女の買い物は長いもの 2
◇ ◇ ◇
父さんと母さんは今日も朝から仕事だが、大学生の姉貴を含め、俺たちはまだ春休みだ。
そういうわけで、俺は昨日の姉貴の宣言どおり、買い物に付き合わされることになったわけだが。
「……本当に俺必要か?」
姉貴は大学入学と同時に車の免許を取得している。
つまり荷物運びの足があるということであり、俺が必要だとは思えないんだが。
「当り前でしょう。なに? 私たちに、一つ買い物を済ませるたび、いちいち車まで置きに戻れって言いたいの?」
母さんは自転車通勤、父さんは電車通勤なので、基本的にうちの車は空いている。
だから、俺たち――主に姉貴が使っていて問題はないと思うが。
「お金の心配はしなくて大丈夫よ。母さんたちから軍資金はたっぷりもらってるから」
「それは軍資金とは言わねえだろ」
まあ、呼び方なんてどうでもいいんだが。
「まずは大きいものを済ませちゃいましょう」
専門店ほどではないが、このデパートは大抵なんでも揃っている。
食料品から、家具、玩具、化粧品やら、衣類まで。
街中にそういった専門店がないということはなく、駅前通りを始め、それなりに揃ってはいるが、こういう場合は一ヶ所で一気に済ませたほうが効率がいい。
「ほら、詩信。さっそくあんたの出番よ」
「なんだよ」
最初に姉貴が立ち寄ったのは、寝具、つまり、ベッドの売り場だ。
俺のベッドじゃなく、光莉のベッドを買うんじゃねえのか? それなら、大きさは光莉のを参照するべきだろ。
「たしかに、あんたのほうが光莉ちゃんより大きいけど、部屋の間隔はあんたのほうが正確でしょ。いつも寝てるんだし」
「俺はメジャー代わりかよ」
まあ、たしかに、家のどこにメジャーがあるのかわからなかったわけで、俺の大きさで測れば済む話なら、面倒な手間が省けるって意味では楽でいいのかもしれねえけど。
「光莉ちゃんは布団は柔らかい派? それとも硬めが好き? 枕は低反発?」
姉貴は楽しそうに光莉を連れ回す。もはや、誰のための買い物なのかわからねえような状態だ。
「箪笥と、椅子と、机と――」
傍から見ている様子では、どうも、光莉の買い物というより、姉貴の買い物になっているような気がするが。
「おい、姉貴――」
「――仕切りのカーテンを」
振り向いた、どう見ても面白がっている姉貴に言葉を詰まらされる。
たしかに、俺の部屋を半分にして使う以上、仕切りは絶対に必要だろうが。
「詩信。あんた、変な気起こすんじゃないわよ?」
「起こすわけねえだろ」
同級生相手にそんな気起こしてたら、学校通えなくなるだろうが。
いや、つうか、そもそも、そんな犯罪じみた行為に走るわけがねえ。
「はあ? こんなに可愛い子とひとつ屋根の下、ましてや、仕切りだけに区切られた同じ部屋で暮らすってのに、変な気一つ起こさないの? 失礼しちゃうわよね、光莉ちゃん」
「俺をどうしたいんだよ、まったく」
光莉も困った顔してるじゃねえか。
しかも、言った本人は、もうそんなことはどうでもいいというように、さっさと注文してしまう。
「ほら、詩信。あんたの出番よ」
「よろしければ、私どものほうで運ばせていただけますでしょうか?」
今持ち帰りますと言えば、運びやすいように梱包してくれた店員に、姉貴はあっさりと頷く。
本格的に俺の必要性がわからねえ。
家で待ってても同じだったんじゃねえか?
「あとは衣服ね」
食器だったり、机だったり、ベッドだったりを、一旦車に詰め込むと、運転席と助手席以外のスペースがないんだが。
この上さらに衣服まで買うと。
ベッドとかは送ってもらうのが良かったんじゃねえのか? よしんば、持ち帰れたとして、ベッドとか箪笥とかが互いにぶつかり合って傷つくんじゃ?
