女の買い物は長いもの 4
翌日、両親から、高校入学の祝いも兼ねて、スマホを買ってもらえることになった。
仕事で必要だからという両親はもちろん、姉貴も高校入学の時点で買ってもらっている。姉弟だから仕方ないところはあるが、姉貴からは四年遅れだ。まあ、中学までも絶対に必要だと思ったようなことはねえから、そこまで必要だとも思わねえけど。
現代人的には、生活必需品扱いのスマホだが、持っていなくて困ったことはねえからな。持ったら持ったで、おそらくは圧倒的に便利だろうから、手放せなくなる類の代物だと思うが、それはそれで、期待と恐ろしさがある。
家に帰り、初期設定とwi-fiとやらの登録を済ませ、家族のアドレスを交換する。
「光莉ちゃんにもちゃんと聞いておきなさいよ」
姉貴が光莉と連絡先を交換していることは知っている、というより、さっきスマホを買いに行ったときに知った。
まあ、そのときにも少し驚いたわけだが。
「……スマホとか持ってたんだな」
「なんのことですか?」
わずかに首を傾げる光莉に、なんでもねえ、と返す。
なんとなく、スマホも持ってねえんじゃねえかと思っていた。スマホがあるなら、雨宿りなんてして待たなくても、どうせ知っているんだろう、母さんのスマホに連絡をすれば迎えに来てもらえたはずだが。そっちのほうが、結局、心配も少なかっただろうし。
「これはお、祖父母が心配だからと持たせてくれました」
しかし、口にしなかった俺の言葉を汲み上げるように、光莉がそう理由を語る。
心配だから、祖父母が、ねえ。それもやっぱり、両親じゃねえんだな。
「……そうか」
気にならないと言えば嘘になるが、まだ、そこまで踏み込んでいいことなのかどうかわからねえ。
家族の問題なんて、一番デリケートな部分だろうしな。
このためだけに午前中の仕事を休んだらしい母さんは、家に帰るなり後はよろしくねと言い残し、仕事へ向かった。
そんなに急がなくても、休みのときで良かったんだが……まあ、次の休みを待ってると、学校も始まっていたからな。その前に入手できたのは、僥倖といえば僥倖か。
「詩信くんは今日も道場ですか?」
「ああ、そりゃあな」
基本的には毎日……土日は休みのときもあるが、通っている。
毎日走ってはいるけど、それはそれとして、続けることに意味があるようなものだからな。
「だから、もうすぐ、ちっとばかし俺は、つうか、誰もいなくなるけど、気にしないで普通にしててくれればいいから……ってのも難しいか?」
姉貴も今日は夕方過ぎまで帰ってこねし、俺も大体同じくらいまで帰らねえ。
両親は仕事だし、俺も姉貴もいない家に光莉一人残しとくってのも、逆の立場で考えれば、かなり居心地が悪いだろうってことは理解できる。
「とりあえず、連絡先交換しとくか」
昨日はたまたま近くにいたから良かったけど、少し離れても問題なくなるだろうし。
べつに、光莉が誰にナンパされようが構わな……いや、多分、姉貴に怒られるだろうから、気にしといたほうがいいか。
「はい」
光莉と連絡先の交換を済ませ。
「あー……うちにいても仕方ねえってんなら、一緒に来るか? 面白いもんじゃねえけど」
道場に通ってくる女子がいないわけじゃねえ。
試合は一応、男女分かれてってことでやることが多いが、乱取りで相手が女子にならないってわけじゃねえからな。
俺が習ってるのは、空手だとか、柔道だとか、そんな有名っつうか、一般的っつうか、名前がついているような、たとえばオリンピック種目だとか、体育の教科書に載るような競技じゃなく、しいていうなら、我流ってところだからな。師匠もそういう称号には興味がねえ人だし。
もちろん、流れは汲んでいる武術だとは思うが。
「もちろん、やりたいことがあるならそっちを優先してくれ」
たとえばうちの間取り――そんな広いもんじゃねえけど――を確認しときたいだとか、周辺地理をもうすこし見て回っておきたいだとかな。
むしろ、ついて来られると、道場の連中にそれなりに騒がれそうでな。
