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179話 稲荷視点

 私はあの方に助けられた。結果として恐れていたものは驚異では無かったと判明したけれど、それ自体に意味は無い。

 問題となるのは、私が瑠華様に助けられたという事。そしてその感謝を伝える間もなく別れてしまった事。

 幸いにして私は瑠華様の眷族としての力を得たからか、その残滓を辿ることが出来る。つまり場所は分かるのだ。ただ、私はこの場所から迂闊に離れられない。


「まだお悩みですか?」


「うぅ…」


 本殿奥。ここでずっと悩み続けていた私に対して、栞遠が呆れた顔でこれ見よがしに溜息を吐く。一応私神なんだけど……。


「敬ってはおりますよ? ええ当然敬っております。しかし連日ジメジメクヨクヨされる様子を見るこちらの身にもなって頂きたく」


「酷い…」


「それ程気になるのであれば行けばよろしいではないですか。場所はお分かりになっているのでしょう?」


「分かってるけど、一応此処の神だから離れるのは不味いの」


 私は本来の神とは異なる成り立ちをした神だからか、その土地に縛られてしまっている。先代の方なら例え離れても問題は無いはずだ、けど……。


「……そっか。その手があった」


「稲荷神様?」


「栞遠、今人居ないよね?」


「え、ええ。もう閉める時間ですから人はおりませんが……」


「じゃあちょっと行ってくる」


「行ってくるって…あっ、稲荷神様っ!?」


 栞遠の制止を振り切って、向かったのは以前瑠華様がこじ開けた異界への入口。あの後先代の方が何かしたのか、綺麗な黒い穴のような入口がいつの間にか出来ていた。無論これは栞遠でも見る事も触れる事も出来ない。

 意を決して中へと入れば嫌な浮遊感が襲い、何とか制御出来るようになった霊術による浮遊で落下速度を落とす。


「あら? 来たの?」


「へ?」


 そうすると何故か先代が下にいた。最下層に居るって言ってた気がするんだけど…?


「自分が創ったものはちゃんと最後まで責任を持たなきゃだから、少し調整とかをね。稲荷ちゃんは?」


「あっ、えと…少し相談したい事が…」


「ふぅん? じゃあちゃんとした所で話しましょうか」


 そう言ってパンッと手を打ち鳴らすと、あっという間に視界が森の中から温かな家の中の風景へと切り替わった。

 突然の出来事に目を白黒とさせる事しか出来ない私に、先代がクスクスと笑う。


「驚いた? 霊術はこういう事も出来るのよ」


「そう、なんですか…」


 こうして目の当たりにすると、自分がどれだけ未熟なのかを改めて見せ付けられる。でもそれを悲観するつもりはない。足りないのであれば努力するだけなのだから。


「それで相談って?」


「あ、はい。その…実は瑠華様に感謝をお伝えしたくてですね。少しの間この場所を離れたいのですが…」


「縛られて動けないと。それをどうにかして欲しいって事ね?」


「はい」


「んー…まぁ対処法は凄く単純で簡単なんだけど、それってどれくらいの間?」

 

「感謝とお礼の品をお渡しして戻ってくるつもりなので、そう時間は…」


「それなら暫くそのままレギノルカ様の所でお世話になりなさいな。勿体ない」


「ふぇっ!?」


「あれ程のお方の眷族になったのだから、その自覚を持ちなさい。直接師事した方が貴方の身になるでしょう」


「で、でもご迷惑に…」


「もう既に散々迷惑を掛けた後でしょうに。一応私からも手紙を書いて貴方に持たせるから、それを渡してお願いしなさい。その間私がこの場所を守護しておくから」


 私が反論する間もなく先代は筆を取ってスラスラと書を(したた)めると、丁寧に折って私に渡してくる。


「じゃ、そういう事で」


「え、えっ!?」


 肩を掴んでくるりと向きを変えられてトンっと背中を押されると、私はいつの間にか外に戻って来ていて。でもその手にはしっかりと手紙が握られていて、先程の出来事が夢でない事を否応無しに理解させられる。


