女の買い物は長いもの 3
「光莉のほうこそ、面倒だったら面倒だって言っていいんだぞ。遠慮してばっかだと疲れんだろ」
より正確に言えば、遠慮してばかりいるのを見て取れるとこっちもストレスになるから、できればなんでも言ってほしいってところか。
世話になるんだからとか、居候の身でとか、考えねえってのは無理だと思うが、母さんだって、そんな風にいてほしくて光莉を連れてきたわけじゃねえだろうからな。
「いえ、私は大丈夫ですから」
そういって微笑みを浮かべる光莉の青い瞳を俺は真正面から覗き込む。
俺に年頃の女子の気持ちを慮るなんてことができるってわけじゃねえ。けど、俺も武術の一端を齧っている者として、こうして真っ直ぐに相手のことを見つめれば、疲労しているのか、騙す――誤魔化そうとしているのか、それを見抜くことくらいはできる……かもしれねえ。
組手とか、試合中にしかやったことはなく、しかも相手は女子で、武術とは全く関係ねえ話ではあるけど。
「あの、詩信くん……?」
光莉の瞳には戸惑いは見えるが、疲労は映っていないように思う。
いや、顔が紅くなっているのは、熱でもあるってことか? いきなり環境が変わって、しかもこんな風に連れ回されて、大変じゃねえほうがおかしいか。
そこで俺は降ってきた手刀を受け止める。
「あんたなに、光莉ちゃんに迫ってんの? べつに同意の上なら構わないけど、場所は考えなさいよね」
「なに言ってんだ?」
べつに迫ってたとか、そんなわけじゃなくて俺はだな――。
説明しようとして、周囲からの視線を感じて、俺は辺りを見回す。
幸い、他に知り合いはいなかったが、ほかの買い物客が俺たちのほうを見て、なぜだか楽しそうに、こんなところで大胆ねとか、若い子はいいわねとか、勝手なことを口々に囁いている様子だ。
べつに誰かに遠慮する必要はねえ。しかし、俺は慌てて光莉から離れると。
「悪かったな……」
心配した、なんて恩着せがましく言うつもりはねえが、逆に光莉に心労をかけていたら世話はねえ。
「いえ、その、はい……」
光莉もどう返事をしたら困ったのか、尻すぼみというか、曖昧な表情を浮かべている。
あー、ったく、女子との接し方とか距離感なんてわからねえよ。昔馴染みならともかく、昨日会ったばかりの、しかも同居するって相手だぞ。
健太郎に……いや、あいつを呼ぶと余計に騒がしくなる。香澄はより女子比率を上げるだけで、俺の居場所がさらに無くなる。
姉貴はにやにやと俺たちを見つめるばかりで、まったくあてにはならないどころか、楽しんでいる節すらある。
「あっ、詩信。私、この後バイトだから、先に帰るね。ここの払いと荷物は持って帰ってあげるから、あんたは光莉ちゃんにこの辺の案内してあげなさい。光莉ちゃん、なにかあったらすぐに連絡頂戴ね」
光莉とスマホの連絡先を交換してから、姉貴はさっさと歩き去る。
自由過ぎるだろ、知ってはいたが。
「なんか悪いな」
滅茶苦茶な姉で。
引っ張り回してくれるのが助かるときもあるが、光莉的にはどうだったのか。
「いえ。素敵なお姉さんですね」
素敵……まあ、物は言いようだし、感覚は人それぞれだからな。実際、俺だって、感謝も借りもいくつもあるわけだし。
「疲れてねえか? 大丈夫そうなら、この辺案内してやるよ。引っ越しっつうか、この辺は初めてなんだろ?」
荷物もねえことだしな。
これから高校に通うってんなら、地理くらいは頭に入れといたほうがいいだろう。
それとも、スマホには地図アプリって機能があるいたいだから、いらねえか?
「それは、デートのお誘いですか?」
「デ……違えよ。なんでそうなんだよ」
あれか? 男女が一緒に出歩いてたらなんでもかんでもデートにしたがる恋愛脳なのか?
「……冗談です。ありがとうございます、詩信くん」
「今の間はなんだよ……」
わざとなのか? さては俺のことおちょくって楽しんでるのか?
