この空の下でたった一人を見つけられること 5
「姉貴の着替えじゃサイズが合わなかったか?」
今まで持っていた服を着たくはなかったってことなら、まあ、わからない話でもねえけど。とはいえ、下着類なら、コンビニとか、スーパーまで行きゃ、売ってるだろ。こだわりがあるとかなら知らねえけど。
もちろん、洗濯済みとはいえ、他人の着替え――肌着の類――や、あいつらに乱暴されかけたものを身に着けたくないってんなら仕方ねえんだが。
「……いえ。ぴったりとは言いませんけれど、そこのコンビニで一式揃えさせていただきました」
なら、風呂が焚き上がってねえとかか? 俺たちと別れて、帰ってきてからすぐに焚き始めたとすれば、焚けてねえはずがねえんだが。
「母さんと姉貴は?」
「おふたりは済まされました。食卓のほうで待っていらっしゃいます」
それで、その敬語は……まあ、今はいい。
「……はあ。まあ、いいや。行くか」
今日のところはもう光莉にとやかく言うつもりはなかった。
あれだけのことがあったんだ。いろいろと考えること、思うこともあるだろう。
「詩信くん、おかえりなさい」
「じゃあ、お父さんはいないけど、家族も揃ったことだしいただきましょう」
姉貴の掛け声で、俺たちは少し遅めの夕食にありつく。
冷えた味噌汁やおかずは温め直し、ご飯のほうは炊飯器に入れたままだったから、それ以上になにかをすることはなかった。
運動した後だから、余計に飯がうまく感じる。
光莉が見つかった安心感とかも手伝ってか、お代わりを含めて、俺たちは一瞬で食い尽くした。
「さて、光莉ちゃん」
片付けを終えた後、母さんは光莉をテーブルに呼び止める。
「詩信くんも帰ってきたことだし、聞かせてくれるわよね」
母さんの口調は問い詰めるようなものではなく、どこまでも優しく、促すようなものだった。
それ以上の断定というか、選択肢を狭めるような真似はせず、俺たちはただ黙って光莉が口を開くのを待った。
怒らない、とは言わなかった。
理由によっては、それも大人の責任だと、母さんが思っているからだろう。
「……その」
光莉が窺うように俺を見る。
なんだ? 俺がいると困るってことか? 一応、気をつけていたつもりではあったんだが。
「私と一緒に住んでいると大変だと、そういう話をしているところを聞いてしまって」
光莉がいると大変? なんの話だ?
俺は、決して良くはない、自分の記憶を辿る。
「詩信。あんた、そんなこと言ったの?」
「いや、そんな話をした覚えは……あー、もしかして、教室で香澄と話してたときのことか?」
姉貴の瞳がすっと細められる。
あんまり話したいことじゃねえんだけど、ここまできたら言うしかねえか。そもそも、あれが誤解された結果がこの騒動だったってことらしいし。
「香澄に言われたんだよ。あ、先に言っとくけど、今から言うのは香澄が言ったことをそのまま言うんであって、決して俺が――」
「いいから早く言いなさいよ」
言い訳くらいさせてくれよ。予防線ともいうけど。
「光莉みたいな美少女と一緒に住んでいるとあんたも大変ね、って香澄が言ってきたんだよ。ちょっと言い方は違ったけどな。それで、俺も一緒にいたくないときがあるのは確かだって答えた。いや、トイレとか、風呂とか、そういう常識的な範囲でのことのつもりだったんだが……もちろん、嫌だって意味合いはこれっぽっちも含んでなかったけど」
あとは、まあ、男子高校生として、光莉みたいなやつと同居してるってのがいろいろと大変だっていうのは、説明するのは難しい。つうか、説明したくねえ。
まあ、姉貴はにやにやしてたし、母さんには当然、いちいち口にする必要もなく、筒抜けだったと思うけど。なんなら、光莉も顔をわずかに紅くしていた。
「すみません。私の早とちりで」