「……えぇぇ……」


 私の困惑した声は、夜の闇に溶けて消えていった。



 ◆ ◆ ◆



「――――という訳でして」


「成程のぅ…」


 先代から手紙を預かった次の日には栞遠に支度をさせられて、私は迷いながらも必死に瑠華様の元を目指した。

 数日かけて漸く着いた後に瑠華様に事の次第と手紙を手渡すと、瑠華様は苦笑を浮かべて手紙を開いた。


「……ん。まぁ妾としても問題は無いのじゃ。お主の事は心配しておったしのぅ」


「よ、よろしいのですか?」


「構わん。じゃがどうせなら今のお主の力を見せてもらうかの。あれから鍛錬は積んだのじゃろう?」


「は、はいっ。一応尻尾も五本になりましたし、霊術で何とか浮遊くらいは出来るようになりました」


 人の世に溶け込む為隠していた耳と尻尾を出す。後ろで揺らめく五本の尻尾を目を収めた瑠華様が、優しげに目を細めたのを見て心做しか顔が熱くなる感覚がした。


「ふむ。見事なものじゃ。じゃが普段は先程のように隠すようにな」


「はい」


 耳と尻尾を隠すのは難しい事じゃない。ただ窮屈な感覚はするから、何処かで隠れて出したいところだ。それは瑠華様と相談しておこう。


 その後は瑠華様と軽く手合わせをさせて頂いた。まぁ結果は当然私の負け。とはいえ前よりかは動けていると瑠華様に褒められたのは純粋に嬉しかった。

 ……ただ、奏と呼ばれたお方に関してはちょっと苦手かもしれない。悪い人では無いと思うのだけれど……。


「では改めまして。こちらの管理を瑠華様より仰せつかっております、紫乃と申します」


「あっ、えと…稲荷、です」


 瑠華様が案内を任せた紫乃さんに連れられて中に入ると、紫乃さんが丁寧に頭を下げてきたので慌ててこちらからも頭を下げる。うぅ…こういう時どう対応すればいいのか分かんないよぅ……。

 そんな私の内心を見透かしたように、紫乃さんがクスクスと上品に笑う。綺麗な人だなぁ……。


「奏様に関しましては先程の事もあり苦手になってしまわれたかも知れませんが、本当はお優しい方なのでご安心ください」


「そ、そうなんですか…」


「ええ。ただ瑠華様に近付く方には敵意を向けるだけですので」


 ……それ優しいって言えるのかな。


「ではご案内させて頂きますね」


「あっ、はいっ」


 そのまま紫乃さんに案内されたのは階段を上った先の二階。どうやらここが住む部屋になるらしく、私の分の部屋も用意されていた。


「この部屋が稲荷様のお部屋になりますので、ご自由にお使いください」


「い、良いんですか?」


「はい。部屋はまだ余っておりますので」


 お言葉に甘えて一旦部屋に荷物を置いて下に戻る。説明されたキッチンはあんまりよく分からなかった。世の中はこんなにも進んでいるのかと戦慄する。


「後は御手洗と御風呂ですね。御風呂は時間が決まっているので、間違えないようにしてくださいね」


「間違えるとどうなるんですか?」


「夜以外に入るとシャワーだけになりますね。夜は人数の関係で時間が決まっているだけで、間違っても罰則がある訳ではありませんよ。ただ一番最初は小さい子達が優先なので、それは守ってください。瑠華様の邪魔になりますので」


「分かりま…邪魔?」


「小さい子達の御風呂のお世話に関しては瑠華様が担っておりますから」


「瑠華様が、お世話…」


 た、確かに母性溢れるお方ではあるけれど…なんというか、意外な顔だ。


「顔合わせは瑠華様がなさいますから、私の役目としてはここまでですね」


「あ、ありがとうございました」


「いえいえ。何か質問などは御座いますか?」


 質問、かぁ…。


「あの、紫乃さんは一体何者なんです、か?」


「あら。ふふふ…」


 何やら楽しげな笑みを浮かべる紫乃さんに、取り敢えず禁忌の質問では無かったことに安堵する。

 元々会った時から気になっていたのだ。明らかに日本人離れした容姿をしているのに、名前も仕草も言葉遣いも全く違和感が無かったから。


「では私の事について少しお話しましょうか。……実は私は元々、この世界の住人ではありません」


「住人じゃ、ない…?」


「はい。ある時この世界に迷い込み、困り果てていたところを瑠華様に拾って頂きました。その御恩をお返しする為、私はここで働いております」

 

「成程…」


「稲荷様も恐らく私と同じ境遇のお方でしょう。瑠華様は基本感謝を受け付けませんので、こちらから押し付けるくらいが丁度いいですよ」


「押し付けるって……」


「実際私がそうですから。瑠華様からは自由にして良いと言われたので、その通り自由に瑠華様のお世話をさせて頂いているのです」


「わぁ……」


 お淑やかそうに見えて、結構押しが強い人だった……。


「他にはありますか?」


「え? あー…なら、瑠華様と奏さんの関係って…」


「それは私の口からは何とも言えません。ただ、私は奏()とお呼びしています。何時かそう()()()()かもしれないお方ですから」


「なられる…?」


 要領を得ない会話に小首を傾げる。でもこれを聞く限りでは、紫乃さんは誰でも様付けしている訳では無いようだ。


「過ごしていれば自ずとお気付きになるかと」


「そう、ですか」


 まぁ暫くの間は此処に居る事になるのだから、紫乃さんの言葉を信じることにしよう。









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