表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

AI葬

作者: カルビ

 小野夏樹、十八歳。最終学歴、神奈川県立港湘高等学校卒業予定。


 最近起きた嫌な出来事。


 志望していた大学すべてに落ちたこと。


 同日、高校の間ずっと付き合っていた彼氏と別れたこと。そして――



      ×  ×  ×



 夏樹は今、夕焼けの中、公園のブランコに座り込んでいた。


 ブランコを漕ぐ元気はない。ついさっき、大学受験に敗けて浪人という名のニートになることが確定したばかりだからだ。


 「はぁ……」


 深いため息をつきながら、夏樹は周囲を見回す。


 茶色に錆びた鉄棒に、塗装の剥がれた滑り台、猫がフンし放題の小さな砂場。周囲にあるのは、代わり映えのしない遊具ばかりだ。


 けれど、そんなどこにでもあるような遊具が、彼女の眼には特別なものに見えているようだった。


 「そういえば、小さいころはよくここでお母さんと遊んでたっけ……」


 ブランコに乗れば背中を押してくれ、学校の授業で逆上がりをできるようにならなきゃいけない時は練習に付き合ってくれた。滑り台を滑る時、お母さんはいつも下から見守ってくれていた。


 「今にして思えばお母さんは遊んでないな、これ」


 一緒に遊んでいたというより、助けてくれていたっていうのがきっと正しい。


 「……お母さんに助けてもらってばかりだな、私」


 夏樹の母は明朗快活な性格をした、人助けをよくする人だった。おばあさんが重そうな荷物を持っていれば代わりに持って運び。PTAで誰もやりたがらないような仕事があれば、率先して手を挙げるような人だった。


 そんな母の助けの手は、夏樹たち家族にも差し伸べられていて。


人生においてくじけそうな時、夏樹はいつも母に助けられてきたのだった。


 「もしお母さんがいたら、今の私も助けてくれる……のかな……」


 視界が滲み、涙がこぼれ落ちる。


 「お母さん……」


 この場に返事をしてくれる相手がいないことなど死ぬほど理解しているのに、それでも涙が止まらない。


 大切な人だった。


 心の支えだった。


 日常にいるのが当たり前の人……だった。


 けれど、この声に返事をしてくれる人はもう……。


 「そりゃ、そうだよね……」


 頬を伝う涙を袖で強引に拭きとり、夏樹はブランコから立ち上がる。そして、公園を後にしようと歩き始めた。



 「夏樹……?」

 


 ――そんな時、不意に後ろから声をかけられた。


 その声は、過去に何度も聞いた、今最も聞きたい声だった。


 思わず後ろに振り返る夏樹。


 そんな彼女の眼前にいたのは――



 「お母さん……!」

 


 ――夏樹の母は、何一つ変わらない姿で立っていた。



      ×  ×  ×



 「はい。悩んでる時はいつものこれ」


家に帰り、キッチンの席に着くなり、目の前に二人分のティーカップが置かれる。中にはレモンティーが注がれ、カップから湯気が揺蕩う。


 「……ありがと」


 息を吹きかけ軽く冷ましてから、夏樹はレモンティーを口に含む。口いっぱいに柑橘系の爽やかな香りが広がり、ほのかに蜂蜜の甘さを感じた。


 「おいしい……」


 「フフッ、あなた好きだもんね。これ」


 母に優しく見守られながら、レモンティーを堪能する夏樹。


 「それで、今日はどうしたの?」


 そんな彼女に、母は単刀直入にそう訊いてきた。


 あまりの直球具合に夏樹は思わず「うっ……!」と声を出してしまう。


 夏樹の母には、人が悩んでいると問答無用で深入りしてきて、解決を図ろうとするところがあった。


 「あ、えっと、それは……」


 しかし、夏樹が言い淀んでいるのは他にも理由があった。


 それは悩みの大きさだった。


 今回抱えている悩みはまず間違いなく過去最大のものだ。そんなものを簡単に相談していいと夏樹はどうしても思えなかった。


 けど、それと同じくらい母を信じる気持ちも強いようで……。


 「じ、実は今日……だ、大学の合格発表があったんだけど――!」


 結局、夏樹は相談することにしたのだった。



      ×  ×  ×



 夏樹の話している間、母は彼女の話を遮ることなく、最後まで真剣に聞いていた。そして、話が終わると、


 「そっか……大変だったんだね」


 一言、夏樹をそう労った。


 「うん……」


 話し終え、乾いた喉を潤すため、夏樹はレモンティーの残りを一気に呷った。


 コト、と音を立てて置かれるカップ。そこから湯気が揺蕩うことはない。


 「大学の不合格通知に、彼氏との破局……。ただでさえ、心に大きな負担のかかる出来事ばっかりなのに、それを同じ日に全部体験するなんて。それは確かに、思わず昔行ってた公園に現実逃避したくもなるね」


 母はまるで夏樹の今日の行動を見ていたかのように、彼女の心のうちに燻っていたものを口に出していく。


 「高校生活の半分をかけて挑んだのにそれを認めてくれないなんて。大学には人の心はないのかしら?」


 そう。


 「それに彼氏も彼氏よね。あれだけ長い間付き合っていたのに、別れる時はたった一言で済ませようなんて、虫が良すぎるのよ」


 そうそう。


 「というか、何でそんな重い出来事が同じ日に起きるのよ! 神様は何を考えてるのかしら!」


 そうそうそう!


