準備に時間がかかるため 6
「いや、このままって、さすがに無理があるだろ」
放課後だし、体育着に着替えるまでもねえと思って制服のままだけど、足首結んだままだぞ。
そりゃあ、俺たちは徒歩通学だし、通学路に階段なんかがあるわけでもねえ。やろうと思ってできなくはねえと思うが。
「不可能ではないと思いますが」
どうやら、光莉は本気で言っているらしい。
だが。
「やっぱだめだな。このままだと絡まれたときに厄介だろ」
べつに、普通にしてても絡まれれば厄介だが、そうじゃなく。
二人三脚みたいにしたままだと、逃げるのも、戦うにしても、ままならねえからな。
そもそも、絡まれる、ナンパされるって状況が奇特だってことはわかってるが、光莉の話となると、そうも言ってはいられねえ。
なにせ、この短い間で、もう二回も絡まれてる(純粋な回数で言えば、登下校中に限らなければもっと増える)わけだし。それも、少なくとも、俺が知っている範囲での話だ。
光莉がなにか言ってくる前に、俺はさっさとしゃがんで足首のタオルを解く。
「練習したけりゃ、夜にだって付き合ってやるから」
「わかりました……」
なんでちょっと不満そうなんだよ。
あれか? 登下校中の時間を利用するのは良い手だと思ったのに否定されたから拗ねてんのか?
「詩信くんは朝は走り込みをしていますし、放課後は道場に通っていますよね。それで夜は私と護身術と勉強を。なかなか空き時間を見つけるというのも難しいでしょうし、有効活用したかっただけです」
登下校に徒歩を選んでいる以上、たしかに、練習時間と言えなくもねえけど。
「まあ、大丈夫だろ。騎馬戦だって騎馬組んだまま帰宅できるわけじゃねえんだし」
俺と光莉の環境が特殊なだけで、普通は、帰宅方向とかもバラバラだからな。部活や委員会なんかがあれば、時間も。
「それに、そんなに心配しなくても、俺と光莉なら勝てるだろ」
これから先の練習次第じゃわからねえけど、今日の練習をやってた感じと、周りの様子を見てた感じじゃあ、多分、俺たちが一番息が合ってた。
油断してるわけじゃなく、傲慢に思ってるってことでもねえけど。
「だいたい、男女のペアなんて、普通は即席だろ。そりゃあ、普段から気が合うやつとか、よく遊ぶとかってんで調子の良いやつらはいるだろうけど、俺たち以上に同じ時間を過ごしてるってのは考えられねえからな」
同棲してるやつらがいるって話は、聞いたこともねえ。それなら絶対、噂になるはずだけど。
俺も光莉も噂なんかには全然興味もねえけど、健太郎とか、香澄とかは、知ったら絶対話しにくるだろうし。
まあ、実際に同じ家に住んでる俺と光莉のことが噂にもなってねえ現状じゃあ、説得力とかはねえけどな。
「……それはそうですね」
なにか引っかかってるっぽかったが、結局、光莉がそれを俺に言ってくることはなかった。
「ところで、詩信くん。文化祭のアンケートはちゃんと書いて出したんですか?」
「光莉の言ってるちゃんとってのがどういうことかはわからねえけど、出すことは出したぞ」
おそらく、休憩所の件に関して言ってるんだろうが、べつにいいだろ、なんでも。
「そもそも、あれはただのアンケートだろ。事前にある程度、委員会側で把握しときてえってだけで。そうすれば、まあ、危険そうなこととかはあらかじめはじいておけるしな」
クラスでやることを決定するのは多分、委員長(実際には長ではないだろうけど)の言ってた締め切りから考えるに、六月の二週目ってところだろう。
オーディションやらをやるってことを考えてもそのくらいが妥当だ。そうじゃねえなら、アンケートなんて、二学期に入ってからでも十分に間に合うはずだからな。
「だいたい、光莉と同じような考えのやつらが多いってんなら、採用されねえはずだしな」
