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そこまではよくあるかもしれない光景 7

「光莉は暇な時間があると勉強に誘ってくれるよな」


 試験前だからって――厳密に言えば、いつだって試験前ではあるんだが――わけでもねえのに。

 高校からは義務教育じゃなく、俺たちが勉強させてもらっている立場だってことはわかってる、頭にはあるつもりでいるけど、どうしても、積極的にやろうって気にはならねえからな。

 

「嫌でしたか?」


 ペンを片手に、光莉が顔を上げる。


「嫌じゃあねえし、むしろありがたいと思ってるんだが、そういうことじゃなくて、よく勉強する気になるなってことで」


 なんで勉強する気にならねえのかってのは、要するに、俺自身がつまらないことだと感じている、考えているからだ。

 それでもやらなきゃならねえと思えるやつが、できるようになるんだってことはわかるんだけど。


「私、勉強の苦手な人とか嫌いな人は、つまるところ、できない、わからないから、やる気がなくなる、結果、手に付けることもなくなって、ますますやる気も成績も悪くなるという、負の連鎖のせいだと思うんです」


 光莉は少し考え込んでから。


「たとえば、歴史や英文法であれば、ひとつわからない、覚えられないことがあっても、周囲の事柄や文章から推測することもできますよね。古語もそうです。ですが、数学や物理、化学なんかは、それ自体を覚えていないと他のことも連鎖的にわからない、ということが多いように思えます。もちろん、なんであれ、記憶力、というより、暗記とは完全には切り離せないですし、暗記が苦手だという人もいるでしょうけれど」


 まあ、俺も高校受験のときのように一夜漬けとか、詰め込むことならできなくはねえけど、それだけの集中力が続かねえというか。

 そもそも、今やってる勉強は、一夜漬けみたいなやり方じゃ意味ねえからな。

 それを反省しているからこそ、こうして光莉の時間を割いてもらっているわけだし。


「関連付けて覚えるとか、人に伝えることで覚えるとか、絵や動画を利用するとか、音読とか、記憶するのに適していると言われている方法はいくつもありますけど、結局、一番なのは反復だと思います。以前にも言ったと思いますけど、繰り返ししかありません。勉学に逆転ホームランはありませんから。十回で無理なら、二十回でも、百回でも。詩信くんが自信を持てるまでお付き合いしますから」


 そう言いつつ、光莉は今週分の授業の範囲をわかりやすく解説してくれる。

 たしかに、武術にしたって、地道な基礎修行の繰り返しが、結局は一番大切だからな。

 それにしても。


「光莉の解説だとわかりやすいのはなんでだろうな。先生の言ってることは半分くらいしか理解できねえんだけど」


 実際には、それだって盛っている。感触としては、よくて、三割程度といったところだ。

 そう漏らすと、光莉は困ったような笑顔を浮かべる。


「えっと、それは……その、一応、星海高校はそれなりの学力を誇る高校で、先生方の来歴も立派なところばかりですから」


 つまり、できないということ、あるいは、わからない、覚えられない、ということが理解できないんです、と光莉は言い切った。

 仮にも、教員試験を突破している相手に対して、随分と辛辣な評価だが。

 

「もちろん、先生方は自分も学生時代には必死に頑張ってやったとおっしゃるでしょうし、それは事実なのでしょう。それで先生までなさっているというのは、素直に敬意を抱きもします。ですが、つまり、自分ならわかるから、ここの優秀な生徒もわかるだろう、と考えていらっしゃる部分が大きく、わからないということがわからないんです。学力が高いこと、頭が賢くいらっしゃることは間違いないでしょうが、言ってしまえば、そのことと、教師として優秀かどうか、というのは関係がないということです」


 どっかの歌手がそんな感じの歌詞を歌っていたような。

 それはどうでもよくて。


「それに、教師という職である以上、毎日が勉強のようなものではあると思いますし、それは職業には関係ないとは思いますが、現在進行形で高校生をやっている私のほうがわかりやすく感じてもらえるというのは、私自身が今まさに学んでいるそのままを詩信くんに伝えられているからだと思います」


 だから頑張りましょうね、と光莉が笑みを浮かべる。


「これも前にお伝えしたと思いますけど、私は、沙織さんに頼まれたからとかではなくて、詩信くんに教えることは楽しいとは思っていますよ」


 それは、できの悪い子ほどかわいいとか、元がスポンジみたいでよく吸収するから、みたいな感じか?


「どうでしょうか。大丈夫です、詩信くん。私が責任をもって、詩信くんに赤点なんて取らせませんから。補習や追試になると、一緒にいられる時間が減ってしまいますし」


 光莉は冗談っぽくそう付け加えた。

 

「その理屈でいくと、光莉は教師に向いてるのかもな」


 もちろん、光莉の自己評価には、今は、という接頭語がつくと思うけど。

 今は、光莉自身が学生であり、そのままの感じていることではあるけど、成長すればわからねえってことだ。

 今の教師たちだって、学生だった時分はあるはずだからな。そこで躓いたかどうかってのは、また違う話だが。


「……教師の給料は高いとは言えないので」


 光莉は、早く稼げるようになって、祖父母を楽させたいと言っている。

 どこか、一流企業とか、弁護士とか、あとはなんだ、所得の高そうな職業っていえば、医者か?


「……似合うな」


 白衣を着た光莉を想像してしまい、つい、本音が漏れる。

 客室乗務員みたいな格好でも、看護師の格好でも、教師の格好でも、なんでも 似合うとは思うけど。

 もちろん、今の私服だってそうだが。


「なにを考えているんですか、詩信くん。集中してくださいね。いくら勉強していても、集中していなければ意味がありませんから」


 光莉に窘められ、俺は現実の教科書とノートに向き合う。

 正直、自分が賢くなっているとかって実感はねえ。

 けど、光莉がここまで親身になってくれているんだから、俺がやる気を出さなけりゃあ、嘘だろう。

 本気で、光莉より勉強のできるやつがいるってのが信じられねえくらいだ。


「詩信くんのは過大評価だと思いますけど……」


「そうか? 少なくとも、俺が今まで会った中で光莉が一番の教師だけどな」


 まあ、普通の学校の教師とは、ここまでマンツーマンで教えてもらうことなんてねえから、そう感じるのも当然かもしれねえけどな。

 

「……そういうことは、結果が出てからにしてください」


 光莉は少し照れたように顔を赤らめる。

 それなら、俺はきちんと結果を出さねえとな。まずは、ひと月後の中間試験で。気が重くなる話だな。


「あんまり一度にやりすぎても頭に入りきらないでしょうから、今日のところはここまでにしましょうか」


 お疲れ様です、と光莉に言われ、俺は後ろに倒れ込んだ。

 まだ慣れてねえ。処理能力以上の負荷がかかって、頭が熱い。


「それで、その、厚かましいことなのですけど……」


 俺は倒れたまま、顔だけを光莉のほうへ向ける。


「私も詩信くんに教えていただきたいことが……」


 光莉は遠慮気味に、上目遣いに俺の様子を窺ってくる。

 あー、そういえば。


「なんだったか、護身術だったか?」


 例の事件の後くらいに言われたな。


「はい。その、できればでかまわないのですけれど……」


「それは、もちろん問題ねえ。けど、やるからには本気でやるぞ。中途半端にやっても意味ねえ、どころか、逆に、変な自信とかになっても困るからな」


 光莉に限って、そんな心配はいらねえと思うけど。



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