 知らず、夏樹の頷く速度が上がっていく。その様は「やっぱりお母さんは私のお母さんだ!」とでも言いたげだった。



 「――けど!」



 その時、ガチャンと皿が叩きつけられる音が部屋中に響いた。母がティーカップを皿に置いた音だと、夏樹が気づいたのは数秒遅れてからだった。


 沈黙の中、母が口を開く。



 「そのどれもこれも、もとはと言えばあなたの努力不足だってお母さん思うのよ」

 


 「えっ……?」


 何を、言って……?


 「だってそうじゃない」理解できない夏樹を置き去りに、母は話を続ける。


 「受験期に入ってもあなたはSNSをやめなかったし、塾帰りに寄り道して帰ってもいた。その時間、勉強していれば受かったかもしれないのに」


 …。


 「彼氏のこともそうよ。もっとあなたが魅力的な女性だったら、あるいは理解のある彼女になれていたら別れるなんて話出なかったはずよ」


 ……。


 「つまり今日起きた辛いことは全部あなたの努力不足! お母さんの言ってること、違うかな?」

 確認するように、母が首をかしげる。


 それに夏樹は――。



 「ぜっっっっっったい、その通りだよ‼」

 


 思わず立ち上がってしまうほど、震え上がっていた。


 「そうだよ! きっと、寝る間も惜しんで勉強していれば大学に合格できた!」


 「そう!」


 「きっと、もっとファッションに興味を持っていれば、彼が私の前からいなくなることなんてなかった!」


 「そうそう!」


 「きっと、今日の出来事は全部、神様が私にもっと精進しろって、そういうことなんだ!」


 「そうそうそう!」


 夏樹の発言一つ一つに母は首肯する。


 夏樹は天を仰ぎ、頭の中で出た結論を叫んだ。


 「そうだ! 何でこんな簡単なことに気付かなかったんだろう! 今まで失敗続きだったのは、全部全部全部全部! 私の努力が足りなかったからなんだ!」


 「どうやらもう大丈夫そうね!」


 その結論に、母もにっこり笑顔でサムズアップをしていた。


 「うん! ありがとうお母さん! おかげで希望が見えてきたよ!」


 「いいわね! それじゃあ今日は気分転換も兼ねてサッカーしましょうか!」


 「うん! 私もちょうど体を動かしたいと思ってたよ!」


 母はどこからかサッカーボールを取り出すと、掃き出し窓めがけて全力で蹴った。飛んでったボールは見事窓にクリーンヒットし、窓は粉々に割れ落ちた。


 その様子を満足げに眺めてから母は外へと出て行く。


 「そういえばお父さんはどこに行ったのかしら? 買い物?」


 「大丈夫だよ。実は私、さっきまで一緒にいたから!」


 「そ。ならすぐに戻ってくるわね!」


 「道に迷ってなきゃ、だけど」


 「あんたお父さんのこといくつだと思ってんのよ!」


 「あはは!」


 「あははは!」


 「あはははは!」


 「あははははは!」



 「もうやめてくれ!」


 その時、目の前の男は怒声を張り上げた。


 「僕の妻はもうこんなに熱血じゃない! 夏樹に合わせてそういうノリはしないって彼女は誓ったんだ! それに夏樹は家ではいつもお母さんのことを「ママ」って呼んでたんだ!」


