出会い
大半の学生のとっちゃ日曜ってのは休みの定番だ。もっとも、春休みである俺には関係ないが。
休み明けから始まる高校へと通う準備は……まあ、初日は入学式くらいで終わりだ。制服はすでに届いているし、特別になにか入用なものがあるわけでもない。
だから、俺がそのコンビニの前を通るのは、小学校のころから続けている武術の道場への行き帰り――もちろん、通学時にも通るけど――つまり、いつもどおりのことだった。
「ちっ。やっぱり降ってきたか」
どんよりと広がる暗い雲を見上げて、舌打ちをひとつ。新聞の天気欄の感じじゃ、帰りつくくらいまでは平気だと思っていたが、どうやら、見通しが甘かったらしい。まあ、所詮は新聞だ。前日までの予測でしかないからな……なんて言っていると、新聞社の人間には嫌な顔でもされるだろうか。
道場まではだいたい一キロくらいで、たとえ稽古の後だろうと、そのくらい走り切るのはわけもない。疲れたときに走り切ることこそ、体力をつけるためには必要だからな。
自宅まではあと二百メートルもない。一気に走り切れる……と思ったが、あまりの雨の勢いに、俺は慌ててコンビニの軒下に身を寄せる。
高校に入学すれば、ひと月の小遣いも上げてくれるらしい。ただし、同時に買ってくれると言っているスマホ代もそこから差っ引くらしいが。
ともかく、今の俺には金もなく、スマホもないので、家に連絡するだとか、傘を買うだとか、そんなこともできねえし、布製の道着が合羽がわりになるはずもない。普段なら、鞄に持ち歩いている折り畳み傘は、今、この鞄には入ってねえ。
幸い、通り雨みたいだ。少し待っていれば、まあ、ここから帰るくらいは問題ないくらいにはなるだろう。
鞄の中から、タオルを取り出し、髪を拭く。普段、持ち歩いてこそいるが……面倒だし、道着で拭うからな。それでも、一応、汗をかいた道着とは一緒にならないよう、袋に入れてはいるが。
降り始めがコンビニに近かったのが幸いして、今見えている雨の勢いのわりには、タオルが濡れたりはしなかった。
そこまでしてようやくすこしだけ余裕ができて隣を見れば、俺と同じように、傘を持って出るのを忘れたんだろう、女が一人、雨宿りをしていた。
俺は思わず息をのむ。
仮にも、武術を嗜むものとして、平静でいることの重要さはわかっているが、俺と同じか、あるいは少し年下に見えるくらいの女子が、真っ白な髪を伸ばしていれば、気にならないほうがおかしいだろう。
つい見惚れ――じゃねえ、見つめ続けたのがまずかったのか、そいつは視線に気づいたように、若干警戒するような視線をよこしたので、俺は慌てて正面を向き直った。
着ているのは、カタログっつうか、パンフレットで見たが、俺が春から通うことになっている私立星海高校の女子制服だ。男子はブレザーだが、女子はセーラー服にプリーツスカート、それからネクタイ。
一応、長袖ではあるみたいだが、いわゆる、上着的なものは羽織っていない。向こうは幸い、もともとこのコンビニに立ち寄っていたようで、濡れている様子ではなさそうだが。
それほど多そうではない荷物を前に持ち、しかし、傘を買うつもりはないらしい。まあ、近いんなら、もったいねえからな。
この時間にここにいるってことは、このあたりに住んでるってことか?
