町の隅々まで駆け回り、声を張り上げても、誰一人、手がかりを持っていない。
「くそっ!!……どこだよ、翡翠……!」
木刀を握り締める掌に、血が滲む。
焦燥と怒りだけが、胸の奥で燃え盛っていた。
そして、陽が傾きかけた頃――
慶太の前に、闇から抜け出すように“あいつ”が現れた。
「てめぇ!翡翠をどこにやりやがった!」
仮面の男は無言のまま、誘う様に背を向けて歩き出す。
「……ついてこい、ってことか」
案内されたのは、京の外れにある打ち捨てられた廃寺。
夕暮れの光すら届かぬ奥の間――そこで、翡翠は吊るされていた。
両手を縛られ、気を失ったまま、天井から吊るされている。
その体に打撲のような痕が残り、唇はかすかに震えていた。
「……貴様ぁ、何故こんな事をする!何が目的なんだ……!!」
仮面の男は答えない。
ただ、静かに慶太の木刀を指差し、納刀されたままの刀を構えた。
「試す気か……俺を……!」
慶太の怒号とともに、木刀が駆ける。
地を蹴る脚は火花のように、一直線に仮面の男へと殺到する。
「うぉおおおッ!!」
一閃――しかし、その刃先は空を切る。
「おそい」
背後から声がした瞬間、慶太の腹に衝撃が走った。
「がっ……!?」
吹き飛ばされ、石床に背中を打ちつける。
「……なにが……どうなってやがる……」
再び木刀を構え、飛び込む。
しかし、仮面の男は一歩も動かない。
ただわずかに腕を動かし、慶太の攻撃をいとも簡単に弾き返してくる。
「直線。力任せ。気が粗い。全部読める」
仮面の男の声は、あくまで淡々としていた。
「……なら……これならどうだッ!!」
慶太は上段から踏み込み、渾身の一撃を振り下ろす。
その木刀は、目にも止まらぬ速さで――
「甘い」
まるで風のように流され、肩口を蹴り飛ばされる。
「ぐっ……ぁあ……っ!」
痛みと悔しさが混ざり合い、視界が滲んだ。
翡翠の細い指が揺れているのが、目に入る。
(……守れねぇのか、俺は……また……)
視界が暗転しかけた瞬間――
慶太の胸の奥から、何かが脈動した。
――“光”が、広がった。
七色の光。
あの男を倒した時に微かに感じた光が体の内から爆ぜるように、空気を揺らすように湧き上がる。
「なっ……この気は……!」
仮面の男が、初めて距離を取った。
慶太の身体を、光が纏う。
腕、脚、木刀、その全てが光に包まれ、気のうねりが波紋のように広がっていく。
「もう……俺は、誰も……失わねぇ……!」
木刀が唸りを上げる。
その一撃――仮面の男は、初めて目を細め、動いた。
“打ち合い”が生まれる。
速度と重さが互角になり、音が爆ぜ、床が割れる。
「やっと、見せたな……“虹”の力」
仮面の男の仮面にヒビが走る。
慶太は深く息をつき、光の収束が止まっていくのを感じた。同時に意識が遠のきそうな倦怠感が押し寄せる。
慶太らそのまま膝をつき、腕を垂らす。
「なんだ……これ……」
「オマエのその力、それは。“幻気”――その中でも、稀な“虹”の力だ。慣れない力でその反動がきているんだろう。」
仮面の男が、吊るされた翡翠へ歩み寄り、縄を切った。
「ひ…すい……」
慶太は意識朦朧としながら翡翠に歩み寄ろうとする。
「その力は、“鍵”になるかもしれない。人と妖を分ける、この世界の境界を守る鍵だ。…… 神谷慶太、全てを知りたいなら来い。天へ」
仮面の男のその言葉を最後まで聞き終える前に慶太はその場で意識を失い倒れ込む。
──第三話につづく。