160話 ドラゴンさん、押し付ける
「な、何かが出そうで怖いです…」
「…曲がりなりにも神じゃろ其方」
ビクビクと震えながら瑠華の浴衣の端を掴む稲荷神に、思わず呆れてしまう。例えこの場が不気味な雰囲気を醸し出しているとはいえ、神の一柱たる稲荷神が怯える程のものでは無い。
「ほれ。早速敵じゃ」
「ひぇっ!」
「……」
「みゃっ!?」
瑠華が情けなく自分の後ろに隠れた稲荷神の首根っこを鷲掴み、現れた敵に対して容赦無く投げ飛ばした。鬼である。
「戦えぬという訳ではなかろう。まずはその力、妾に示してみせよ」
「うぅ…」
瑠華からの叱責を受け、漸く腹を括った稲荷神が目の前の敵を見据える。手には鋭い爪と水掻き。そして頭の上には皿を乗せたその姿は、瑠華も聞き及んだ事のある化け物と酷似していて。
「…河童か? 生成された場所に影響を受けておるのかのぅ」
「河童…た、倒さなきゃ駄目ですか…? ほら、バレないように避けて「駄目じゃ」…はい」
それでも何とかして回避しようと足掻いたがにべもなく断られ、ガクッと項垂れつつ頷いた。
「えっと…“月狐”!」
清らかな声で高らかに言葉を紡ぐ。その瞬間稲荷神の手元に光が集まり、程なくしてとある形を成した。それは奏が持つ”無銘“より、少しばかり短い刀。その刀からは僅かな光が零れ、ただの刀では無い事を窺わせた。
「神器の類いか」
「そ、そうです」
瑠華の言葉に端的に答え、鞘から刀を抜き放つ。覗いた刃が月光に照らされ、その綺麗な淡い狐色が宵闇に浮かび上がる。
「ふっ!」
短く息を吐いて体勢を低くした次の瞬間、稲荷神の姿は既に河童の眼前まで迫っていた。
(縮地か。思いの外出来るようじゃのぅ)
すれ違いざまに刀を一閃すれば、その驚異的な斬れ味を見せ付けるかの如く何の抵抗感も感じさせない程軽やかに刃が通る。
腹を一文字に斬られた河童は、斬られたという事に気付く様子も無いままにその姿を消滅させた。
「…見事なものじゃ」
「ふぇっ!?」
ピッと血を払う様に刀を振って鞘に収めた稲荷神に近付くと、ポンッとその頭に手を乗せて労うように撫でる。突然触れられた事で吃驚した様な声を上げた稲荷神だったが、尻尾は正直にユラユラと揺れ動いていた。
「さて、先を急ぐとするかの。基本其方に任せても良さそうじゃしのぅ」
「…瑠華様は手伝って下さらないのですか?」
「生憎着の身着のまま此処に来てしまったからのぅ。武器の類いは置いてきてしまったのじゃよ」
出来る限り急いで向かったので、今の瑠華は旅館の浴衣を着たままの姿だ。だがまぁ瑠華にとって防具など有って無い様な物であり、特に支障は無かった。
「しかし瑠華様に武器など不要なのでは…」
「……まぁ、否定はせぬ。実際武器を使うのならば妾の爪の方が強いしのぅ」
そう言って瑠華が自分の爪を煌めく剛爪へと変化させる。鉄すら容易に切り裂くその爪は、普段瑠華が扱う“明鏡ノ月”よりも遥かに強力な武器だ。
「じゃが人を逸脱したこの姿は、あまり使いたくは無いのじゃ」
「あくまで人として過ごしたい、と?」
「うむ。元よりその為に妾は此処に居るからのぅ」
母より賜った褒美として人間になったのだから、当然その有り様を成すのは義務に近しい。以前ダンジョンで暴れた時はどちらかと言うと人間よりも守護者としての立場を優先したので、それには含まれない。
「という訳で、此度は其方に任せる」
「えぇ…霊術等はお使いにならないのですか?」
「妾が使えばどうなるか分かるじゃろ?」
元々魔法の手加減が怪しくなっている瑠華だ。霊術の類いも同じ状況にあると見ていい。更にそれ対策として作成していた呪符も、入れたポーチごと置いてきてしまったので手元に無い。
(…まぁ、呼ぼうと思えば呼べるのじゃがな)
