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専守防衛論と敵基地攻撃論という頭のおかしな話

作者: 有坂総一郎

専守防衛という言葉がある。文字通り、専ら守り防ぐというそれであり、敵基地攻撃論も含んでそれらが通用する時代は戦後の一時期のみである。いや、より正確に言えば、そもそも論理的に考えれば終戦時点どころか、1936年時点でそれらの考え方は破綻していることは戦史を見れば普通は理解出来ると思う。


まず36年という具体的な年を示したのには理由がある。この年を境に我が大日本帝国海軍は渡洋爆撃を可能とする新鋭攻撃機を戦力化しつつあった。そう九六式陸上攻撃機、そして大日本帝国陸軍の九七式重爆撃機である。


またこの頃には他の列強諸国でも同様の長距離爆撃機が立案または戦力化されつつあった。ソ連ではTB-3が初期不具合を概ね改善し終え、アメリカではXB-15やXB-17、ドイツではDo-17、Ju-88、He111、イギリスではブレニム、ウェリントンなどが初飛行や制式化へと行程を進めていた。


これらの爆撃機・攻撃機は搭載量や航続距離にばらつきはあるが、いずれも敵戦闘機を振り切って敵地を攻撃可能な爆撃機として開発が進められている。最も早く登場しているTB-3は初期不具合と開発年代のそれもあって最も鈍足であったがその搭載量が同時期で最大と言うことでこれに含んでいる。


当時の軍事の常識として複数の発動機を搭載する爆撃機の方が単発の戦闘機より優速という技術的な条件が合ったことからそういう開発方向性になったのは列強各国とも同様であった。というより、列強で使われている発動機が当時は第二世代水準で基本的にはブリストル社のジュピターやP&W社のホーネット、カーチスライト社のサイクロンでありそのライセンス品であるから横並びであったという事情がある。


尤も36-38年頃に投入された機種は概ね第三世代発動機を用いていたが、軍事技術論やそれに基づくドクトリンが容易に変化するわけでは無く、戦闘機無用論や双発機万能論は40-42年頃まで続く。


さて、ここで振り返ってみたいのだが、現代日本における専守防衛論や敵地攻撃論とやらはこの36-40年頃の爆撃機開発やそのドクトリンと似ている部分がある。特に大日本帝国のそれが適当だろう。


敵が手出し出来ない本土から敵地ないし敵艦隊を攻撃するという運用である。理屈は通っている。敵が攻撃する前にこちらが攻撃する、もしくは攻撃出来ることを示すことは敵に不要にな行動を控えさせるという効果がある。


だが、よく考えて欲しい。


確かに敵の攻撃手段を奪うことが出来れば自国本土や自国艦隊は安泰かも知れない(※無論そんなわけがないのだが)。では、その敵基地や策源地は一つだけなのかと。そんなはずがないのは当然であり、敵だって攻撃に晒される場所に造るわけがないし、複数の策源地を擁するのは道理だ。


では、その策源地や基地を攻撃するためにはこちらもそれ相応の戦力を有しないといけない。


さて、そこで支那事変を考えて欲しい。


敵基地攻撃を可能とする九六式陸上攻撃機によって九州や台湾から東シナ海を渡って海軍航空隊は蒋介石率いる国民党政府軍を上海で杭州で南京で叩くに叩いた。それも毎日のように。


戦線が拡大して武漢を叩いた。更に戦線は拡大し今度は重慶だ。海軍機だけでは足りず、陸軍もこれに参加し爆撃を繰り返した。当然、蒋介石も馬鹿ではないしそうそう根を上げるわけが無く、米ソから戦闘機を買い付けてこれで対抗する。結果、爆撃部隊に少なからぬ損害が出てくる。


では、どうするか?


