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ワケあり転校生と本気出して付き合ってみた  作者: れも
友達になるつもりはないから
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第1話

「最悪だ」


 走ることができなくなって一か月と少しが経った。


 二学期のある日の放課後、私は教室に残り窓際の手すりに体重を預けて外を眺めていた。校庭では残暑が続く夕空の下で運動部が汗を流している。


 横に立てかけた二本の松葉杖と、グルグル巻きにされた右膝の白いギプスを見て大きなため息をついた。こんなものがなければ私も今頃はあの中で無邪気に走り回っていただろう。


 置いて行かれた。はじき出された。私に青春を謳歌おうかする資格はないと拒絶された。孤独、焦り、喪失。もしも怪我をしていなかったら。もしも痛みを我慢せず早く治療していれば……空想と現実の間で心がもがいている。


 すっかり教室は静まり、人の気配はなくなった。


 無意識に動いた右足が松葉杖の先に当たり、ガシャンと金属の音を立てて床に倒れた。うんざりしながら拾おうとすると、今度は左腕がもう一本の杖に当たって、スローモーションで倒れていった。伸ばした腕は杖にかすりもせず再び鈍い音が響いた。


「あー、もう」


 苛立ちを露わにして呟く。


 入学した時から陸上部の次期エースとして期待された。快活で人当たりがよくて情がある。そんな人物像を保つためにそれなりの努力をした。だけど今回の怪我でどうでもよくなった。


 俯くと伸びたきり手入れのしてない前髪が瞳に触れた。

 視界と鬱憤を晴らすために首を振り、わざと大きな舌打ちをする。不自然に力が入ったせいで顎がピリピリした。


 不格好なことはするものじゃないと思った直後。

 カタンと、教室の床を擦る椅子の音が耳に入る。


「やばっ」


 恐る恐る振り返ると、誰もいなかったはずの教室に一人の女子がいた。

 こちらを気にする様子はなく、手にしていたプリントを机の上に置いて着席した。床に据えたままのスクールバッグから察するに、ホームルームが終わってから一旦外に出て教室に戻ってきたらしい。


 さっきの不躾な行いを見られてしまった、やってしまったと思った。


「青野さんじゃん。まだ残ってたんだ、気づかなかったよ」


 取り繕うように私は声を上げる。


「普段はこんなに落ち込むことはないんだけどさ、ほら」


 右膝を指さして「私の足が不自由になりました。だからナーバスになっています」と暗に伝えた。


 しかし彼女はこちらに目をくれることはなかった。


―――


 二学期から転校してきた青野栞あおのしおり

 北国から来たせいか、それとも生まれつきなのか、彼女の肌は夏の終わりにも関わらず白く透き通っている。


 考え事をしているのだろうか、頬杖をつき二重の目は物憂げに伏せられていた。スッと通った鼻筋。小顔で華奢なスタイルはまるでモデルのよう。季節外れの新品の制服が彼女の神秘さを際立たせていた。


 転校すること自体が珍しいうえ、とびきり美人だから当初はクラスを超えて学年中の注目の的だった。

 だけどこの一カ月で彼女に近づく人はいなくなった。というのも、誰かが青野さんに親しくなろうと近づくと、次の日青野さんは学校に来なくなるのだ。


 一日おきに不登校になる青野さん。誰かが彼女に不愉快なことをした。今度は誰のせいで学校に来なくなった? そんな犯人探しと責任の押し付け合いを経て、いつしか青野さんには話しかけないという暗黙のルールができ上がり、険悪になりつつあったクラスの雰囲気は平穏を取り戻した。


―――


 私はさっきの舌打ちや彼女への言葉を誤魔化すためにコホンと咳払いをした。明日青野さんが休んで、その責任を私が負うことになるのはごめんだ。

 見たところ、青野さんに変化はなかった。

 腫れ物扱いは、そうする側も疲れる。


 やれやれと安堵して彼女から目を離したその瞬間だった。

 私は今の私自身について、とあることに気づいた。



 私はまだまだ世間体や外聞を気にしている。

 怪我で自暴自棄になったはずなのに、何を心配しているんだ。



 誰からも好かれて快活でひたむきにスポーツに打ち込む理想の自分を諦めきれないでいる。決して取り返しがつかないのに。

 二学期からの私は人付き合いを避けていた。怪我のせいでポジティブに振舞えない歯がゆさや、他人に弱みを見せたくないというプライドが壁をつくった。



 青野さんは筆箱からペンを出し、机に広げてあったプリントを解き始めていた。まるで私は最初からいなかったかのようにすました顔でペンを走らせている。


「無視かよ」


 春の私の花めき、キラキラ、自信と充足感。

 夏の私の挫折、陥落、観念と悟り。

 転校生の彼女が知る由はない。


 たった今から、私は人の目なんか気にせず、相手のことなんか考えず、舌打ちでも八つ当たりでも何でもしてやろう。

 だって私は怪我をして走れなくなった可哀想な人間なんだから!