光莉と一緒にいることが嫌だとか、冷やかされると困るだとか、そういうことじゃねえ(そもそも、そんな関係じゃねえわけだ)けど、わかりきっている冷やかしを甘受したくはねえ。
「……わかりました。私はここで詩信くんたちのお帰りをお待ちしていますね」
俺のそんな葛藤――ってほどでもねえけど、なにやら察したらしく、光莉は自宅で待機していることを選んだようだ。
まあ、中学時代の友人と気軽に会えるような距離じゃねえんだろうなってのはわかる。そもそも、ほとんど一緒の持ち上がりだった小学校から中学校へのときはともかく、高校で進路がばらけると、なんとなく、連絡取りにくくなるんだよな。連絡網があったから、一応、自宅の連絡先はわかるけど。
しかし、月曜から土曜までは一応、学校もあるからいいとして、それでも、俺も放課後には道場があるし、姉貴は大学、父さんと母さんは仕事だ。
「光莉は高校で部活入るつもりか?」
俺は中学時代も道場通いがあったために、部活はやっていなかった。
光莉がどうだったのかはわからねえけど、うちから高校までは距離も近く、通学に時間がかかるということもねえ。
もし、帰宅部だってんなら、暇を持て余すことになるだろうが。
「いえ。部活には多分、入らないと思います」
光莉はそれから少しだけ考え込んで、すぐに思い至ったらしく。
「それほど心配していただかなくても大丈夫ですよ」
「まあ、そうだよな」
保育園、小学生ならともかく、高校生にもなって、一人の留守番が寂しいってこともねえだろう。
それとも、師匠に話して、放課後じゃなく、早朝の鍛練に変えてもらうか? いや、鍛練の後に学校で授業とか、確実に寝る。
精神力を鍛える修行にはなるかもしれねえが……。
いっそ光莉も……俺がなにか言うと、半強制みたいになるか。自分でやりたいって想いが無けりゃ、意味ねえからな。
「どうかしましたか?」
「なんでもねえよ」
光莉も道場に通わねえかと誘おうとして、止めておいた。
あと、なんか、光莉は誘っても、通うこと自体は断りそうだったし。
しかし、学校に道場か。こいつはどう考えてんだろうな?
「なあ、おまえは俺のことどう思ってる?」
同級生の男子と一緒に住んでいることが発覚するって事態は、あまり好ましくないんじゃねえかってくらいは俺でも察せられる。
光莉は、一般的には美少女だろうし、なにより、その容姿から初日から人目を惹くだろうからな。
本人はクォーターらしいが。
しかし、光莉はその問いかけに応えず、なんだか絶句している様子で。
「あっ、いや、違えぞ。告白だとか、そういうことじゃねえからな?」
喋れば喋るほどどつぼに嵌る気がしたが、とりあえず言い訳を紡いでおく。
「そ、そうですよね……」
よし。さっさと話題を変えよう。
「そういや、その祖父母がどこか外国の生まれってことなのか、ってのは聞いても良かったか?」
漫画やアニメじゃあるまいし、銀髪(加えて青い瞳も)ってのはかなり珍しいっつうか、実際にこの目で見たのは初めてだし。
瞬間、光莉の瞳に影が落ちるのを見逃さなかった。
「その――」
「いや、やっぱ言わなくていい」
だから、俺は急いで言葉を続けた。
まだ会ったばかりといっても過言じゃねえが、光莉が自分で髪を染めるようなやつには思えねえ。
もしかしたら、小学校や中学校とか、あるいはそれ以前で、自分の容姿に対してコンプレックス的なものを持っていたかもしれねえし。
「俺は綺麗だと思うけどな」
とはいえ、本人的には、周囲と違うってのはトラウマだったりするかもしれねえし、わざわざ過去を掘り返すことでもねえだろ。
そんな、本人の努力じゃあどうにも――。
「どうかしたのか?」
なぜだか、光莉が顔を紅くしていた。
入学直前に風邪拗らせたか?
「……いえ、なんでもありません。無意識だったんですね」
なんのことだかわからねえが、光莉が納得してるなら放っておくか。というより、なにかできるわけじゃねえしな。