準備に時間がかかるため 4
俺たちは陸上部じゃねえ。千五百メートル走は、一応、体力測定の種目的には、長距離走に分類されてるとはいえ、平坦なトラックを周回するだけの種目を練習する必要はねえ。
スタートだってスタンディングだし、タイミングったって、コンマ数秒まで計測することもねえ。だから、練習するべきなのは二人三脚のほうだった。
放課後、俺は道場へ行くし、帰ってきても夕食やら、課題やら、やることはいろいろあるが、それで練習する時間がないとは言えねえのは、環境としては恵まれてるのかもしれねえ。もっとも、だからこそ、俺たちがこうして二人三脚の選手に収まってるってわけだが。
「詩信くん」
夕食やら課題やらを終わらせて、普段なら、後は風呂入って寝るだけだったところで光莉に声を掛けられる。
「その、二人三脚の練習をしませんか?」
本番で使うハチマキはねえけど、タオルなんかでも代わりにはなる。
百メートル走とかだと、陸上の連中には悪いと思うけど、なにを練習するんだってことになるが、二人三脚は二人で息を合わせることが必要だからな。
本番でもたつきたくはねえし。
「そうだな。やるか」
母さんに一言だけ断り、細長いタオルを一本持って、二人で外に出る。そんなに長い時間やるつもりじゃねえし、私服のままだ。
「出すのは外側の足からでいいよな?」
足首にタオルを結びながら確認する。
「そうですね。それから、足を出すのに掛け声を揃えましょう。そのほうがタイミングを取りやすいと思いますから」
夜だし、大きくは出せねえけど、大分密着してるし、小さくても声は届く。
光莉の右足と俺の左足――内側の足から出し始めて、一、二、の掛け声を繰り返し、前へ進む。
最初から早くなんてできねえし、徒歩からだ。結んでるのがタオルだし、早くすると解けるだろうってのもある。できるようになったら、もうすこし、べつの、たとえば引き抜いた靴紐とかに変える必要があるか。鉢巻は本番まで配られねえっぽいからな。
歩幅の調整は、光莉に合わせる。もともと、光莉のほうが狭いわけだし、俺に合わせてたら確実にこける。
けど、そんなことを意識するまでもなく、俺たちの歩調はなんとなく合っている。
健太郎も言ってたが、普段から一緒に登校していることで、歩幅というか、相手に合わせて歩くってのが自然になっていたからだろう。もちろん、それは、俺と光莉だから――毎日一緒に登校している間柄だからこそ――成し得たわけだが。
伊達に、二か月も一緒に過ごしてはいねえ。
加えて、自分で言うのもあれだが、俺も光莉も運動神経は悪くねえ。リズムを掴むのも早かった。
たとえば、武術には間を測るって考え方があるが、それに近いからかもしれねえか。光莉はそもそも、うちに順応するのも早かったくらい――家出ってのもしでかしたが――順応力は高え。今は二人で武術――護身術の特訓もしてるしな。
「最初にしちゃあ、まあまあだな」
「私もそう思います。油断はできませんけれど」
光莉は真面目に付け加えたが、感触としちゃあ、悪くはねえな。他のペアの様子と比較できるわけじゃねえし、これが普通なのかもしれねえけど。
「いまさらだけど、光莉は二人三脚に出るんで良かったのか? ほかに、騎馬戦とか、体育祭っぽい競技もあるし、そっちに出たかったとかってことはなかったか?」
べつに、二人三脚が体育祭っぽくねえって言ってるわけじゃなく。つうか、ほかに二人三脚なんてやることもねえし、授業でもやらねんだから、ある意味、短距離走とか長距離走よりは体育祭っぽいとも言える。
ようするに、健太郎に勝手に決められて断れなかったってだけなんじゃねえのか? ってことだ。
それなら、体育祭は祭りってついてるくらいだし、楽しめるよう、代わってもらうってのもありだと思うが。
いや、光莉以外の女子とこれだけ合わせられるとは思わねえけど。俺が相手だって前提なら、自分で言うのもあれだが、他には、香澄くらいか? ほかの女子を知ってるわけじゃねえけど、この場合、だからこそとも言える。
しかし、光莉はきょとんとした様子で。
「藤原くんが勝手に……? あっ、いえ、そうですね。ですが、私は競技に関してこだわりがあるわけではありませんし、藤原くんが私たちを推した理由は察せられましたから」
健太郎は俺と光莉が同居していることを知っている。
なら、クラスの中じゃあ、俺たちが一番、練習時間の確保に問題がねえってことはわかっていたはずだ。あとは、それなりには気を合わせられるってこともな。
とはいえ。
「今の間はなんだよ」
まるで、健太郎が推薦した、本当の理由を知ってる風な様子だったが……。いや、そもそも、今の言い方からして、もしかして、健太郎が勝手に書いたってことじゃねえのか? なら、なぜ嘘をついたってことになるが……まあ、所詮は体育祭の種目ではあるけど。
しかし、光莉は答えたくねえらしく。
「こういうところだけ無駄に気がつかなくていいんですよ、詩信くん」
笑顔で躱された。
無駄ってなんだ。つうか、普段、必要なところで気がついてねえみたい風に言うんじゃねえよ。気になるだろうが。
しかし、無駄に気がつかなくていいってのは、つまり、俺はなんらかの核心には触れてるってことでもあるわけだが。
「――いや、なんだよ。マジで俺がなにに気がついてねえってんだ」
「それは――」
言いかけて光莉は、はたと、納得いかない様子でパタパタと仰いでから。
「今は言いたくありません」
「はあ?」
なんだ、そりゃ。体育祭に関して、その競技の練習をしているときに言わずに、ほかにいつ適切なタイミングがあるってんだ。
いや、普段ってことなら、体育祭は関係ねえってことなのか?
「と、とにかく、二人三脚には必要のない情報ですから。ええ、まったく。それに、すでに決まっていることです。ここで文句を言っていても仕方ありませんし、その分、練習にエネルギーを回すほうが建設的です」
光莉は紅い顔で、早口気味にそう言った。なんか、言い訳じみてんな。
それはそのとおりだろうが、関係ねえなら、なぜ照れる。その様子じゃあ、突っ込んで聞くと練習にならなくなりそうだから、あえて聞かねえけど。
光莉がそれで納得してるってんなら、問題ねえし。俺は、今までもとくに知ってたわけでも、気にしてたわけでもねえから、どうでもいい。
「……もしかして、詩信くんは私と一緒に二人三脚に出るのはお嫌でしたか?」
光莉がおそるおそるといった感じで尋ねてきたので。
「いや、そんなことねえよ。だいたい、それだったら引き受けてねえしな」
小学生、中学生だったらまだしも、いまさら、女子と一緒に二人三脚に出て冷やかされるのは勘弁とかって歳でもねえし、なんなら、二人三脚どころじゃねえ状況にも陥ったことはある……いや、それどころか、現在進行形で同居って事態に陥ってるわけだし。
誤解ねえように言っとくけど、同居に関して、なにか納得いってねえところがあるってことじゃあねえからな。
それに、光莉相手なら役得ってところもある。
「詩信くん……? どうかしましたか?」
「い、いや、なんでもねえよ」
思考が妙な方向にずれていきそうになって、慌てて修正する。
これじゃあ、俺が痴漢みてえだな。意識を切り替えねえと。
「詩信くん、光莉ちゃん。もう遅いから、入ってきなさい」
それから、何本かこなしたところで、のんびりした調子で母さんから声を掛けられる。
夏直前とはいえ、まだ暖かいとは言えねえ。そろそろ切り上げねえと、風邪ひくかもしれねえな。




