第一話「影、動く」
夜の京の町は、蒸し暑い空気と静けさに包まれていた。
人気のない路地裏に蝉時雨の名残が響き、行灯の淡い灯りが格子戸からこぼれる。
石畳に影を落としながら、少年はふと足を止めて夜空を見上げた。
「……暑いな、今夜も」
神谷慶太――16歳。
幼い頃に両親を亡くし、幼馴染の翡翠を初め、下町の人々支えられてに育てられた。そんな恩を返すように町の厄介ごとを日々解決して過ごしていた。
粗布の袖をまくった腕には、先ほどの喧嘩でできた擦り傷が残っていた。
「また喧嘩してきたの?」
背後から声がした。
振り返ると、翡翠が手に手ぬぐいを持って立っていた。
光の加減で揺れるその瞳には、心配と呆れが混じっていた。
「大したことじゃねぇよ。ただのチンピラだ」
「ほんとに? そうやって傷だらけで帰ってきて……」
翡翠は手ぬぐいを優しく慶太の腕に当てた。
慶太はちょっとだけ照れ臭そうに頭を掻く。
「でもさ、誰かがやらなきゃって思うんだよな。困ってる人がいたら、動かずにはいられない。俺だってそうしてもらったからな。」
翡翠はふっと笑った。「……それ、昔から変わらないよね。でも、頑張りすぎ!危険な事はしないって約束でしょ。気をつけてよね。じゃね」
「あぁ…またな」
二人は辻で別れた。
その別れが、“静かな日常”の最後になるとも知らずに。
それから数刻後。
「慶太くん! 大変! 八坂の裏手で誰かが暴れてるの!」
慶太が家に着くやいなや顔を真っ青にした八百屋の娘が駆け込んできた。
「ちっ…また翡翠におこられんな…まってろ。いまいく!」
慶太は相棒の木刀を片手に駆け出した
裏手の広場。
そこには、異様な男がいた。
片手に鉈を握り、呻くような声を上げながら子供に迫る。
肌は灰色に変色し、瞳は真っ白。
口からは黒いもやが絶えず漏れ出ていた。
「……おい、お前、何してやがる!」
慶太の怒声に、男はギギ、と不気味な音を立てて振り返る。
だが、返ってきたのは言葉ではなかった。
「……ゥ……ガ……ァァア……!!」
叫びとともに、男が鉈を振りかざす。
咄嗟に飛び込んだ慶太は、間一髪で子供を庇った。
「走れっ!! ここは危ねぇ!」
木刀を構え直し、真正面から立ち向かう。
しかし――
「なにっ……!? 速ぇ!」
鉈が風を裂き、慶太の肩を掠める。
木刀で受けた腕に衝撃が走る。
(こいつ……ただの人間じゃねぇ)
空気が重い。相手の気配が、異常だった。
呼吸が合わない。動きの先が読めない。
「くそっ!」
慶太は足元へ一撃を叩き込み、男の体勢を崩す。
その隙に横薙ぎの一太刀――
打ち込んだ瞬間、手に伝わる感触が違った。
木刀が軋むほどの衝撃とともに、僅かな光を放った。そして男の胸元から黒い霧が弾け飛ぶ。
「ぐああああっ……!」
地面に崩れた男の身体から、ぼろぼろと黒い影が漏れ出る。
そして、ゆっくりと消えていった。
残されたのは、ただの人間――気を失った顔には、恐怖の痕跡だけが残っていた。
「なんだったんだ今の…」
その一部始終を、屋根の上から見下ろす影があった。
月を背にした、仮面の男。
「……間違いない。“虹”やっとみつけたぞ。」
彼は静かに、夜の闇へと身を溶かしていった。
その夜の帰り道。
慶太は、翡翠の姿を見つけた。さっき帰ったはずなのにどうしてこんなところに。そう思いながらも慶太は手を振った。――次の瞬間だった。
「けいた!!にげてぇ――っ!!」
翡翠の後ろに人影が浮かび上がる。
闇の中から現れた仮面の男が、無言でその手を翳している。
「てめぇッ!!」
慶太は即座に木刀を構え、飛び込む――
しかし、振り下ろした一撃は、風を斬るだけだった。
仮面の男は、翡翠を気絶させ、闇の奥へと消えていた。
「ひすいぃぃぃッ!!」
叫びが、誰もいない夜の路地に響き渡った。
月が、ただ静かに彼を照らしていた。
──第二話につづく。
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