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191話 閑話 珠李の懐古

「ここか……」


 私はある日、とある街を訪れていた。そこは人間の街としてはかなり大きな部類の街で、足を踏み入れた途端賑やかな喧騒に包まれる。

 だが行き交う人々の顔に笑みは多くない。誰もが忙しなく、もしくは不安そうな表情を浮かべながら過ごしていた。その理由は明白であり、それは今も尚街に大きな影を落としている。


「もうお終いだ…」


「誰も勝てやしねぇ…」


「前は隣町が潰されたんだろう? いつここも無くなるか…」


 私の耳に届くのはそんな声ばかり。私からすれば何故そこまで怯える必要があるのか分からないのだが…人間は私達とは生きる時間が違うのだ。長い時の中で忘れ去られ、恐怖だけが残ってしまうのも無理は無いのかもしれない。


「忌々しい()()め…」


「邪龍、か……」


 この世界において、龍という言葉が指す存在はたった一体しか居ない。


 ―――始祖龍レギノルカ。この世界を創世より見守ってきた、見上げる程の巨体と隔絶した力を持つ絶対的な強者。そんな彼女によって滅ぼされた文明も国も数多く存在し、その結果としてこの街…いや、国によっては邪龍と呼ばれ恐怖や憎悪の対象とされている。


「情けない話だ…」


 確かに彼女は数多くの命を奪い、滅ぼしてきた。それは事実だ。だがそれだけが真実ではない。とはいえ高々百年程度しか生きられない人間がそれを知る事は不可能だろう。彼女が滅ぼした場合、そこには何も残らない。だから知らない。理解しない。その行為に“理由”が存在していた事など。


 ふと見上げれば、空高い場所で静かに目を閉じる彼女の頭が見える。彼女は全能の存在だ。きっとこの街の声も憎悪も全て知っているのだろう。それでもなお感情に囚われる事もなく、ただ静かにこの世界を見守っている。


「………」


「あのー…」


「ん?」


 ただボーッと彼女を見上げていると、突然私を呼ぶ声がして視線を戻す。するとそこには眉を下げて私を見上げる女性の姿があった。


「もしかして貴方もルカちゃ…レギノルカ様を倒しに来たのですか?」


「倒しに、か…いや、そんなつもりは無い。倒せるとも思わないからな」


 そう答えると、目の前の女性はホッと安心したように息を吐いて胸を撫で下ろした。その様子に私は思わず首を傾げてしまう。この街にとって彼女の存在は邪魔でしかないはずだ。ならば倒さないと聞いて安心はしないだろう。


「何故そんな事を聞いたんだい?」


「あっ、いきなりすいません…その、とてもお強いように見えたので」


「ふむ…確かに私はそれなりに強さを自負しているが、本当にそれだけかい?」


「えっ!? い、いやぁ…じゃ、じゃあ私はこれでっ!」


 聞き返せばあからさまに慌てた様子で足早にその場を去ってしまった。真意を尋ねたかったのだが……まぁ良いか。彼女に対して悪意のようなものを持っていたのならば、倒さないと聞いて安心はしないだろうからね。


「さて。私も目的を果たすとするか…」


 気を取り直して、そもそもこの街に訪れた理由を果たすために動き出す。といってもさしたる準備などは無い。目的地は既に見えているのだから、迷うことも無い。


 栄えた大通りを素通りし、血気盛んな若者たちが集う冒険者ギルドの前を通る。するとやはりと言って良いのか、彼女を倒す目的で人を集める声が耳に入った。勇気と蛮勇は違うのだと早く気付いて欲しいものだが。


(……まぁ、蛮勇と言うならば私も同じか)


 私本人も彼らのことをとやかく言う権利は無さそうだと自嘲しつつ、目的地まで歩みを進めていく。そのまま先程通ったばかりの街の門とは反対側の門から出れば、ふわりと頬を撫でるのは濃厚な魔力を含んだ風。普通の人間ならばそれだけで魔力酔いに陥ってしまう程のそれが、彼女の無意識によって齎されるものだと思えばどれだけ隔絶した存在なのかが理解出来るというもの。


「……流石に、震えるな」


 見上げてもなおその全体を視界に収める事は叶わない。ふと手を見れば小刻みに震えているのが分かる。だがこれは恐怖では無い。武者震いだ。


「いざ…!?」


 震える手を握り締め、もう一度視線を彼女へと戻した、その時。――――私の視界は、一瞬で暗転した。



 ◆ ◆ ◆



「―――――はっ!?」


「あっ、気が付きました?」


 次に私が意識を取り戻した時、そこにはあの街で会った彼女の姿があった。何故、ここに…いや、そもそも何が起こった?


