地獄の底から生まれ出づる
私は、人類の怨恨の渦を浄化する為に、下界と天界の狭間に向かったはずだった。
大きく強大な渦は深い闇の底そのもの。
この渦に触れれば、人間はおろか並みの天使や神ですら気が触れてしまう。
この渦の正体は、飢餓や争いから来る憎悪や悲しみと、人間のあくなき欲望の集合体だ。
天使長の私ですら、渦に手を添えてみるだけでおぞましいと感じる。
嫌な汗が身体ににじむ。
私はこの渦に自ら呑まれ、内側から私の聖属性魔法で浄化せねばならない。
そう頭で理解しているつもりだった。
渦から人影が現れたが、私は目を疑う。
橙色のロングウェーブヘア、ワインレッドの瞳…私と同じ姿…。唯一違う点は、衣服を纏っていない。
一体どういう事だ。これはきっとまやかしだ。
浄化させまいと、この渦が抵抗しているのだろう。
「あなたはどうして自ら汚れる必要があるの?」
「本当は、1番に自分だけを父なる神に愛してほしい癖に」
「異国の神である天照大御神に熱を上げながら、主の愛すらも独占したいのが、あなたでしょう?」
私と同じ顔、姿、形のその発言に、動揺を隠せない。
微かに抱いていた、私の天の御使いとして相応しくない感情。
"私"は口元の端を吊り上げて笑って、ただ私を見ている。
「勝手な事を言わないでください。この任務を終えて、主の元へ帰還します。」
「天照大御神に、本当は引き止めて欲しかったのでは?行かないでくれ、お前が大事だからって、抱きしめて欲しかったんでしょ?」
私が顔を背けようとすれば、"私"に頬を両手で覆われた。
「あなたは、本当は任務とか、そんなの放り出したくてたまらない。今の地位もいらない。ただ、2人のそばにいて、ありのままのルシフェルを愛してほしいだけ」
「天照大御神なら、愛してくれますよ。全てを投げ出したとしても。…それに、人類に嫉妬していますよね?主の寵愛は、今やそこへ注がれていますもの」
「――っ」
「なのに、どうして人類を助けるの?そこまでする価値があるのですか?」
微かに、抱いていた私の感情を炙り出される。
それと同時に渦から無数の触手が、こちらへ瞬時に伸びてきた。
粘り気を帯び、感じる生温さに背筋が凍る。
「う、ぁ……やめ、」
手足を拘束されてしまい、動きは完全に封じられた。
触手から伝わってくる人々の叫びや嘆きが、耳元から離れない。
浄化魔法を発動させようと、雑音が多すぎて集中ができない。
いや、力すら入らない。
「抵抗はやめた方がいいですよ。」
クスクスと笑って、"私"は愉快そうにこちらを見やる。
触手は私の全身をくまなく探るような動きで、絡みついてきた。
もう逃れる事も、浄化する任務を遂げることも無理だ。
「あ、……ぁ」
思考が奪われる。
体温が低下する。
声も出せない。
この結果は、私の隙が生んだものだ。
私の責務は、神の御使として人類の観測と守る事だったのに。
あろう事か…嫉妬で身を滅ぼすなど。
こんな時、天照様なら笑って許してくれる?
『…お前さんは自分の感じている気持ちを大事にしてやりな?』
そうですよね。
あなたは、そんな人だから。
出会ったばかりの頃に言われた言葉を思い出す。
不器用ながら、いつも優しく見守ってくださっていた。
私の愛しい人。
想いに気が付いてたかは、分かりませんが…最期に一目お会いしたかった…。
さよなら、天照様。
「さぁ、魔王の誕生ですよ」
"私"は祝福するように拍手を送る。
視界はそこで閉ざされたのだった。
完全にバッドエンドです…。