「つうか、衣服って本当に必要か? 光莉のあのトランクに入ってたんじゃねえのか?」
あの、人ひとりは余裕で入りそうなと思える大きなトランク。
あの中身は、おそらく、ほとんどが衣類だろう。
「あんたはそれでいいかもしれないけど、光莉ちゃんは女の子なんだから」
姉貴はそれだけ、謎の理屈を言い残し、光莉とシャツやスカート、ワンピースなんかを見て回っている。
光莉も遠慮している風ではあるが、楽しそうでもある。
まあ、さすがにランジェリーのエリアへの同行は断ったが。荷物だけ引き受ければいいだろう。
「ほかに光莉ちゃん、必要そうなものってある? ほしいものでもいいわよ」
光莉の買い物と姉貴の買い物を合わせると、すでに車のスペース的にもかなり限界な気がするが。
「いえ。私はもう十分にご厚意を受けていますから」
家族だって言うんなら、母さんも父さんも、遠慮はするなというだろうけれど、まあ、なかなか難しいよな。
そもそも、光莉がもともと持っていたものもあり、買い物はそこまで時間をかけることなく、もちろん、波乱などなにひとつ起こることもなく――。
「光莉ちゃん、着替えはあのトランクに入っていただけよね?」
姉貴のひと言で、少なくとも俺にとっては、まだ安寧の壁を破ってはいなかった買い出しは、あっけなく崩れ去る。
「あのトランクは大きかったけど、大きすぎはしなかった。それで、あれ一つしかなかったということは、タオルとか、歯ブラシとか、筆記用具、学生鞄、制服なんかも全部一緒と考えると、私服とかはあんまり持ってないのよね?」
俺たちはもう一度荷物を車に置きに戻り。
「良し。ここまでで光莉ちゃんの買い物はお仕舞。あとは、私の趣味に付き合ってちょうだい」
姉貴の趣味?
姉貴が交友関係も広く、大抵はそつなくこなしてしまうことは知っているけど、趣味なんてあったのか?
「いい、すっごく可愛いわ、光莉ちゃん」
姉貴が光莉(と俺)を連れてきたのは、レディースの売り場だった。
春先ということで、水着がまだ売っていないことには――姉貴は――大分残念そうにしていたけれど、すぐに光を引き連れて、ファッションショーを始めた。
「あの、彩希さん。私はその、このようなものを買っていただくような必要はないのですが」
「ん? 必要はないけど、楽しいでしょ? 私は楽しい。光莉ちゃんは? あんまり買い物とか好きじゃない?」
姉貴は、有無を言わせず、光莉を自分のペースに巻き込む。
結果、光莉は姉貴の会話のペースについて行けず、あれよあれよと荷物が増えてゆく。まあ、人ひとり暮らそうって言うんだから、むしろ、このくらいなら――。
「これもいいわね。あっ、こっちも。寝間着ももう一着くらいあってもいいわよね。鏡は絶対必要だし。化粧品は学生のうちからあんまり使い過ぎるとよくないわよね。とくに、光莉ちゃんはなにもしなくても、本当、綺麗な肌してるし。でも、一応見にいってみましょう」
姉貴と光莉は、あまり疲れている様子を見せはしなかったが、俺のほうが先に疲れた。
女子ってのは、買い物中の体力無限かよ。わりと知ってはいたが。
「詩信くん、大丈夫ですか?」
我ながら情けないとも思うが、婦人服売り場なんていう、男子学生にとってはかなりきつい場所に一時間以上、気がつけば二時間ほども付き合わされていたのだから、多少、疲れがあっても許されると思う。
その後、ノートやらシャー芯やら、学校で必要だろう買い物も済ませ、地下の食品売り場に直接的な用事はなかったが、併設されているカフェにひとまずの腰を落ち着けたところで、光莉が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる。
「ああ。問題ねえよ」
ここで、疲れた、大変だった、もう勘弁、なんて言ってみろ。
光莉が遠慮して、今後、榛名家での言動にいっそうの気を遣うだろうことは確実。
だから、俺は一瞬で意識を切り替えた。実際、疲労は精神的なもので、肉体的にはまだ余裕がある。