「行くぞ」
べつに混んでるわけでもねえけど、コーヒー一杯で粘るわけにいかねえしな。
「あっ、えっと、その、手を洗ってきても良いですか?」
「ん? ああ、それじゃあ、俺は上で待っとくから」
俺は光莉と分かれて、階段を上る。
いきなり混み始めるかもしれねえし、場所は早めに空けといたほうが良いだろう。
「ねえ、いいじゃん。ちょっとだけだからさあ」
「無視しないで、こっち向いてよ」
しばらく待っていると、そんな声が階段を上がってくる。
なんだ? ナンパか?
そう思って顔を覗かせれば、白い髪の女に男が二人絡んでいた。つうか、光莉じゃねえか、あれ。
光莉はまったく聞こえていないとばかりに無視しているみたいだが、若干、歩きにくそうにはしていた。
もちろん、周囲の客や通りすがりが助けようと声をかけるはずもねえ。
「変なストラップでも買ったのか?」
名前を呼ばずに光莉に声をかける。
下手に名前を知られると面倒っつうか、光莉が困るだろうから。
「なんだこいつ」
「ストラップとか、馬鹿じぇねえの? ねえ、もしかして彼氏とかじゃないよね?」
そいつが光莉の肩に手をかけようとするので、その前に俺はその手首を掴み。
「あ? なんだおまえ」
「そいつはうちの家族だ。手ぇ出してんじゃねえよ」
しかも、光莉はどう見ても無視していて、関わりたくなさそうだったじゃねえか。
他人の交友関係にとやかく言うつもりはねえが、迷惑だっていうなら話は別だ。
「関係ねえやつはどいてろよ。俺たちはその子に用があんだよ」
振り払うような仕草に合わせて手を放し、軽く押してやれば、そいつは後方にたたらを踏む。
「おまえ、耳が不自由なのか? こいつはうちの家族だって言ってんだろうが」
そいつはもう一人の男に目配せをして。
目配せをされたほうは、首と指をポキポキと鳴らし。
「粋がってんじゃねえぞ、てめえ」
なに言ってんだこいつ。
話の通じねえやつらだな。
俺はちらりとだけ光莉を振り返り。
「おまえらはこいつに用があるかもしれねえけど、こいつはおまえらに用はねえってよ。迷惑だから帰れ」
デパート――店の正面だぞ。
「格好つけてんじゃねえぞ」
掴みかかってくる男の手を、後ろに下がって躱し、突っ込んできた方向に合わせて、その背中を軽く押してやれば、そいつはたたらを踏んで、階段から足を踏み外した。
とはいえ、低い段差、しかもそれほど勢いもなく、二段とか、三段程度だ。余程のことがなければ、怪我はしねえはずだ。
まあ、でも、だからこそっつうか、これでもまだ向かってくるってんなら、面倒だな。
「なにすん――」
「てめえらの行為がストーカーじゃねえって言い張るんなら、駅んところの交番いくか?」
二人組は舌打ちを漏らし、俺たちのことを睨みつけてから、そそくさと歩き去っていった。
その程度の気持ちしかねえんなら、最初からナンパなんてすんじゃねえよ。
「おい、光莉。おまえ――」
光莉の様子を確かめようと振り返れば、光莉は軽く青ざめた様子だった。
さっきは気にしてなかったが、買い物に付き合わされて疲れてるって雰囲気じゃねえな。
まあ、あんな奴らに絡まれちゃあな。
「案内はまた明日してやるから、今日はもう帰るか」
そういや、姉貴は連絡先を交換してたみたいだが、俺もこいつの番号とアドレスくらいは知っといたほうがいいのか?
まあ、後ででいいか。今ここで急ぐほどのことでもねえだろう。そもそも、今知ったところで仕方ねえからな。
「災難だったな」
「え?」
なんで驚いたみたいになってんだよ。おまえのことだよ。
「絡まれてただろ。こうなるってわかってたら、俺も下で待ってたんだがな」
「いえ……ありがとうございます」
軽く話せるような話題をぱっと思いつけるわけでもなく、俺たちは無言のまま、並んで歩いた。