168話 奏視点
兎も角この新しい学校に入学する事に対して、瑠華ちゃん自身反対意見は無いらしい。というか学校が出来る事自体は知ってたんだね。そっちの方が驚きだよ。
「まぁ風の噂でな。詳しい事は分からぬ故、後で教えてくれるかの?」
「あっ、それなら今聞いて、も…?」
丁度適任もいる事だしと結華さんの方へ視線を向けたのだけれど…当の本人は何故かぷるぷると震えて自身を抱き締めていた。別に寒くは無いはずだけど…。
「ゆ、結華さん…?」
「…その、きょ、今日は帰ろうかなと…」
「え?」
若干震えた声でそう告げると、緩慢な動きで後片付けを始め出した。それを引き止める権利は私達には無いけれど、いきなりの態度の変わりように思わず小首を傾げる。まるで何かから逃げたいみたいだと思ったところで、ふとその対象がもしかして瑠華ちゃんなのではないかと思い至る。
「えーっと…」
とはいえどう尋ねるべきか分からず、手を右往左往させてしまう。まさか馬鹿正直に『瑠華ちゃんから逃げたいんですか?』なんて聞ける訳無いし。
……そっか。こんな時こそ瑠華ちゃんに内心を読んでもらえば!
「……都合の良い使われ方をする為にあるものでは無いのじゃが」
「えへ?」
「はぁ…」
これ見よがしに溜息を吐く瑠華ちゃんだったけれど、その表情に浮かんでいたのは呆れではなくて苦笑だった。
「奏。妾とそちらの女性を見比べて、何か気付く事は無いかえ?」
「見比べ…?」
そう言われて瑠華ちゃんと結華さんの顔を交互に見る。気付く事…そういえば初めて結華さんを見た時、何故か既視感を覚えたっけ。
改めて結華さんを見ると、凄く綺麗な大人の女性って感じが強い。艶のある黒髪に暗めの茶色の瞳。目尻は少し下がっていておっとりとした印象を与えるけれど、しっかりとした芯を持った眼差しをしているのが分かる。んー…?
続けて瑠華ちゃんへと視線を動かす。相変わらずの顔面偏差値は置いといて…瑠華ちゃんもまたタレ目よりの目をしていて、優しいお姉ちゃんって感じがする。……“また”?
「…? …ッ!?」
「その様子だと気付いたようじゃな」
慌てて互いの顔立ちを交互に見始めた私にクスリと瑠華ちゃんが苦笑を零したけれど、今の私にそれを気に留める余裕は無い。
―――似ている。それも互いに似ているのではなく、瑠華ちゃん“が”結華さんに似ているんだ。
「改めて紹介しようかの。こちら、妾の母じゃ」
「……母です……」
そう言って瑠華ちゃんが掌を上に向けて示すと、結華さんがまるで観念したかのような様子で肩を狭めながら頷いた。
「「……エェェェェッ!!?」」
一瞬の思考を挟み、私と紫乃ちゃんの絶叫が【柊】に響き渡った……。
◆ ◆ ◆
「さて。そろそろ落ち着いたかの?」
「……まだちょっと」
瑠華ちゃんが用意した水を飲んで落ち着けようとしても、中々跳ね上がった心臓は収まってくれない。結華さんはというと、帰る準備を諦めて椅子に座り直していた。そしてその隣には瑠華ちゃんが。
「…知ってたの?」
「母の存在についてか? 無論じゃ。そもそもかなり頻繁に此処を覗きに来ておったからのぅ」
「え」
その事実に更に困惑してしまう。いつの間に……。
「まぁ今の奏では見付けるのは困難じゃろうからの。無駄に見付からないよう労力を割いておったようじゃし」
「えぇ……」
なんというか…そういうところはちょっと似ているかもしれないなと思う。ただそうなると……
「……結華さんは瑠華ちゃんを望んで手放した訳じゃないって事ですか…?」
「そんな訳ないじゃない!!」
結華さんが声を荒らげながらバンッ! と勢いよく机を叩いて立ち上がる。思わずビクッと肩を震わせれば、結華さんが「ぁ…ごめんなさい…」と弱々しく謝った。
「…本当に、望んでいた訳では無いの。でも、あの時はそうしないと駄目だった」
「それはなんで…」
「それは…」
私が聞きたいその肝心なところで結華さんは口を噤んでしまう。当然簡単に聞き出していい内容じゃないのは分かってる。でも聞きたい。聞いておきたい。だって…瑠華ちゃんが、此処を離れてしまう理由になるかもしれないから。
「……奏の心配するところも理解出来る。じゃがそれは杞憂でしかないぞ。こうして妾が此処の管理者のような立ち位置にいる事こそ、その証左じゃからのぅ」
「え…?」
瑠華ちゃんが管理者でいる事が……?
