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そこまではよくあるかもしれない光景 6

 姉貴も一緒にナンパされる、なんてこともなく、あまりいい思い出があるとは言えねえフードコートは無視して、地下の食品売り場に併設されているパン屋で昼食分を調達しつつ、帰宅する。

 件の何某先輩が、仮のこの近くに住んでいても、こっちは車だ。尾行するなんてことは不可能だろう。そもそも、学外で偶然出会うってことが、そうそう起こりえるもんでもねえしな。

 実際、すれ違い様とかで光莉に吸い寄せられる視線はあれど、ずっと見続けてくる、みたいな気配はなかった。

 

「お昼、作ってしまいますね」


 光莉は、今の買い物でついでに買っていた赤ピンクのエプロンを取り出し、ポケットに入れていたゴムで髪をくくる。

 さっと冷蔵庫を見渡し、手際よく準備を進める光莉に、俺たちが手伝えるような隙はなかった。

 勢いよく水の流れる音、軽快に包丁を捌く音、手際よくフライパンが振られ、炒められる音、水が沸騰させられた音。

 ものの十分、十五分くらいで、光莉は手早く昼食を準備してしまった。


「簡単なものですけど」


 買ってきたパンと、肉野菜炒めと、卵とわかめのスープ。

 あっという間のできごとで、買ってきた荷物を解くような暇なんて、まったくなかった。

 もちろん、冷凍食品を使ったってことなんかじゃあねえ。


「すごーい。光莉ちゃんがお嫁に欲しいわ」


 姉貴は手放しで絶賛する。

 やってること自体は、普段母さんがこなしていてることとそれほど変わりがあるわけじゃねえんだけど、同級生の女子の手際を目の当たりにすると、新鮮な驚きだった。敗北感なんて、まったく覚えるようなことはなく、ただ感心するだけだ。

 飯やら、肉や野菜を炒める程度なら、俺にもやってできねえことはねえけど、手際が圧倒的というか、腕前が、比べようとすることすらおこがましいほどというか。


「こんなのはただお湯を沸かしたり、炒めたりしただけですから、褒めていただくようなことでは」


 光莉は照れているでもなく、謙遜している風でもなく、ごく普通の様子だった。

 

「いや。俺も、すごかったつうか、格好良かったと思うぞ」


 なんか、買い物をしてきて新ためて料理をするってのも十分以上に凄いことだと思うけど、こう、ぱっと冷蔵庫の中身を見渡して、瞬時に作るものを判断して、実際に調理してしまうってのは、小慣れてる感というか、料理のできるやつって感じで、拍手でもしたいくらいの手並みだった。


「えっと、ありがとうございます。ですが、本当に褒めていただくようなことではないんですよ。ただ、切って、沸かせて、炒めて、味付けしただけですから」


 光莉は小さく笑みを漏らす。

 味のほうも、もちろん、おいしかった。

 あんパンとカレーパン、ピロシキ、メロンパンをそれぞれシェアしつつ。


「ご馳走様でした」


 あっという間にたいらげる。

 母さんの手伝いをしてるのは知ってたけど、やっぱり、料理も上手かったんだな。


「ここへ来る以前からこなしていたことですから」


「こんな光莉を手放すなんて、よっぽど苦渋の決断だったわよね、光莉のお爺さんとお婆さんも。一家に一人ほしいわ」


 大袈裟ですよ、と光莉は謙遜するけど、決して大袈裟なんてことはねえと思う。

 正直、勉強も家事も、運動もできて、性格だっていい光莉が、親元にいられなくなったって理由が思い浮かべられねえ。

 家族のことは誰にとってだって、大抵核心的なことだから、あけすけに尋ねられたりはしねえけど、こんな光莉が家を出て、祖父母の家に身を寄せるようなことになるか、普通。

 最悪、離婚なんかだとしても、両親のどっちかには引き取られるんじゃねえかな。

 いや、まあ、スペックだけであれこれ言いたくはねえんだけど。


「どうかしましたか、詩信くん」


 考えごとしていたら、どうやら見続けてしまっていたらしい。

 光莉が小さく首を傾げる。


「いや。世の中にはなに考えてんのかわかんねえやつがいるもんだなって思ってただけだ」


 もちろん、他人の考えていることなんて、わからなくて当たり前なんだけどな。

 