 男の叫びは取調室というこの狭い空間でとてもよく響き渡り、耳がキンキンとさせられた。


 「こんなのは……僕の家族じゃない……!」


 怯えるように頭を抱え、机に伏す男。


 「……そうだ。これは僕の本当の家族じゃないんだ……! ああ、きっとそうだ! 彼女たちと話すのは本来禁じられてるから、僕に偽物を見せているんだ!」


 焦点の合わない眼を右往左往させながら訳の分からない結論を出すと、音は一転、私の方に顔を向けた。


 「頼む! 本当の家族に会わせてくれ! ここにいるはずだろ!」


 気持ちを抑えられなくなった男は椅子から立ち上がると、私の肩を掴み、何度も揺らしてくる。そんな彼を突き放すように、私は言い放った。


 「はい。ですから法を破って見せてますよ。それがあなたの本当の家族です」


 「そんな……」


  男は絶望のあまり、力なくその場に崩れ落ちた。


 「……」


  目の前でうなだれる男を改めて見る。


  この男の家族――小野家の日常は三月七日まで確かに幸せだった。


  けれど、その翌日。すべてが一変してしまった。


  娘の大学不合格通知に彼氏との破局――



  ――何より、交通事故による妻の死去は残った家族に大きな禍根を残した。



 その日以来、家庭は崩壊。


 男は酒に溺れ、娘は部屋に引きこもる日々が続いた。


 乱れた生活は乱れた思考を誘発し、やがて男は言動すらもおかしくなっていった。


 ある時、男は娘の部屋をこじ開け、囁いた。



 「心中して、お母さんに会いに行かないか?」

 


 男は、死ねば妻に会いに行けると本気で思うようになっていた。


 しかし、私たちはそんな彼の思想を否定することはできない。


 なぜなら、私たち警察の雇い主である政府が、彼の思想を後押しするような発明をしてしまったからだ。


 AI葬――という葬法が今の世には存在する。


 AI葬とは『AIに故人をディープラーニングさせ、そのAIを国の有する独自のデータベースに葬る』という葬法だ。


 これにより、生じるメリットは三つあった。


 一つ目が『AI葬が流行ったことにより、墓を必要としなくなった点』だ。


 AI葬では故人を模したAIを国独自のデータベースに葬るため、物理的な墓が必要ない。そのため、墓地を住宅地や農地にしてしまうことが可能となった。人口増加によって食糧難が深刻的になってきた現代にとって、その点はとても都合の良い産物だった。


 二つ目が『葬式という儀式に新たな意味を見出してくれる点』だ。


 一時期、世の中では『葬式の意義』というものを改めて見直す風潮があった。

 確かに、それぞれの儀式には意味が込められている。しかし、そんなものは人が決めたものにすぎず、言ってしまえば葬式は故人と決別するための自己満足でしかなかったのだ。


 しかし、AI葬はそんな葬式に新たな意味を見出した。


 葬式にはその故人と関わりのある人間が多く出席する。つまり、故人の情報を持った人間が局所的に集まるということなのだ。そのため、故人の情報を集めるのに葬式は最適な場所と言えた。


 その結果、『小さい方が良い』とされていた葬式は、AI葬の普及とともに規模を大きくしていった。おかげで、一時期は経営難に陥っていた寺院、その財源は再び潤い始めた。


 そして、三つ目が『AIが故人の人格を模倣してくれることで、故人と会えなくなることがなくなる点』だ。



 『死んでしまえば、もうその人と話すことはできない』

 


 これは古来より決して揺らぐことのなかった定めだった。けれど、技術の進歩により私たちはとうとうこの定めを覆すことに成功したのだった。おかげで、今では織田信長や豊臣秀吉といった歴史上の人物とも話せるようになっている。


 まさに世紀の大発明。


 AI葬によって世の中は大きく好転すると、誰もが信じ込んでいた。



 ……しかし、このAI葬には思わぬ落とし穴があった。



 葬式で集めた故人の情報をディープラーニングさせ、故人を模倣しようとした結果、誕生したのは故人とは似ても似つかない人格だったのだ。


 朗らかは朗らかでも、熱血ではない。クールはクールでも、冷徹ではない。コミカルはコミカルでも、ポジティブではない。


 そういった些細な違いが違和感を呼び、結果、AIと会話した親戚や知人はみな一様に気を動転させてしまった。当たり前だ。自分の大切にしてきた人の皮を被った存在が、その人らしからぬ言動をしているのだから。


 いったいなぜこんなことになったか。


 所詮人の話などいい加減であったこと。


 故人の一番の理解者であるだろう故人自身から情報を得られていないこと。


 そもそも人間に整合性などなく、整合性の塊であるAIと相性が悪すぎること。


 今にして思えば、原因など山ほどあった。


 けれど、すでに墓地を住宅地に変えてしまった以上、私たちに後戻りする選択肢は残されていなかった。


 ひとまず政府はAIとの接触を法律で禁じ、人々がパニックにならなくて済むようにしようとした。


 しかし、その措置が返って人々のAIに対する思いを強くしてしまい、人生に追い詰められた人が「最後は死ねばAIになって家族に会える」と言い出すくらいにしてしまったのだ。


「僕の家族は……どこに行ってしまったんだ……」


 失意の中、男が呟くように言う。


 私はそれを聞こえなかったことにして、


「話はだいたい分かりました。では、私はこれにて失礼します」


 とだけ告げ、取調室を後にした。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