考えていても仕方ねえ。どのみち、いつかは決断するしかねえんだし、そいつのほうは、今動かねえってことは、どうせ、この雨が止むまで動くつもりはねえんだろう。
雨はさっきから、強くなったり、弱くなったりを繰り返している。
「あー、あんた、そこの星海高校の生徒だろ?」
もし、先輩だったらって場合を考えはしたが、結局、ここだけのことだ。向こうも覚えちゃいねえだろうと、普通に話しかけた。
話しかけてから気がついたが、日本語通じるのか? いや、高校の制服を着てるってことは、受験には受かったってことだろう。なら、問題はないはずだ。
「……そうですけど、もしかして、女子の制服に興味のある方ですか?」
思ったとおり、日本語は通じたが、あからさまに警戒するように、そいつは俺から半歩距離を取る。
「違えよ。おまえの制服の胸ポケットに校章が付いてて、そこに書いてあるだろうが。つうか、俺んちはこの近くだから、あそこの制服は見慣れてんだよ」
道場に行くとき、すれ違うことがあるからな。
私立星海高校は、星海高校駅ってなんの捻りもない、俺の家、榛名家から最寄りの駅の高架下を、ずっと東に向かっていったところにある。自宅からならチャリで数分ってところか。
そいつは、綺麗な青い瞳をわずかに細め。
「つまり、人の胸ばかり見ていたということですね」
「おまえなあ……」
女は殴らねえ主義だが、つうか、武術を嗜むものとして、他人様に手を挙げたりはしねえが……まあ、見ず知らずの男にいきなり声をかけられたら警戒もするか。
ここで話しているより、さっさと行動したほうがいいだろう。埒が明かねえ。
俺は屈伸、伸脚を済ませると。
「俺は榛名詩信。言ったとおり、すぐそこに住んでっから、傘取ってくる。その間、俺の荷物、預かっててくれ」
「えっ? あの、ちょっと」
見ず知らずの相手に、いきなり荷物を預けるとか、どんな神経してんだと言われるかもしれねえけど、ほかに、あいつ(そういや、向こうの名前を聞き忘れた)の信用を得られる手段もなさそうだったからな。
俺は、目の前の信号が青になった瞬間、コンビニの屋根の下をなにも持たずに飛び出した。
中学に靴の指定はなく、高校の制服じゃあローファーだったが、幸い、今はスニーカーだ。雨の中とはいえ、ここからなら、荷物なしだし、一分もかからず帰宅できる。それから、玄関の傘立ての傘を引っ掴んでくるだけだし、往復だって、五分とかからねえだろう。
うちの鍵はオートロック。壁のパネルの番号で開ける仕組みだ。
「あら、お帰りなさい、詩信くん。ご飯――」
「悪い、母さん。すぐ、戻る」
俺は、多分、雨が降っていたから準備してくれていたのだろう、靴箱の上に畳んであった真っ白なタオルを引っ掴み、玄関口の傘立てから傘を二本引っこ抜く。
今度は走るわけにはいかねえ。傘がひっくり返っちまうからな。
タオルを濡らさないよう、傘を壊しちまわないよう、慎重に、できる限り急いでコンビニまで引き返せば、そいつはまだそこにいた。
「雨ん中待たせて悪かったな」
この雨だ。
コンビニの中で雨宿りをしていても、店員もなにも言わなかっただろうけど、そいつは軒下に立っていた。
「なに驚いてんだよ」
「……いえ。雨の中、本当にわざわざ戻って来るなんて奇特な方だなと」
雨が降ってても、傘差せば外出くらいするだろうが。
「おまえに荷物預けていっただろうが。そんなびしょ濡れ……ってほどでもねえが、俺以外には不要だろうものを、押し付けたままにするわけねえだろ」
他人の道着とか、絶対いらねえだろ。
「……そうでしょうか。いらないものは他人に押し付けたりするものでは?」
そんなことしねえよ。
「だから、いらなくねえ、必要だって言ってんだろうが」
つうか、こいつ、日本語上手えな。
まあ、日本の高校を受験するくらいだからな。
「おまえ、家は?」
「……なにも聞いていないんですか、詩信くん」
いきなり女子に名前で、しかもくん付けて呼ばれ、なんとなくぞわぞわした。
保育園から同じ組で、高校も同じところに進学した香澄なら、幼馴染といっても過言じゃねえし、普通に呼ばれたりはするけど。
そういえば。
「おまえ、名前は?」
「光莉です。神岡光莉」