アンケート採るくらいだからっつうか、普通は多数決とかで決めんだろ。
「まあ、どうしてもって言うんなら、俺の分も光莉が書いて出しといてくれ」
光莉もとくにやりたいことがあるわけじゃねえみたいには言ってたけど、それならそれで、香澄とか、他の女子たちと話し込んで決めたりするんだろ? 知らねえけど。
だったら、とくに希望があるわけじゃねえ俺の分の票も入れたほうが得だって話だ。
まあ、いまさらな話ではあるけど。
「なにを言っているんですか。そんなことできるはずありません。もしかして、詩信くんは選挙も他の人が代わりに行ってきてくれればいいなんて考えていたりはしませんよね?」
「選挙の話だって言うんなら、俺の投票先はなんだって勝手だろ」
べつに、休憩所に決まる確率がそんなに高くねえだろうからって、決まったものに対して、自分の希望とは違うからなとかってやる気を出さねえってつもりでもねえよ。
それに、もし休憩所で決まるようなら、ほかにもそう希望したやつが多かったってことだからな。
まあ、休憩所でやる気もなにもねえだろうけど。
「ああ言えばこう言いますね、詩信くん」
「実際、とくにやりたいことはねえってのが本音だしな」
誰もかれも、文化祭を楽しみにしてるってわけじゃねえ。
まったく楽しみじゃねえとは言わねえけど、好きか嫌いかの二極化できる話じゃなく、その間には、どうでもいいとか、特別興味があるわけでも、ないわけでもねえって言ってるやつもいるってだけの話だ。
それを、枯れてるとか、冷めてるとかとは言うのかもしれねえけど、誰にだって、なんにだって、それはある。
「そういう光莉はなにか楽しみにしてることがあんのか?」
「なにかと言いますか、特別ななにかにこだわりがあるわけではありませんが、文化祭という行事自体は楽しみだと思っています」
そういうもんか。
学校行事の中じゃあ目立つって言ったらあれだけど、花形ではあるみたいだしな。
体育祭、文化祭、修学旅行、定期試験。
「定期試験をその並びに挙げるのは違うと思います。それとも、詩信くんの中では、体育祭や文化祭、修学旅行というのは、定期試験と同じ位置づけなんですか?」
「面倒って意味じゃあ、どれも一緒だな」
まあ、どれが一番面倒かってのはあるだろうけど。
そう答えると、光莉にはなぜか溜息をつかれた。
「いや、光莉だってそんなに楽しみにしてるようなタイプじゃねえだろ?」
「いえ。私は楽しみにしていますよ、それなりに」
なぜか、俺を見て笑みを浮かべる光莉。
なにがそんなに楽しみなんだか。
「去年まではそんなことを気にしている余裕はありませんでしたから」
去年は受験だっただろうが、までは、なんて言い方からすると、べつに去年に限った話をしてるわけでもなさそうだな。
家庭の事情にあんまり深く踏み込むつもりはねえけど、すくなくとも、今の光莉には学校行事を楽しみにするって感覚があるらしいってのは、うちでの暮らしにそれなりに余裕を持ててるってことなんだろう。
夏休み、その祖父母のところに挨拶に行くってときには、もうすこし、心を開いてくれていたりはするんだろうか。
「詩信くんになら、いえ、彩希さんにでも、話してもかまいませんけれど」
「……前にも言ったろ。無理やり聞き出そうとかってつもりはねえよ。立て続けに厄介ごとに巻き込まれて不安定になってんのかもしれねえけど、焦らなくたって、少なくともあと二年半くらいはうちにいるんだろ?」
高校に通ってる間はな。
その間でもいいし、話したくないならどうしても聞き出そうなんて思っちゃいねえから。
「詩信くんは女性の過去が気にならない人なんですね」
茶化すだけの余裕があるなら、大丈夫そうだな。