「考えた事はないかえ? 幾ら妾が前任者よりも仕事が出来たとしても、まだ子供でしかない妾に此処が任されるなど本来有り得るのかと」
「…確かに?」
瑠華ちゃんは何でも出来る完璧超人だけど、それでも年齢、それも未成年という柵からは逃れられない。小さな施設だとしても、そこの責任者を任せられるなんて本来有り得ない話だ。
「まぁ実際には管理者モドキなのじゃがな」
「瑠華ちゃんは本当の管理者じゃ無いって事?」
「うむ。本来の管理者はそこで縮こまっておる母じゃよ」
「…それは流石に驚きだけど、結局それがどう繋がるの?」
「つまりは妾が此処に居られるよう、母が方々に手を尽くしているという事じゃよ。前任者の解任と自身の推薦、それに平日のパートの者達の雇用や書類申請、運営費の寄付等といった具合にな」
「…ぜんぶばれてた」
「寧ろ気付かんほうがおかしいじゃろうて。それに寄付金に関しては、差出人不明にしてもわざわざ定期的に纏まった額を投函する存在など自ずと導き出されるしのぅ」
「うぅ…」
怒涛の情報解禁に、結華さんが恥ずかしそうに赤らめた顔を手で覆って俯いてしまった。結華さん的にはそこまでバレてないと思ってたんだね……瑠華ちゃんに隠し事は通用しないなんて、私達くらいしか知り得ないし。
「まぁ兎も角、妾が此処を離れる機会は終ぞ訪れんという事じゃ。もしそうなったとしても全力で抵抗するつもりじゃしのぅ」
「瑠華ちゃんの全力とか見たいようで見たくない」
絶ッ対口に出せない事になりそう……。
「あぁもぅっ! お母さんを慰めてっ!」
「おっと…」
とうとう居たたまれなくなったのか、結華さんが隣に座る瑠華ちゃんを抱き寄せて後ろからその肩に顔を埋めた。ちなみに私もたまにやる。一番瑠華ちゃんを強く感じられて安心する体勢なんだよね。
瑠華ちゃんも満更ではない…というか、仕方が無いと言いたげに笑みを浮かべていた。こうして見ると結華さんより大人びて見えちゃうのが不思議。
「…事情に関しては理解しました。しかし瑠華様を手放す事になった理由についてはまだ分かりません」
「! そうだったね。まぁ私としてはもう良いかなって感じもしてるけど」
元々その理由次第で瑠華ちゃんが連れ戻されるかもしれないと思ったから聞きたかっただけで、今となっては無理に聞き出そうとは思えない。
「……私のせいよ」
「結華さんの?」
「ええ。…奏ちゃんは、聞いた事ないかしら。“黒蝶”って」
結華さんから尋ねられ、必死で記憶の中から黒蝶という単語を引っ張り出す。確かに何処かで聞いた覚えはあるけれど…もう喉元まで出かかっているのに、中々出てこない。でもその事に結華さんが気を悪くする様子は無く、「まぁ昔の事だから」と苦笑を零した。
「“黒蝶”っていうのは、もう引退した探索者が持っていた称号…まぁ通り名のようなものね」
「あっ! 思い出した!」
そこまで聞けば流石に思い出す。確か黎明期における探索者の礎を築いた凄腕の探索者…だったかな。滅茶苦茶強かったけど、結婚を機に引退したって聞いた。
「それね、私」
「……へ?」
「証拠もあるわよ? 確か…」
そう言いながら胸元のポケットから取り出したのは、金色の小さなカード。そこには輝くAランクの文字が刻まれていた。
「ね?」
「は、初めて見た…」
Aランクっていうのは本当に数えるくらいしか居ない。だから当然その証明証なんてまずお目にかかれない代物だ。偽物……というのは考えにくい。わざわざそれを用意する利点が思い当たらない。
「今はもう引退した身だけど…やっぱり注目はされるものでね。だから妊娠した時も全力で隠した。でも…」
そこで言葉を切り、結華さんが自らの腕に抱く瑠華ちゃんへと目線を向けた。
「全部は無理だった。人の口に戸は立てられないと言うけれど、あの時ほどその言葉を恨んだ事はないわ」
「………」
「“黒蝶”の子供。それに対する世間の反応を予想するのは簡単だった。…重圧に晒されるのは、私達だけで十分」
「……だから、瑠華ちゃんを」
「ええ。他者が私との関係を結び付けられず、かつそれでいて私の目が届くギリギリの場所。それが此処、【柊】だった。ただ…今でも、その判断が正しかったのかずっと悩んでる」
「妾は間違いだとは言わんよ。実際此処に来て多くの事を学んだ。掛け替えの無い存在にも出会えた。当時母にとってはそれが最善で、妾もそれを受け入れた。なればもう思い悩む必要もなかろうて」
「……恨んでない?」
「ない。断言する。そもそも既にそれには気付いておったじゃろうに」
「……うん。私が此処を認識出来ている時点で、そんな気はしていたわ」
…だから結華さんは此処を見守る事も、今日訪れる事も出来たんだね。瑠華ちゃんがずっと前から結華さんを認め、赦していたから。
「はぁぁ…ほんと、良い娘に育ってくれて良かった…そう思う資格すら、私には無いけれど」
前半の意見については全面的に同意する。性格悪い瑠華ちゃんなんて想像出来ないくらいだもん。……口の悪い瑠華ちゃんもそれはそれでアリ?
「あっ、そうだ…奏ちゃん」
「はいっ!?」
いきなりの名指しで思わず声が上擦る。この話の流れで私に矛先が向くことある?
「私、応援してるから」
「………ハイ……」
ニヤニヤとした笑みで語られたその言葉は、恐らく私の予想する通りの意味だろう。……あれ、これ喜んでいいやつ…? 外堀埋まってない?