「エプロン姿の光莉に見惚れてたって素直に言えばいいのに」


 姉貴はにやにやと俺たちを見比べる。


「人の気持ちを捏造してんじゃねえよ」


 そりゃあ、たしかに新鮮だとは思ったけど。

 決して、見惚れてるなんてことはねえ、はずだ。


「まったく、詩信は素直じゃないわねえ。私は可愛いって思うわよ、光莉のエプロン姿も。それとも、詩信の目が濁ってるのかしら。世の中の男性、十人に聞いたら十一人は可愛い、お嫁さんにくれって言ってくるわよねえ」


「いや、べつに可愛くねえとか思ってるわけじゃねえよ。見惚れてはいねえってだけだ」


 勝手に捏造した気持ちで、俺を貶めるんじゃねえ。

 そもそも、十人中十一人って、どういう計算だよ。

 

「やっぱり、可愛いって思ってるんじゃない。心配しなくても、そんじょそこらの相手に光莉を嫁にあげたりはしないわよ」


「なんの心配をしてんだよ」


 そんなことは言ってないが? そもそも、それは姉貴に決定権のある話じゃねえだろ。

 しかし、姉貴はにまにまとした笑みを浮かべ、光莉は所在なさげに手をもじもじとさせ、若干、顔も赤くなっている気がする。 

 これは、あれだろ? 俺をからかってるってだけだろ?

 エプロン姿だから光莉に見惚れてたってわけじゃねえのは本当なんだが、今はなにを言っても無駄だろう。むしろ、火に油を注ぎかねねえ。

 やがて、姉貴はなにかに納得したように。

 

「なるほど。たしかに、いつも見惚れている状態で、それが普通の状態になっていたら、あらためて見惚れるってのもおかしな話かもしれないわね」


「おかしいのは姉貴の頭だろうが」


 なるほど、じゃねえよ。

 しかし、ここで必死になって否定するってのも、なんか、誤魔化してる感が強くなるな。


「失礼ね。あんたたちの勉強を見てあげたの、誰だと思ってるの?」


「その節は大変感謝しているけども、今はその話はしてねえな」


 いつまでここにいても、仕方がねえ。

 俺はさっさと食器を流しに運び、洗い物を済ませる。


「光莉はもう慣れた? なにか困ってることとかない?」


 そろそろバイトだわ、と立ち上がった姉貴が、出がけに光莉に尋ねる。

 

「大丈夫です。ありがとうございます、彩希さん」


「困ったらすぐに詩信に言うのよ。もちろん、私たちだって力になるけど」


 姉貴の視線が俺を捉える。

 言われなくてもわかってるよ。

 同じ家に暮らしていて、同じ学校、同じクラスに通ってんだ。この前みたいなことが起こる前にどうにかする、些細な変化に気を配れってことだろ。

 光莉の場合、隠すっつうか、黙ってるから、見抜くのは結構大変なんだが。


「じゃあ、二人で仲良くお留守番よろしくね」


「俺たちをなんだと思ってんだ」

 

 小学生の兄妹かよ。

 あはは、と笑いながら、姉貴はバイトに出かける。


「詩信くんはこの後どうするつもりですか?」


「俺か? さあ、どうするかな」


 この後って言っても、もう、午後もいい時間だしな。


「よければ、一緒に勉強しませんか? 宿題もありましたし」


「そうだな。それは助かるな」


 俺たちは二階の、俺の部屋で教科書とノートを広げる。

 こうして、暇な時間に勉強するなんて、光莉がいなかったら考えられねえことだな。一人だったら、トレーニングか、寝てるか、本でも広げるか。少なくとも、勉強って選択肢はなかっただろうな。

 それはそれで悪いことじゃねえだろうけど、光莉に勉強を教えてもらえる時間ってのは、俺にとってかなり有意義であることには違いねえ。

 正直、授業なんかより、よっぽどわかりやすいからな。



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