「いや、もういいよ。俺もまさか、光莉が聞いてるなんて思ってもいなかったからな。誤解させるような言い方しちまってて、俺のほうこそ悪い」
陰口ってほどとは言わねえけど、結果的に、そうなっちまってたわけだし。
「もう解決したのね? それならよかったけど、詩信くんも光莉ちゃんも、もっと話し合わなくちゃね」
言葉は不完全ゆえに誤解を生むこともあるが、話さなくてもわかってくれると思うってのは傲慢だ。決して、現国の試験の、行間とか、作者の気持ちとか、そういう話じゃなく。まあ、そっちもよくわからねえんだけど。
それはともかく。
とくに、俺たちはまだ知り合ったばかりといってもいいような関係性なわけだからな。やっぱり、母さんの言うとおり、言葉にする必要はあったんだと思う。それも、はっきりと、相手に向けて。
たとえば、恋愛ものの――大抵はどんな話もその要素を含んではいるけど――小説だとか漫画だとかだと、話が二行(あるいは二言)で終わっちまうからいろいろと遠回りするわけだが。
結婚しよう、そうしよう、それだけで終わるほど、世の中単純じゃねえからな。
「それじゃあ、俺は、いや、光莉。先に風呂入ってきていいぞ」
「いえ。私の迷惑のためですから、詩信くんが先に向かってください」
いや、あんな格好で冷えてたやつがなに言ってんだよ。風邪ひくぞ。
しかし、光莉は頑として先に行こうとしねえ。
「一緒に入っちゃえば?」
なに言ってんだ、この姉は。
そもそも、姉貴が帰ってきて即行、光莉を風呂に放り込んでおいてくれれば、どうということもなかった話だったんだが。
「だって、光莉ちゃんが、詩信くんより先にいただくわけにはまいりません、って譲らないんだから、仕方ないじゃない」
それをなんとか丸め込んどいてくれよ。
普段から、そういうの得意じゃねえか。
「詩信が入らないと、光莉ちゃんは動かないと思うわよ? まあ、詩信がどうしても、光莉ちゃんの残り湯に入りたいって――」
「わかったよ。先行きゃいいんだろ」
なら、さっさと済ませるか。烏の行水ってやつだな。
そう思っていたが、まあ、結構派手に暴れることになっちまってたから、それなりに汚れていて、すぐ上がるってわけにはならなさそうだった。
つうか、シャンプー切れてんな。たしか、洗面台の下の扉に。
「詩信くん」
浴室の扉がノックされる。
光莉の言葉どおりだとすると、母さんと姉貴は先に済ませていたはずだし、シャンプーが切れているのも知ってたはずだ。
だから、多分、なにかしていないと落ち着かなさそうだった光莉にシャンプーを差し入れさせに向かわせたってところか。
まあ、俺は自分でとってもかまわなかったんだが。
「ああ、助か――」
振り向いて、言葉を失った。
いや、誰でもこうなるって。
「……なにやってんだよ」
いや、マジで。
「その、お背中を流させてください」
タオルで隠した光莉が、反対の手にシャンプーを持って、浴室の扉を開いていた。
「……その、彩希さんに言われたからではなくて、私が詩信くんになにかできないかとご相談したら」
いや、庇わなくても、こんなことしでかす犯人はうちには一人しかいねえから。
そして、光莉も真に受けてんじゃねえよ……。世の中の恋人ってのがどんなもんかは知らねえけど、こういうことは、普通は恋人とか、それ以上の関係になってからすることじゃねえのか?
つうか、さっきの今で――そうじゃなくても――抵抗とかねえのかよ。
「詩信くんがお嫌でなければ……」
ここまで来といてお嫌もなにもねえだろ。
これも姉貴の作戦か?
「……わかったよ。じゃあ、頼む」
すでにタオル一枚しか纏ってねえ光莉を追い返すこともできず、俺は承諾するしかなかった。
この件で姉貴に文句を言っても、嫌だったの? とか聞かれるのがオチだってところもむかつくんだよな。もちろん、光莉にじゃなく、姉貴にってことだけど。