自明の理である。戦闘機を爆撃隊に付属させることだ。そのためには戦線を更に拡大し前進基地を設けて不足する航続距離を補う。または帯同出来る航続性能を有する戦闘機を開発し投入することだ。結論から言えば支那事変ではその両方が行われたわけだが。


さて、そこで質問だ。敵基地を叩けば敵が根を上げるのかという話である。


無論そんなわけがない。敵基地にあるのは敵兵や補給物資であって、それを支える工場ではない。蒋介石は上海や南京などにあった工場設備などを武漢、そして重慶に疎開移転させ、45年に至るまで抵抗を続けている。


要は敵基地など攻撃したところで一時的に敵の行動を制限出来るという程度の話でしかないいのだ。それを支那事変が教えてくれている。だというのに、トマホークだのなんだのと持ち上げて気勢を上げているそれには正直なところ何を言っているのだろうかと蔑視するほかない。


そして専守防衛論だが、鎌倉時代にでも戻って引き籠もるとでも言うのだろうか?


ジュリオ・ドゥーエの戦略爆撃論を持ち出すまでもないが、先手の優位は変わらないし、敵が宣戦布告してから攻撃してくれるとは限らない。


二次大戦以後の戦争でまともに宣戦布告のあった戦争なんてどれだけあったことであろうか?


無論、仮想敵国の軍事行動の兆候くらいはある程度はつかめるだろうが、それでもいつどこにどれだけ攻撃するかは先手を打った側の権利であって優位に立てる条件になる。


まして、それが核ミサイルなのか、巡航ミサイルなのか、通常爆弾なのかなど敵が教えてくれるわけではない。初手で全力攻撃して日本本土を焦土にすることすら仮想敵国にとっては容易なことでしかない。


で、そんな状態の現実に専守防衛論など通用するのかという話である。寝言が通じる日本国内限定の冗談でしかない。


そもそも軍備を有することの意味を考えればわかるだろうが、軍備とは敵を恫喝するための外交手段であり、敵に侮られないための防衛手段であり、自国の発言力を担保する手段である。他国の脅威になるからこそ存在価値があるわけで、他国の配慮して戦力を制限すること自体が国際社会では常軌を逸した狂気の沙汰である。


よって、そもそも論議の対象にすらならないのだ。


周辺国を疑うならば、そもそも周辺国家を絶滅させる戦力を揃えることが正解であって、容赦などする必要はどこにも無い。アメリカやロシアなど地球全体を何度も滅亡させる程度には戦力を有しているし、そもそも第7艦隊だけで日本を滅ぼすには十分な戦力であることを考えれば、こんな馬鹿げた論議を少なくとも冷戦が終わって30年に渡って未だに続けていることが頭のおかしなことだと思わないだろうか?


拳銃弾にパラベラム弾というそれがあるが、その語源は汝平和を欲さば、戦への備えをせよ(Si vis pacem, para bellum)から来ているが、戦争をする気が無いのに軍備を語るなよと思うよ。


平和なんざ戦争準備期間でしかないし、破壊の前のバーゲンセールでしかない。


最後になるが、重慶爆撃は無差別爆撃となったが、これは帝国海軍が埒が明かないと学んだことで始めたが、それはやがて欧州大陸や日本本土において拡大されて実施された。そこにあるのは敵国の交戦能力を粉砕するためには国民生活そのものを破壊することで生産をストップさせることが効果的だと連合国が認識したことだ。


そして、ドンバス事変から始まるロシアとウクライナのドンパチは現状、ロシアがウクライナのインフラを叩き潰すことで継戦能力を奪うというところに進展しているが、これこそが本質的な敵地攻撃論のあるべき姿なのだと自覚すべきだと思うよ。それは卑怯でも何でも無い。戦争の本質であって、最も効果的に敵を打ち倒す最良の手段だからね。


大日本帝国が海上輸送の途絶と本土空襲で継戦能力を失ったのと変わらないのだからね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 言霊だから。 専守防衛の定義自体が、列強しか重爆やICBM、スーパーキャリアなんて持たないんだから、それ以外の国が渡洋爆撃なんかできないんだ。という時代のソレ。 敵基地攻撃なんて、先制自…
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