気付くと気づく
エッセイと呼べるほどではありませんが、よろしくお願いします。
いつも作品を書いているときなのですが、ふと疑問に思うことがあります。
それは、小説を読むとき、漢字の多い文章と、そうでない文章と、どちらの方がいいのかな、ということです。
文章を書く際、見映えとしては、漢字が多い方がいいと思うのですが、読み手となったときはどうなのかな、と考えてしまうのです。
例えば、
昔々、ある所にお爺さんとお婆さんが居ました。
童話の書き出しにありそうな文章なので、すべてがひらがなで表記されることもあると思います。
ですが、「童話」という概念を取り払ったとき、漢字で表せる字を漢字にするのはどうなのかなって考えてしまうんです。
僕としては、
昔々、あるところにお爺さんとお婆さんがいました。
と、書きそうな気がします。場合によっては、「お爺さん」「お婆さん」もひらがなにするかもしれません。
あと、これはよく書くのですが、
有り難う御座います。
これも、すべてひらがなで、
ありがとうございます。
と書いてしまうと思います。
それは漢字ばかりだと、綺麗な文章でありながら、読みやすいのかな、と疑念があるからです。漢字ばかりだと文章が硬い気がしてしまうんですよね。
以前、あるテレビ番組で、文章はバランスを見て、あえてひらがな表記するべき場合もある、とありました。
それを見て驚きもあり、そのバランスさの沼にはまってしまい、今も悩んでいます。
それから、できる限り意識をして作品を書く際は、ひらがな表記のままにしている言葉が僕にはいくつかあります。
そこは、タイトルにもある、
気付く → 気づく
や、すでに出てきた、
~している時 → ~しているとき
全て → すべて
ほかにも、
他 → ほか
良い → よい
何故 → なぜ
勿論 → もちろん
~の事 → ~のこと
といった具合にです。
それはこれからもずっと悩みそうなのですけど、心のどこかで、漢字に直せる文字はすべて漢字に直さないといけない、という固定観念が僕に根強くあるのが原因で、僕自身の問題なのかもしれないのですが……。
きっと、捉え方は人それぞれであり、気にする人、気にしない人と、いるでしょうけど、僕はつい気にしてしまうんですよね……。
作品を読んでくださる方は、どちらの方が読みやすいのかな、と。
おそらく、どの形が正解なのか、明確な判断は難しいのでしょうけど、ついつい考えてしまい、今回このようなことを書かせていただきました。
やっぱり、バランスが難しいという、堂々巡りなことになってしまうんですけどね。
自分でも思います。優柔不断だな、と。
ちょっと気になっていたので、書いてみました。
ただの独り言だと思ってください。