三宮千明への訪問 4
◇ ◇ ◇
そもそも、約束を取り付けられたことすら信じられねえ話ではあるけど、現実として俺たちは天を突くような巨大な建物の前に来ていた。
今日、会社見学という名目で顔を合わせられる、三宮千明氏の経営している会社のうちのひとつらしく、今日はここへ出社しているということだった。
そもそも、複数の会社を経営しているって状況がすでに想像の埒外なわけだが、そもそも社長クラス(あるいは、代表取締役とか、会長とかって括りなのかもしれねえけど)というのが雲の上なわけで。
「行きますよ、詩信くん」
光莉に声をかけられなけりゃあ、いつまでもそうして馬鹿みてえに立ち尽くしてたかもしれねえ。
面会できる時間は決まっているし、約束の時間にしっかり間に合うように出てきたわけだから、のんびりしている余裕はねえ。
「ああ」
休日であるにもかかわらず、人の絶えねえエントランスから、受付へ向かう。
祝日とはいえ、普通に仕事はあるらしい。そりゃそうか。定休日とか、休館日みたいなのが決まってる施設もあるけど、それじゃあ、立ち行かねえ、関係ねえって仕事も多いだろうからな。
当然、俺たちの格好は制服だが、今日はきちんとネクタイとリボンまでつけている。
とはいえ、周りがスーツだらけの場所で浮いてねえか? と内心じゃあわずかに臆する気持ちもあった俺の隣で、光莉の態度は堂々としたもんで、いつもと変わらねえ調子だったおかげで、俺もいくらか平静を取り戻す。
こんなことじゃあ、師匠に笑われるからな。
「すみません。本日、お約束をいただいている、星海高校の神岡と申しますけれども」
受付で光莉――とそれに続いて俺――が学生証を提示して名前と要件を告げれば、担当の女性(そこにいたのは二人だったけど、その二人ともすげえ美人だった)の一人が、少々お待ちください、とどこかへ電話をかける。
なにか変なことをしているつもりはねえ。けど、手には変な汗が滲み、制服の裾で拭った。
「詩信くん。なにをしに来たのかわかっていますよね」
「当り前だろ」
急になんだ? と問い返せば、光莉は少しだけ睨んできてから、なんでもありません、と顔を背けた。
マジでなんだったんだ、今のは。
「神岡光莉様、榛名詩信様ですね。確認が取れましたので、ご案内いたします」
それから、何階だか数える気もならねえくらい、エレベーターに乗ったわけだが、光っていたパネルの表示する階数ほどに時間が経過したわけでもなく、おそらくは、一分もかかってねえくらいの時間で、目的の階へとたどり着いたようだ。それが珍しいのか、よくあることなのかはわからねえけど、途中での乗り降りもなかったしな。
「こちらでお待ちください」
案内してくれた女性が一礼して出て行くと、沈み込みそうになるソファに腰を下ろすのは、正直かなり気がひけたが、茶まで出されてしまっては立ち続けるってのも変だろうか、なんてことを考える。
ほぼ時間どおりに来社したとはいえ、その時間でも待たせることになにか――いや、まあ、訪問した相手に対するものとして当たり前以前のことではあると思うんだが。
俺たちはほとんど同時に紙コップに口をつけ、それから一分もしねえうちに、扉がノックされた。
「私が仕事でここを離れられないため、遠いところまで御足労をおかけして申し訳ない」
明らかに雰囲気のある、しっかりとした身だしの男性にかしこまられると、こっちのほうが恐縮させられる。
道場では、技だけじゃねえ、礼儀作法なんかも鍛えられるが、続けてきていてよかったと心から思った。おかげで、なんとか、変じゃねえって程度には挨拶をすることもできたと思う。
「それで、今日はここの見学じゃなく、私に聞きたいことがあって来たのだとか」
三宮千明氏の視線が俺と光莉とを交互に移り。
「きみたちは星海高校の生徒だということだが、私の息子もその高校に通っていてね。三年生だから学年は違うが」
「その、三宮花菱先輩のことで、本日はお話しに上がりました」
光莉が真っ直ぐに三宮千明氏を見据える。
「ほう」
その三宮千明氏は、面白いものを見るように目をわずかに細めた。
「ご子息のことで、このようなことを申し上げるのは大変に心苦しくはあります。私も自身の力のみで対応できればよかったのですが、友人まで巻き込まれては黙ってもいられませんでしたので、このように不躾な訪問になってしまったこと、ご容赦ください」
「自分のためではなく、誰かのために熱くなれる気質というのは素晴らしいところだ。きみは随分と魅力的な、そして、素敵なご友人を持っているようだね」
俺はほとんど言葉を発することなく、光莉と三宮千明氏だけで、話しは進んでいく。
たしかに楽なもんだったが、これだと、俺は女子に面倒事を押し付けてるだけのくそ野郎だと思われるんじゃねえか?
多分、今後関りになることはねえ相手とはいえ、そういう評価を受けたいとは思わねえ。べつに、外面を気にしてってわけじゃあないんだが、個人的な問題で、大したことのねえやつだと思われたいとは思ってねえ。
「愚息が迷惑をかけたようで、申し訳ない」
ほとんどストレートに用件だけを告げていたおかげか、二人の会話はすぐに済み、三宮千明氏は机を挟んで、俺と光莉に深く頭を下げた。
「そのように頭を下げたりはなされないでください。決して、謝罪を受け入れるつもりがないというわけではありませんが、本当に、ただ話をさせていただきたかっただけですから」
「それはつまり、私に話をつけに来なくては状況が好転しないと、つまり、花菱には見切りをつけたということなのだろう?」
光莉は謝罪を断ったが、もちろん、そんなことだけで済むはずはねえ。
そもそも、話し合いだけで済むってんなら、学校で呼び出してもらい、教師側に仲介に立ってもらえばいい話だからだ。ここまで来たこと自体、俺たちだけではこれ以上は手が打てねえって明かしたようなもんだ。
「これは、私の怠慢だね。なんのかんのと、息子と話す時間があまり取れてはいなかった。もっと早く気づくことも、窘めることもできただろうが」
三宮千明氏は、しばらく考え込むように黙り込んで。
「息子には正式に謝罪をさせよう。それから私のほうで息子に、言ってしまえば監視だね、側に仕える人間も用意しよう。すぐに誠意を示すことのできることはそれくらいだが、きみたちのほうから、私にでも、それから、息子にでも、望むことはあるだろうか?」
見据えられた光莉は、いいえ、と首を横に振り。
「私個人としてはとくにありません。ただ、私の大切な人たちを巻き込んでほしくないというだけです」
「そうか」
それから、顔が俺へと向けられ。
「ここには私たちしかいない。砕けた調子でかまわないから、本音をぶつけてほしい。ここにはビジネスとしているのではなく、あの子の、一人の親としているわけだからね」
社交の場で言われる無礼講が言葉どおりのものじゃねえってことくらいは、俺にもわかっている。
だが、ここは。
「これは、べつに三宮先輩に話してほしいってことじゃないんですけど、男なら真っ直ぐぶつかってこい、それから、好きになったとか、少しでも気になる相手だってんなら、相手の気持ちを考えて、迷惑かけてんじゃねえってだけです。機会があれば俺から直接言うんで、わざわざ伝えてもらう必要はありません」
「きみは、熱いが、なかなかにひどい男だねえ」
ひどい男などと言いながら、俺の感覚が間違ってなけりゃあ、三宮千明氏は楽しんでいるような感じだった。