それでも敢えてそうしないのは、目の前でフルフルと涙目になりながら震える稲荷神の存在が故だ。
「でも、でも…」
「力を試すにも、糧を得るにも、今の状況は絶好の機会じゃろうて。遠慮せずにぶつかると良い」
神などに興味は正直な所無いと言っていい。だが一度関わり、その状況を知ってしまった以上、放置するのは己が信条に反する。なれば出来うる限り手助けをしてやりたいと思うのは、至極当然の流れだった。
瑠華に助力を頼む事を諦めた稲荷神がトボトボとその歩みを再開し、その後ろを瑠華が付いていく。
「構造としては平原型に近しいか…?」
「ずっと続いている様に感じます…」
村らしき場所から少し進めば、風景は森へと移り変わる。天井が限りなく高いという事もあり、恐らくは平原型で間違いないだろうと瑠華はアタリをつけた。
薄暗い森の中を暫く進むと、少し離れた場所に揺らめく光の様なものが見えた。
「な、何でしょう…?」
「河童が出てきたという事は、妖怪の類いやもしれん」
何時襲われてもいいように構えながら慎重に進むと、そこに居たのは独りでに揺らめく炎だった。フワフワと空中に浮かんでいる様子を見るに、これもまた妖怪の類いだろう。
「面妖な奴じゃな」
「んー…遊火でしょうか? こちらに襲い掛かる様子も無いようですし」
遊火と呼ばれたその炎はただそこにあるだけで、瑠華達に危害を加える様子は無い。
「なれば丁度良い。明かりになって貰おうかの」
「へ?」
そう言って瑠華がすいっと指を振るえば、細い細い魔力の糸が遊火と繋がる。その瞬間遊火がピクリと震え、瑠華達の元へと近付いてきた。
「これで良い。しかし意志を持たぬモンスターとは面白いのぅ」
「……普通そんな簡単に使役出来ないと思うんですけど」
「そう難しいものでも無いぞ。意思疎通を行わず、強制的に使役するのであればな。まぁ今回の場合は使役と言うよりも、付き添いを頼んだだけじゃが」
言うなれば散歩紐を付けたようなものだ。なので瑠華が魔力の糸を切れば、その時点で関係は終了する。
「強制的…もしかして私のことも使役出来たり…?」
「出来るぞ? 其方等はその分野において致命的な脆弱性がある故、此奴より簡単やも知れん」
神を使役出来る存在はまず居ない。そんな無意識の油断が神にはあるのだ。だが実際にはそんなもの、瑠華達管理者からすれば赤子の手をひねるよりも簡単に成せてしまう。
瑠華の返答に、稲荷神が顔色を悪くして怯えた様に身体を震わせる。そんなあからさまな変わり様に瑠華が苦笑を浮かべつつ、安心させるように柔らかい声で「案ずるな」と言葉を発した。
「妾達は徒にそのような事はせん。意思ある者を強制的に縛り付け、従属させるのは禁忌に近いのでな」
「そ、それはそうかもしれませんが…」
「ふむ…妾の言葉が信用出来んか?」
「め、滅相もございません! た、ただ…出来てしまうという事を知ってしまったのが…」
瑠華としては怖がらせるつもりはなかったのだが、こうも怯えられてしまっては申し訳なさが押し寄せた。それを払拭する為にゆっくりと近付き、その頭を優しく撫でる。
「ふぇっ」
「少し意地悪が過ぎたのぅ、すまぬ。…遠慮無く話せる存在に会ったのは、久しぶりじゃったからのぅ」
そう言って眉を下げれば、稲荷神がはっと息を飲んだ。
「どうしても耐えられぬとなれば記憶を消す事も出来るが…」
「…いえ、大丈夫、です。もう、平気です」
「そうか?」
「……ただ、もう少しだけ」
小さな声で短く答えると、グリグリと控えめながらも頭を瑠華の掌へと擦り付けた。それはまるで、失くした何かを必死で埋め合わせようとしているかのようで。
「………」
瑠華は何も言わず、ただ優しく微笑みながらその頭をゆっくりと撫で続けた。