 杖ではなく並べられた机を支えにして移動し、青野さんの隣の席に荒っぽく腰を下ろす。

 彼女は怪訝な顔を浮かべてこちらを向いた。色素の薄いウェーブがかった髪がふわりと揺れる。


「えっと」

「やっぱり名前は覚えてないよね。私は夏目空なつめそら

「何か用?」

「なんで居残りしてるの」


 青野さんの透き通るような無機質な声に対し、私は意図的に低い声でぶっきらぼうに語り掛ける。


 びっしりと書かれた英語の長文といくつかの設問が記されたプリントが目に入る。それには見覚えがあった。確か二学期の最初に受けた実力テストだったはず。


「補習の課題。休んでいたから」

「サボっていたからの間違いでしょ」


 転校生を迎え入れる側、それも初めて話す人とは思えない私の態度に、青野さんは目を丸くして固まった。

 そんなのお構いなく私は続ける。


「青野さんって誰かとからむの嫌がってるよね。みんな青野さんと仲良くなりたいのに、どうして避けようとする」

「気持ち悪いから」


 私が言い終わるのを待たずして青野さんの口が開いた。

 青野さんの気だるそうで、だけど突き刺すような真っ直ぐな視線が私の目に向けられる。ナイフで刺された心地がした。「気持ち悪い」か。

 思ってもみなかった言葉に動揺し体がこわばる。


「見せしめにされて、馴れ馴れしく近づかれて、うんざりする」

「そんな言い方なくない?」

「夏目さんは私にどうしてほしいの。友達になってほしい? 一目ぼれしたから付き合ってほしい? 新品の玩具おもちゃみたいに扱われるの、いい加減迷惑」


 青野さんが転入した当初はその話題で持ちきりだった。格別の容姿にどこか憂いを帯びた佇まい。自分からは他者と関わろうとしない姿勢。彼女が笑っているところを見た人はいない。


 これは放っておけないと、みんな入れ替わり立ち代わりで彼女に群がっていたのを思い出す。私も膝の怪我で神経質になっていなければ喜々としてその輪に加わっていたに違いない。


「悪気があった訳じゃないけど、ごめん」

「なんで夏目さんが謝るの」


 呆れるような、疲れ切っているような瞳。痛ましく棘のある冷たい言葉。


 転校してきて青野さんも苦労したんだ。

 気の毒。可哀想。

 可哀想?

 可哀想なのは怪我をした私のほうじゃなかったっけ。


「やっぱり撤回する」

「は?」

「私のほうがうんざりしてるし! こんな怪我がなければ今頃うまくいってるはずなのにさあ。ホント、ムカつく!…………痛っ」


 不貞腐れた私は伸びたままの右足を振り上げて青野さんの椅子を蹴った。


 沈黙の中にコツンという弱々しい金属音。それに続いて情けない悲鳴があがる。

 まともに力は伝わらないし、椅子に当たった振動が膝に返ってきて電流が流れたかのように痺れる。いってぇ。


 信号が変わる直前のような息をのむ静寂。それから少し間をおいて


「ふふ、あははっ」


 涙目になっている私を見て青野さんは笑い声をあげた。


「夏目さんうける」


 青野さんは口元を押さえクスクスと笑い続ける。ツボに入ったのか肩の震えが止まらない。

 彼女が笑っているところを見るはもちろん初めて。でももうちょっと、こう体を張るんじゃなくて、仲良くなってから、会話の中とかで、普通に笑わせたかった。


 なまじ嘲笑ではなく、風に吹かれる花のような自然で素敵な笑みだったから。

 窓から差し込む夕日が青野さんを暖かく包み込む。私は彼女に見惚れていた。


 みじめさや膝の痛みが消える。

 代わりに私の胸の奥で何かが生まれたことを、この時はまだ気づかなかった。


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