準備に時間がかかるため 5
男女での二人三脚の練習ともなれば、大抵は照れがあったり、まあ、高校生であっても多少は緊張したりはするものだろうが、俺がいまさら光莉との二人三脚程度で緊張したりすることはねえ。
密着って意味なら、毎日光莉に武術の手ほどきをするときにだって、遭遇する場面だからな。
とはいえ、放課後にはグラウンドの使用されてねえ場所とかで、他の――たとえば、リレーのバトンパスとか、騎馬戦の騎馬を組むのだとか、三年の組体操だとか――体育祭の練習組に混ざるように、二人三脚の練習もされている。
当然、ペアはどこも男女ペアだ。全員が同じ条件であれば、特定の相手を冷やかそうだとかってやつもいねえ。
たとえば、サッカー部やら野球部やらはグラウンドで部活に励んでいるようだが、当たり前だろうが、こっちに注意を払うようなやつはいなかった。
俺たちの場合は家でも練習はできるけど、どこでやっても同じだしな。
「詩信くんは大丈夫ですか?」
光莉がなにを聞いてきてるのかってことは、すぐにわかる。
「問題ねえよ。師匠には一応、話は通しているからな」
普段、俺は放課後道場に通い、武術の修行をつけてもらっているわけだが、その時間で体育祭――光莉との二人三脚の練習をするとなると、まあ、時間を早朝にずらすとまではゆかずとも、多少は後にずらしてもらう必要が出てきている。
けど、それは、言っても仕方のねえことだ。俺の身体が二つあって、同時に実行できるとかってんならまだしも、俺の身体は一つしかねえからな。
部活みてえに、二時間も、三時間も練習しようってんじゃねえ。せいぜい、三十分が良いところだろう。
その分は、夜に、俺が道場から帰ってきて、夕食やら、勉強やらを済ませてからでも補填できる。
「それに、時間を消費してるってんなら、光莉だって同じことだろ」
当たり前だが、二人三脚は一人じゃ練習できねえからな。
「光莉のほうこそ、用事があるならそっちを優先していいんだぞ。多分、俺たちの練習時間はほかの組より長えからな」
一緒に住んでることのアドバンテージだが、言ってしまえば、所詮は体育祭の中の一競技でしかねえ。
だからって手を抜くとは言わねえけど、他の勉強やらを優先したいなら。
「私が普段放課後にとくに用事などないということは、詩信くんも知っているはずですけど」
「まあな」
俺だって、高校に入ってから放課後に友人と過ごした記憶はねえ。そりゃあ、健太郎とは道場で顔を合わせたりはするけどな。
けど、高校に入れば、普通は部活や勉強は中学までと比べてさらに忙しくなり、通学にかかる時間だって長くなるのが普通だ。ほとんど変わらなかった俺や健太郎、香澄なんかが、そういう意味じゃあ、普通じゃなかったってだけだ。単純に、そういう場所――近くの高校を選んだってだけのことだが。
体育祭が終わればすぐに期末テストもあるが、そちらに関しても、光莉との勉強で見てもらって、一応は赤点は取らねえだろうとは思っている。
光莉は母さんを手伝って夕食の準備をしてもいるが、それも母さんが帰ってきてからのことだろう。俺はその間道場にいるから、実際にその場面に立ち会うことはねえけど。
「それに、どうせ出るからには、一位がとりたいじゃないですか。詩信くんはそうは思いませんか?」
光莉がそんな風に思ってるってのは意外だったが、やるからには勝つってのはわかることだ。
「意外でしょうか?」
「あんまり勝ち負けにこだわるような性格とは思ってねえよ」
まあ、あんな事件に巻き込まれた後に、俺に護身術の手ほどきを頼んでくるくらいには負けず嫌いなのかもとは思ってるけど、あれは状況が特殊すぎるからな。
「勝ち負けというより、詩信くんとだから、頑張りたいんですよ」
そう口にしてから、光莉は慌てたように。
「えっと、その、詩信くんとは一緒に住んでいるじゃないですか。体育祭は学校行事の一つと言ってしまえばそのとおりですけれど、やっぱり、負けるよりは勝ったほうが気持ちがいいと思いますから」
体育祭での勝ち負けを家に帰るまでに引きずるとは思わねえけど、たしかに、練習もしねえで負けるってのは、なんか言い訳しようとしてるみたいでだせえなとは思う。
あれだな。テスト前に、勉強してねえわー、なんて言ってるやつを見てる感覚だ。
そりゃあ、習熟度に差が出るのは仕方ねえっつうか、どうしようもねえことだけど、わざわざそんな風に悪ぶってみせる必要もねえとは思う。
「それに、詩信くんが相手ですから、気にする必要もありませんし」
まあ、女子はな。
さすがに俺だって、そのくらいは察する。つうか、察するとかって以前の問題だ。
それはそれで、男としてはまったく意識されてねえってことなのかって思わねえでもねえけど、そんなことは前からわかってることだしな。光莉がとくに躊躇もなく――かどうかは知らねえけど――風呂場に侵入してきたときから。
あれに比べりゃあ、二人三脚くらいどうってことねえと思うのも当然だろう。
そんな風に考えていたら、光莉からはジトっとした視線が注がれていた。
「なんだか、誤解されているような気がしますが」
「俺にはなんのことだかわからねえな」
光莉が察したことはわかったが、俺はとぼけた。
まあ、察したからといって、なにかが変わるってことも――。
「私はきちんと詩信くんが男の子だということはわかっていますからね」
とぼけた意味はなかった。
しかし、それならそれで、光莉には言っておかなくちゃならねえことができたってことでもある。
「それなら、そっちのほうが問題じゃねえのか?」
まさか、過去にも似たような状況があった、つまり、この前のことが初めてじゃあなかったって光莉が、男に対してまったく警戒してえねえってのはどうかと思うぞ。
「……詩信くんが異性であることは間違いありませんが、家族でいてくれるということも本当ですから」
家族として大切に思っているなら、手を出したりはしねえってことか?
まあ、そもそも、前に健太郎とかには言ったこともあったけど、一緒に暮らしてる光莉に手を出すような真似をするつもりはねえ。同じ家に暮らしてるってのに、雰囲気をぶち壊すようなことをするってのは、自殺行為にも等しいからな。
「まあ、その家族という扱いが、どうやら妹だと思っているらしいということに関しては、私も言いたいことはありますけど」
「俺のほうが誕生日は先だからな。年子だって、兄弟姉妹って感覚はあるんだろ? 実際に年子がいるわけじゃねえから――今は光莉がいるけど――本当のところはわからねえけど」
兄弟姉妹の順番ってのは、純粋に生まれた日付だけで決まるもんだ。
どっちのほうが運動神経が良いとか、学校の成績が良いとか、習い事を上手にこなすとかってのは関係ねえ。
「……そういうことではありません」
しかし、光莉は頬をわずかに膨らませて。
「ですが、想定内ですから問題はありません。体育祭では、私たちの相性が一番良いということを証明してみせましょう」
「誰に証明するのかはわからねえけど、勝負だし、勝つってのは賛成だ」
この前の告白のことを言ってんのか?
ようするに、虫除けにしようってことか?
そりゃあ、姉貴にも似たようなことは言われてるし、その役割自体は引き受けるのに否はねえけど、俺に務まるのかってのはわからねえ。
「では、今日はこのまま帰宅しましょうか」
道場に間に合うよう帰るため、着替えに戻る前に光莉がそんなことを言ったのには驚かされたが。




