10
この国に来て、もう1カ月も過ぎてしまいました。
魔法陣をいろいろと描いたおかげで、へっぽこ召喚師という汚名を返上できそうなぐらい成長はしました。
……が、一向に帰る方法は見つからず宝の持ち腐れになってしまいそうです。
それに、私が集中して帰る方法を探しているのに、
「今日はスーパーで安売りしてるから行くぞ、リン」とか。
「リンちゃん、たまには休憩しないと!ケーキ食べる?」とか。
カケルさんとユウトさんが誘うので、とても困ります!
……まあ、その代わり最初のいざこざはどこへやら、2人と仲良くなれましたが。
今では本当の妹のように可愛がってもらってます!
「……って、この国に順応したら駄目です!リン・バルデュス!」
帰らないといけないんですよ!私は!遊んでる場合じゃないのです!
遊んでる場合じゃ、ないのです。
私は何度も何度も繰り返し読んだ本を開きました。
……そもそも、自分をモノ指定できない召喚術で帰れるわけがありません。
それでも、これにしかすがることのできない私は、ひどく滑稽に思えました。
◇ ◇ ◇
『 返してよ!返しなさいよ!私の息子を、返してよぉっ!!! 』
泣き叫ぶ、女の人の声。
狂ったように繰り返す"返して"の言葉。
振り下ろされる包丁。
呆然と立ち尽くす私。
最後に見たのは、首と胴体が離れていく女の人と彼女を斬ったお兄ちゃんの苦痛に歪んだ顔。
それ以外は、全て真っ赤に染まっていました。
◇ ◇ ◇
目が覚めると私はすぐにトイレに駆け込みました。
気持ちの悪さに、今日食べたものを全て吐きだします。
知らない、私は、あんなの知らない。……知らないのに。
血のにおいが、飛び散った血の温もりが、崩れていく女の人の姿が。
「……うっ、うぁ、うぇ……」
キモチワルイ。キモチワルイ、キモチワルイ、キモチワルイ。
びちゃびちゃと、嘔吐物を吐き出す音がますます私を気持ち悪くさせます。
「……っ殿下ぁ」
無性に3つ上の殿下に会いたくなりました。……意地悪だけど、本当はとても優しいあの方に。
……あの人の前でなら、どんなに苦しい時でも強く振る舞うことができるのに。
「……うぇ、うっ―――ぁ」
独りになると、弱い自分に出会ってしまう。
それが、たまらなく嫌で、情けなく思うのです。
◇ ◇ ◇
全部吐き出して、胃は多分空っぽになりました。
トイレから出て、水を飲もうと台所へ向かおうとすると、「リン」と声を掛けられて振り返ります。
私に声をかけたカケルさんは、帰ってきたばかりなのか玄関にいました。
学校の帰りにお買いものに行ったのでしょうか?手には袋を持っています。
お買い物なら私が行きましたのに、と言おうと口を開くとカケルさんは歩きながら、袋の中に入っていたものを私に投げました。
びっくりしてそれを落とさないように捕らえます。
……それはボトルに入った半透明の液体でした。
何だろう、と見ているとその間にカケルさんが私の正面まで来ていました。
「飲めよ、気持ち悪いんだろ?」
カケルさんはそう言って、頭を優しく撫でてくれました。
……どうやら、吐いていたのはバレバレなようです。
その優しさに、思わず目頭が熱くなります。
それを誤魔化すために、私はその半透明の液体を口にしました。
少しぬるめのそれは、普通の水より少し甘くてすっと喉を通って行きました。
「ありがとうございます」とお礼を言えば、ぶっきらぼうに「気にすんな」とまた頭を撫でられました。
その拍子に、ぽろりと思いがけず涙が零れてしまいました。
……ああ、もう!!変な夢を見た後に、カケルさんが変に優しくするのが悪いのです。
普段の私なら、こんな風に泣くほど弱くないのに。そういう風に生きてきたのに。
私は一粒、二粒と落ちてくる雫を拭おうとして、手を顔へ近づけようとしました。
けれど、涙を拭う前に目の前のカケルさんが私の腕を掴んで、自分の方へ引き寄せたのです。
そして、私は暖かいものに包みこまれました。
……お兄ちゃんよりも、殿下よりも、小さいカケルさん。
なのに、私を抱きとめるカケルさんは、とても大きくて、とても暖かくて……心地よくて。
「……泣けよ。全部出したら、楽になるから」
カケルさんがそう言って、また私の頭を優しく撫でるから。
今日だけだと自分に言い訳をして、彼にしがみつきました。
……今日のカケルさんはおかしいのです。そして、それ以上に私もおかしいのです。
明日になったら、おかしい私たちも元に戻って、いつもどおりに戻るのです。
だから、今日だけ。
今日だけ、ぶっきらぼうでぶきっちょなこの人に甘えさせてください。
明日になれば、いつもどおりに戻るのですから。
近くで聞こえるドクン、ドクンという鼓動をかき消すように、私は嗚咽を漏らしながら涙を流しました。