「もうっ! だから動く時はちゃんと下を見てって言ってるじゃない!」


『すまん……』


 ……私は、まだ夢を見ているのだろうか。あの絶対者がただの人間に汐らしく頭を下げているなど今まで見た事も聞いた事も無い。


『怪我は無いかえ? 一応直ぐさま蘇生した故、問題は無いとは思うのじゃが』


「へっ!? い、いえ…」


 突然その巨大な紅い瞳で見つめられ、ただそう答えるしか無かった。だが少しして理解の追い付いた頭が、尋ねられた言葉の意味に気付く。蘇生…?


「貴方はルカちゃんに踏み潰されて死んじゃったんですよ。で、それをルカちゃんが蘇生しました」


「あ、あぁそういう……いえ待って? そもそも貴方は一体…?」


 私が踏み潰されて死んだのは分かった。だが何故彼女がこの場にいて、それでいて彼女―――龍神様と親しげに話しているのかが理解出来ない。


「んー…ルカちゃんの親友?」


『まぁそう言うしかあるまいな。して其方、如何にして妾の元を訪れたのじゃ?』


「あっ…」


 色々と衝撃的な事が続いたせいで本来の目的を忘れていたが、龍神様の言葉で何とか思い出す。慌てて倒れていた地面から立ち上がってある程度身嗜みを整えると、姿勢を正して龍神様を見上げる。相も変わらず首が痛くなるほど見上げなければならない巨体ではあるものの、不思議と恐怖は無かった。それは恐らく、こちらを見下ろす瞳に深い慈愛を感じられるからだろう。


「失礼しました。実は…龍神様に懇願したい事があるのです」


『ふむ、懇願とな? 久方振りにそのような者が現れようとは…よかろう。申してみよ』


「はっ! …その…」


 しかしいざその願いを口にしようとすれば、一瞬で口内が乾いて言葉が詰まる。これは私の身勝手な願いだ。受け入れられる可能性は低く、もしかすれば龍神様の機嫌を損ねてしまうかもしれない。……だがそれでも、この為にわざわざここまで尋ねてきたのだ。答えないという選択肢は無かった。


「…龍神様と、力比べをさせて頂きたいのです」


『ほぅ…』


「うわぁ……」


 望みを言い切った瞬間の反応は、それぞれ違っていた。だがその真意を尋ねる間もなく、突然ズンッと上から押さえ付けられたかのように私の身体が重くなる。


『その勇気は讃えよう。何時でも掛かってくると良い』


「くっ…」


 ミシリと骨が軋む音が耳に響く。この身に降り掛かる途轍もない重圧は、私を試すものなのだろう。少しでも気を抜けば地面に押し付けられそうな程のそれを、全力の〖激昂〗で何とか押し返す。


『どうした? まさか動けぬとは言うまいな』


「っ…」


 震える腕が、手が、腰に佩いた刀を掴む。一度だ。たった一度だけでいい。私の持てる全力を、龍神様に受け止めて貰う。それだけを考えろ。


「ハアァァァァッ!!」


 地面を踏み締める。その途端ブチブチと嫌な音が耳に届いたが、頭がその痛みを理解する前に更に足を踏み出す。全力の魔力を刀へと注ぎ込み、今ここで全てを失っても構わないとばかりに力を込めて、その刀を眼前の鱗目掛け抜き放った。

 手に伝わる衝撃。腕に伝わる激痛。火花を散らしながら滑る刀身。その全てが一瞬の出来事で。


「―――――ぁ」


 一拍の空白。次に響いたのはバキンという虚しい音。半ばから砕け散るように折れる刀をその視界に収めながら、全てを出し切った私はそのまま龍神様へと倒れ込んだ。


「わっ、わっ!? ルカちゃん早く治療を!」


『う、うむ』


 意識が暗闇へ沈んでいく私の耳に最後に届いたのは、そんな会話だった。



 ◆ ◆ ◆



「―――とまぁ、これが私と瑠華様の出会いだね」


「……随分と無謀な事をしたのですね?」


 遠慮無く辛辣な言葉を発してくる紫乃に思わず苦笑が零れる。まぁあの時は若気の至りというやつだったと今なら分かる。瑠華様に勝負を挑むなど命が幾らあっても足りないのだから。


「にしてもかつての瑠華様の親友、ですか…」


「紫乃。その事を瑠華様に聞いてはいけないよ」


「えっ?」


「それは瑠華様にとって……きっと、大切なものだからね」


 私の言葉に首を傾げつつも取り敢えず頷く紫乃に微笑む。今はそれでいい。“それ”を知りたいと願うのであれば、相応の覚悟が必要なのだから。





























 ―――――瑠華様の、“大罪”を知るという覚悟が。



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― 新着の感想 ―
更新お疲れ様です。 ほぼ神といって良い存在…悠久と呼べる刻を生きて来たからこそ、良い事も悪い事も積み重ねてきたモノの『重さ』は一般的生命体の思考の遥か外に在るという事なんでしょうなぁ…。 果たして今…
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