146話 見守る者
ダンジョン協会。それは全世界で同時に発生したダンジョンに対応する為に前身となる組織が発足し、そこから発展した公的機関である。
ただしダンジョン協会とは総称を指すものであり、その有り様や名称は国によって異なっている。あくまでダンジョン協会とは、日本での呼び名だ。
日本のダンジョン協会本部は東京に存在し、支部が各都道府県に配置されている。
ダンジョン協会の主な業務はダンジョンや探索者の管理などだが、それに加えて研究機関としての顔も持っている。
最も研究設備が充実しているのは当然本部であり、普段瑠華達探索者が訪れる場所の地下に研究施設は存在している。
そこではスキルや魔法の検証、ダンジョン資源の活用法、そしてダンジョンのメカニズムの解析などが研究されており、優秀な科学者達が日夜研究に励んでいる。
そんな地下研究施設のとある一室。ある男が机の上に置かれた小瓶を見ながら、頭を悩ませていた。
「たった一つだけしか発見されていない…その上効果を発揮する為に必要な量も不明、か」
透明度の高い青い液体で満たされた小瓶。それはとあるダンジョンの宝箱から発見された魔法薬である。まだ封は切られていないが、男はこの魔法薬の効能をある程度把握していた。
というのもダンジョンの出現により鑑定に関するスキルも当然の様に出現した事で、それを用いれば未開封の魔法薬でもある程度の解析は可能となったのだ。
特に男のスキルは研究者の中でも精度が高く、故にスキルによる解析結果は信憑性が高かった。
……だからこそ、悩んでいるとも言えるのだが。
「はぁぁ…」
「あら、まだ目処は立ちそうにないの?」
悩む男の部屋に若々しい女性の声が響いた。男の専用の部屋に、勝手に入ることを許される存在は多くない。だからこそすぐに誰の声かは見当がついた。
「結華、帰っていたのか」
「はーい、愛すべき妻が帰ってきましたよー」
結華と呼ばれた女性がひらひらと手を振り、おちゃらけた様相で男へと近付く。
「どうだった?」
「駄目ね。その魔法薬が出たっていうダンジョンの隅々まで探索したけど、ぜーんぜん」
当然この魔法薬が発見されたダンジョンは報告されており、結華は男からの依頼で同じポーションをそのダンジョンにて探していた。だが件の魔法薬はおろか、一般的な魔法薬すら発見出来なかった。
結華からの報告に落胆する様子を見せる男だったが、それを予想していなかった訳でも無い。
「で? そっちはどう?」
「見ての通りだ。一つしかない以上、迂闊に開ける事は出来ない。研究解析など簡単には出来そうにないな」
「まぁそうよねぇ」
クルクルと指で自身の得物たるナイフを遊ばせながら、結華がふぅと軽く息を吐く。
「あの子の役に立つかもしれないと思ったんだけど…儘ならないものね」
「そもそも必要なのかという問題はあるが…いっその事聞いた方が早い気が」
「それじゃ意味無いでしょ。何の為に遠ざけたと思ってるの? 私達のせいで振り回したくはないわ」
「…そうだな、すまん。今のところ気付かれた様子は無いんだな?」
「ええ。まさか寄付金を横領していたとは思わなかったけれど…そのお陰で外部の人間は極力排除する事が出来たし、あの子自身も秘匿しているから気付かれる事は無いわ。まぁ最近嗅ぎ回ってる奴らは居るみたいだけれど……まず場所を見付ける事すら困難よ」
「そうか。……恨まれているだろうな」
「そんな訳無いでしょう。恨んでいたのなら、私達は他の有象無象と同じ扱いをされていた筈よ。でも私達はしっかりとあの子を認識出来る。それが何よりの証拠よ。それに…ほら」
結華が取り出したのは一枚の写真。そこに写るのは沢山の子供達に囲まれた一人の少女の姿。苦笑を浮かべつつも、その眼差しはしっかりとカメラのレンズを捉えていた。
「恨んでいるのなら、こちらに気付いていて何もしない筈は無い。そうでしょ?」
「……そうか。そうなら良いんだが……」
「だから頑張ってね研究者さん? 流石に贈り物がお金だけって言うのは、ねぇ…?」
結華の言葉に反論する事が出来ず、男が押し黙る。その様子にクスクスと笑いながら、結華が部屋の出口へと歩き出した。
「じゃあ私は仕事も終えた事だし、ちょっと見に行っちゃおうかしら〜。そのうち全然来ない貴方のことを忘れちゃったりして」
「それは流石に…」
「あらそう? あの子、結構容赦無いわよ? 最近は特に気が立ってるみたいだし、来ない人を覚えておく余裕は無いんじゃないかしら」
「……何故気が立っているんだ?」
「んー…周りを嗅ぎ回る存在が増えたっていうのはあると思うけど……必死で何かを隠そうとしてる感じがするわね」
「何か?」
「うん…多分、あの子の根幹に関わる物だとは思うわ。必死で隠さないといけない、気付かれてはいけない、何か。まぁ全部あの子を見た私の想像でしかないけどね」
「だが結華の直感は良く当たるからな…」
「それが例えどんなものであれ、持てる権限全てを使ってでも護るつもりだけど…そもそもあの子が自重しないのよねぇ…」
そう結華が苦笑を浮かべながら染み染みとした様子で呟けば、それに同意するかのようにして男が頷いた。
「何処まで持つかは分からないわね」
「なら“アレ”を進めておくか?」
「…一応裏で進めてはいるのよ? もう既に人も集めてあるし、八車の方にも話は通してあるし……後は私の覚悟待ちなのよ」
「そうなのか? 寧ろ喜ぶ事だと思っていたが」
「それが問題なのよ。堪えられなくなりそうで……あぁもう無理っ! 行ってくる!」
突然大声を出したかと思えば、バンッと勢い良く扉を開けてあっという間にその姿が見えなくなる。
突然の奇行とも言うべきその様子に一瞬男が呆気に取られ、その後思わずと言った様子で苦笑を浮かべた。
「さて。私ももう一仕事するとするか」
そう呟いてマグカップに残った冷えたコーヒーをグイッと飲み干すと、また研究資料との睨み合いを再開するのだった。




