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『 リン 』
殿下の声が聞こえました。
いつもとは違うその声を使うときはいつだったでしょうか?
『 全て、忘れろ。そして、いつものように笑え 』
ああ、これは。
『 アベル・アーサー・フェルディナンの命令だ 』
"言霊"を使うときの、声。
◇ ◇ ◇
「……そう、だったのですか」
あの、恐ろしい夢は私が本当に体験したものだったのですか。
……殿下から離れたことで、"言霊"の力が薄れたのでしょう。
それでも、断片的にしか見ていないのだから殿下の"言霊"の強さには驚かされます。
「ならば、大丈夫でしょう」
国に帰れば、薄れた"言霊"の力も元に戻るはず。
……二度とあんな失態を起こさなくて済むはずです。
私は鏡の自分にニッコリと微笑むと、朝食を作るために台所へと向かいました。
◇ ◇ ◇
2人が学校に行って、1人になると私はスーパーへと向かいます。
そして、スーパーにつくと私はメモを見ながら、カゴの中に必要なものを入れていきます。
「えっと、人参にジャガイモ……あ!牛乳も安いですね!」
……ときどき、こんな風に暮らすのもいいな、なんて思ってしまいます。
家族のために……近くにいる大切な人のために食事を作ったり、掃除をしたり、洗濯をしたり。
本来の私にはできない、こんな生活もいいな、なんて。
もちろん、帰らないなんて選択肢は存在しませんよ。
それでもここにいる間だけは、そう思っても罰は当たりませんよね?
そんなことを考えていると、いつのまにか会計も終わっていて、私は袋に買ったものを詰め込みました。
◇ ◇ ◇
いつもと同じ、帰り道。
たまには寄り道をしよう、と公園を通って帰ろうとしたのがいけなかったのでしょうか?
私は、その人に出会いました。
「……リン?」
ベンチに座って本を読む、1人の青年。
その声に、私は聞きおぼえがありました。
青年は、開いていた本を閉じてこちらをじっと見ています。
「リン、だよね」
確信があるのか、その声は自信に満ちあふれていました。
知らない、と誰かが言います。
けれど同時に、知っている、と誰かが言います。
似ているだけだ、と誰かが言います。
けれど同時に、本人だ、と誰かが言います。
私の無言を肯定ととったのか、青年はニコリと私に微笑みました。
「僕の気がかりは君だけだったんだ、リン。元気そうでよかったよ」
彼はベンチから立ち上がると、私にゆっくりと近づいてきました。
……駄目だ、と誰かが強く言いました。
彼には近寄ってはいけない、と誰かも強く言いました。
私は声に従い、後ずさりました。
それなのに青年は気にせず近づくと、強く、でも優しく、私を抱きしめました。
「……そうか、リンも逃げ出したくなったんだね」
意味のわからないことを言わないでください、と声を張り上げたいのに。
強く、彼の胸に押し付けられて、息をするのでせいいっぱいでした。
苦しくて、苦しくて、離してほしくてもがいたのに、逆に抱きしめる力は強くなりました。
「 リン 」 『 リン 』
ささやいた声が、何かと重なりました。
……そうです、この声はこの国で初めて見た夢で聞こえた声です。
「もう、大丈夫だよ。リン。ここは、平和だからリンも幸せになれるよ」
優しげな声。私の、とても大好きだった声。
……ああ、思い出しました。
この人は、優しい人。そして、とても賢い人。
私と違って、力だけじゃなく、そのすべてを国に必要とされた人。
なのに、私を、お師匠様を、国を裏切った……大嫌いな人。
私は、強く唇を噛みしめました。
思い出したくない記憶が、戻ってくる。